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傾聴スキルはセクハラをも滅する。



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なぜ男は胸を触りたくなるのかという議題は、永遠にして普遍的かつ茶目っ気のある問いだと思うのだけれども。

「そこに乳があるからだ」的な特に面白くもなんともない回答や

「いや、そもそも男っていうのは子孫を残さないといけない生き物だから性的欲求は子孫繁栄のために(ry」的な浮気を正当化するために生物学者ぶって男の論理を振りかざす下半身を自制できない男代表的な回答や

「俺は胸よりお尻派だ!」という別に聞いてもいない性癖をぶちまけてくる空気の読めない勇者的な回答など、

果てしなく遠大かつ崇高な問いなので、いくらでも哲学的な思考が繰り返され無限の回答がこの世に生を受けてしまう。

こういった、
世の中には話している分には笑えるけどもしそれが実行に移されたらとても大きな問題になることもあるというのは、ぼくが社会に出て学んだことの1つだ。

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5年前の2月、ぼくは修羅の国と呼ばれる某県でガールズバーの雇われ店長だった。
役割の1つは、男性(ほぼおじさん)達の接客を担当してくれている女の子たちのマネジメント。
元々、同い年の相方と2人で店長代理をしていたのだけれど、相方が片っ端から店の女の子に手を出してオーナーにしばき倒された為、僕1人で回さなければならなくなった。
ちなみに、彼は店の女の子たちから陰のあだ名は"前立腺"。
ぼくのあだ名はあるのかとはとても怖くて聞けなかったし、女子の集団というのはチンパンジーの集団よりもすこぶる恐いものだと当時は思っていた。いや、今も思っている。

相方である前立腺が塵になった後、ぼくの頭を悩ませたのがお客が胸を揉んでくるという女の子達からのクレームだった。
弱り目に祟り目という言葉もあるけれど、問題というものは重なるものなのだ。

【セクハラ親父の台頭】

何人かいたのだけれど、特にひどいお客がいた。2日に1回コンビで来るセクハラ親父ーズがそれだ。彼らは普通に話すぶんには気のいいおじちゃん達で気前もいいし、お店の女の子にも人気がないこともなかった。でも、彼らは何かと隙を突いて触ろうとするのだ、胸を。オーナーの友達でありお店の出資者でもあるが故に、強制的に出禁にするというのが出来ないというのが悩みの種だった。

オーナーがやんわり注意しても、揉む。
ぼくが席まで注意しに行っても、揉む。
女の子が怒っても、揉む。
2人共、揉む。
もうねすんんんごい、揉む。

ブロックチェーンばりに終わらない揉む連鎖がそこにはあった。
セクハラが看過されてしまう要因として、セクハラ親父が地位の高いポジションにあるというのは世の負の常だ。

それでも抗って、嫌なものは嫌だと声を上げなければならない時もある。

【会議、そして仮説思考を身につけたぼく】

なかなかの問題意識を抱いたぼくは緊急会議を開いた。2月13日だった。
メンバーはお店の女の子10人とぼく。
店のオーナーはポンコツだったので省いた。

仕切らなくても、女性というのは集まると喋り出さずにはいられない生き物である。

「はよ帰って彼氏にチョコ作らな。」
「それより、触られてすごい嫌っちゃけど。その話するっちゃろ?」
「あんたがポケッとしとうけんやろ、自業自得やん。」
「てか、私は別に揉まれんけんわからん。」
「いやいや、ばり触ってくるけん。まじ無理。キモい。」
「自己責任やろ、そんなん。ウチ知らんし。」

なんだ戦場か。と思うくらい、彼女達の言葉の応酬は情けも容赦もない。

こーゆー時は、しばらく黙って静観するべきだと判断したのだけれど、
ある女の子が途中に放った、
「てかさ、なんで男って胸好きなん?」

という一言で、20の瞳が一斉にこちらへ向いた。
なんだか世界中の全ての男性の声を代弁しなければならないような義務感に襲われ、一国の首相というのはいつもこれくらいの重責を担いながら各国の首相と交渉を繰り広げているのかもしれないなと思いながら、
「僕は胸より太もも派。特にふくらはぎからおし(ry」と彼女たちに力説したのは良い思い出である。


いかん、話が逸れた。


やんややんやと喋る女の子達の話を聞いていく中で、気づいたことがあった。
揉まれた子と揉まれてない子がいるぞ、、、と。
お店の子達は顔立ちの綺麗さを重視して雇用されていたので、タイプは違えど皆それぞれの美しさがあったように思う。
だから、容姿で親父ーズは判断しているわけじゃない。
ということは、サイズであろうか。。?いや、でもなぁ。。。
といった風に、思考を巡らせていると、

ある女の子が泣いている女の子に対して言った
「てか、あんた自分の話しかせんけん、一緒におってもつまらんっちゃないと。」

という言葉でピンと来た。
確かに、話が盛り上がって親父ーズがとても雄弁に語っている時は、彼らは手をワキワキさせることもなくおとなしくしていた。
なんか盛り上がっていないなぁと思って席を見てみたときに、セクハラingであることが多かった。

この瞬間、

場が退屈であるがゆえになんか刺激が欲しくて揉んじゃうのではないか。」という仮説が誕生した。

こーゆーのをマーケティング用語でインサイトと言う。


いや、違うか。


退屈だから胸を触るというのは論理もクソもないことはもちろん、そもそも倫理的にしばかれどころしかないのだけれど、とりあえず検証してみようかということでその日の話し合いは終了した。

【破壊的イノベーションとしての"傾聴"と"さしすせそ作戦"】

もし仮に、ここまで読んでくれている奇特な女性がいれば覚えておいて欲しい。
男という生き物は比較の世界で見栄を張り続ける為に生きており、根本的な自信が欠けている生き物だということを。

どんなに仕事ができるようになり順調なキャリアを築いているように見えても、上から押し付けられるその世代特有の錆びきった成功体験をいなし、同僚とは競争と牽制を繰り返し、下からの追い上げに焦りながら毎日を生きている。なんでもないような顔をしながら。
そのなけなしの自信をうまく綻ばして、デロンデロンに甘やかしたら大抵の男は陥落する。
いわゆるおじさんキラーと呼ばれる女性は、歳上の男を徹底的に甘やかすことが上手い。


また話が逸れた。


ともかく、モテたいかモテたくないかは置いといても実社会で自分に都合のよい状況を創り出すために、男を転がすスキルとしての傾聴は身につけておいて損はない。

会議の後、セクハラを受けがちな女の子たちを観察して把握した特徴はこんな感じだった。

・自分の話をよくするいじられキャラ
・親父ーズが喋ったことに対して「えー、やばぁ」か「ウケるー」しか返さない
・本音を溜め込みがちで舐められやすい
・"天然"という扱いをされがち

そこで、彼女達のコミニケーションの取り方を変えてみようということで、1人の女の子が提案をしてくれたのが「さしすせそ」作戦だった。
合コンでよく使われるテクニックだそうだ。

さ=「さすがですね!」
し=「知らなかった!」
す=「すごい!」「素敵!」
せ=「センスいいですね!」
そ=「そーゆのって〇〇さんのいいところですよね」

をマシンガンの如く放つ。

「えー、やばぁ」と「ウケるー」を封印して、上記の受け答えを主とし、徹底的に親父ーズを褒め殺すことに特化した作戦だった。
そして同時にめちゃくちゃ質問を繰り返し、ひたすらにもう嫌っていうほど親父ーズに喋らせる環境ををみんなで意識して創っていった。

流れは簡単で、
質問→「へぇ、すごい!」→質問→「知らなかった!」→質問→「さすがですね!」・・・・・・・
をエンドレスループさせるだけ。

まずは常連の揉んでこないお客さんに練習台になってもらい、10日間ほどで女性陣のコミニケーションはメキメキに上達していった。
基本的に女性が女性に行うフィードバックというのは、批判とダメ出しの破壊光線みたいなものばかりだったので、ぼくは褒め役に徹して細かい成長ポイントを逐一伝えていった。

不思議なもので言葉遣いが変わると仕草も変わり、仕草が変わると佇まいが変わり、色気というものが出たんじゃないかという女の子もいた。
ぼくにとっても、女性を褒める際には言葉は節約しないほうがいいと学んだいい機会になった。

そして、この10日間で身につけた合コンテクニックのさしすせそ作戦の効果は少しずつ、でも確実に姿を現した。

目に見えて、楽しそうなのだ。親父ーズが。
嬉々として過去の武勇伝を語り、セロトニンが分泌されて、お酒のペースも上がる。
お酒のペースが上がると、何度も同じ話を繰り返し、千鳥足でべろんべろんになって帰っていく。
その間、1時間半くらい。滞在時間は短縮したのに売り上げは上がるという、ハイパフォーマンスぶりだった。

そんなこんなして2週間くらい経った時に、親父ーズの1人が
「ここだけや、わしに興味を持ってくれるのは。今まで乳触ったりして悪かったの。もうせんけんの。」と言って帰っていったと女の子が興奮気味にぼくに報告してくれた。


イノベーションが起こった。
Made an invention.
创新发生了。


やったこととしては、質問→「へぇ、すごい!」→質問→「知らなかった!」→質問→「さすがですね!」の繰り返しを行っただけ。

合コンのテクニックである小手先中の小手先のコミニケーション施策で、中年おじさんの寂しさのぶつけどころを胸から純粋な対話へつなげることに成功した。

なんとなく店の雰囲気が変わったのを察して、他のセクハラ予備軍のお客もそういった行為をすることがなくなっていった。
中には鉄板の会話のフリを覚えて、どんどん売り上げを伸ばしていった要領のいい女の子もいて、彼女は下の3つを徹底して話を振っていた。

・過去の武勇伝と苦労話
・周囲の同世代に比べていかに自分が優れているか
・嫁の愚痴

2ヶ月もすると店の会議でセクハラという言葉が出てくることもなくなり、ポンコツオーナーも大いに驚いていた。

ジョブズは、iPhoneとMacbookで世界を変えたけど、
ぼくらはあの時、傾聴とさしすせそ作戦でほんの小さな世界からセクハラを消したんだ。

自分自身を囲む小さな世界を変えられたという経験は、尊いものだ。

【攻撃ではない武器をもつ賢さ】

現状として、ぼくらが生きているこの社会は民主主義で成り立っている。
民主主義=多数決というイメージを持っている人も多いだろうし、マジョリティとして分類される親父たちは実際に力を持っている。

逆に、若いとか女性とか同性愛者とか、そういった割合的に見た時に少なくなってしまう立場の人間は不利益を被ることも多い。
悪意のない攻撃を受けてしまう機会はマイノリティと分類される人の方が多いはずだ。

それでも昨今、SNSの普及に伴ってそういった人々があげた声が大きなムーブメントになっており、強者として踏ん反り返っていたスケベ親父たちが淘汰されていたりする。

何が言いたいかというと、みんなが武器を持てる時代になっているということだ。

だからこそ武器の扱い方を知るということ、そしてそれを使わないで済むような道を模索しようとする姿勢のことを賢さと呼ぶのではないかと思う。

攻撃し合うことの多くは意思表示か自己弁護のためであり、これらにはそれなりの論理がある。
どちらにもどちらの論理がある故に平行線で、交わることはない。
出発点の"違い"故に、交われないと断定して、即座に攻撃という形になってしまうことが話し合いの中でも多々起こる。

それは親しい友人や恋人といった間柄でも、SNS上の顔の見えない関係性でも変わらない。

往往にして、ぼくたちは自分たちと異なる者を攻撃し排除するという傾向があり、生きている限り自分とそれ以外の関係性の中で間”違い”探しを行なっている。
戦争は、命をかけた間”違い”探しのようなものだ。

だから、

攻撃の前に、断定の前に、思索を繰り返し相手の見方と感情を少しだけ味わってみることで見える世界が変わることもあるってことを知ってもらえたらと思ってこの話を書いた。

店の女の子が、
「あのおじちゃんたち寂しいんやろね。いつも家に帰るの嫌がっとったし、なんか子供みたいやったわ。変に強く無理とか言わんでよかったって思う。ちょっと、おじちゃんの気持ちわかった。」
と言っていた顔は今でも忘れられない。

優しい人というのは、自分の気持ちも他者の気持ちもわかりすぎて身動きが取れなくなるという体験と向き合い続けた人のことだ。

長々と書いたけれど要するに、一旦話聴いてみん?ってこと。

人間関係を断ち切りがちな自戒も込めて。

ハッピーバレンタイン。

この御恩は100万回生まれ変わっても忘れません。たぶん。