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"スキマ"が可能性という名の花を咲かせる

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「1年生になったっらー。1年生になったっらー。ともだち100人できるかな」という歌を聴きながらぼくは小学生になった。

それからしばらくして、世界に一つだけの花という歌が大ヒットした。
どちらも当時は耳に残るメロディで口ずさんでいたが、今思えばどちらも中々どうして考えさせられる歌詞だ。
前者は友達100人という恐ろしく期待値の高いハードルをポップなメロディでちょろまかしながら謳っているし、後者はナンバーワンじゃなくてオンリーワンなんていう綺麗事がまかり通らない時代にマイノリティとして生きている誰かの叫びが美しく謳われている。

そんな風に幼少期に聞いていた歌を再解釈できるのは、加齢の過程で味わえる数少ない大人の醍醐味ではなかろうか。
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◯新しい環境における処世術を伝授

控えめに言って、ぼくは人が大勢いるところがものすごく苦手だ。

知らない人間がたくさんいる場は特に。

そして、親しき者共から頻繁に言われることだがぼくは客観的に見るとムスっとしているらしい。
端的に言うと、愛想がないのだ。
でも別に好きでそんな顔で生まれたわけではないし、拗ねて拗らせてムスっとして「私。怒ってるんだよ。」というアピールをしてくるちょっとめんどくさめの女的なタイプでもない。

元々、そーゆー顔なんや。許せ。

と思っている。

でもまぁ、その場を不快にさせたいわけではないのである程度、場に迎ご、いや馴染むために編み出したぼくなりの処世術が3つあるのでご紹介する。

①口角は上げておく
→面白くない場合は無理に笑わなくてもいいが、真顔でいると不機嫌で思われる。口角上げとけば妙に気を遣われることもない。
②声のトーンも少しあげる
→低音ボイスより高音ボイスのほうが好感度が高いとケンブリッジ大学のなんとか博士が言ってた。
③「ありがとうございます」「すみません」「挨拶」を徹底する
→これは小学3年の時に習いました。


以上3つの項目を実践し、昨日は最近入ったコミュニティの発表会にいた。
コルクラボというコミュニティだ。


ぼくの涙ぐましい実践のお陰かどうか定かではないが、発表会後の懇親会で運良く2人の感じのいい人たちと語り合うことができた。
メガネの奥の瞳がやたら優しくて綺麗な男性とお店の人かな?と見紛うほどテキパキとサーバントリーダシップを発揮していた女性。
2人のお陰で懇親会開始後30分くらいで「帰ろか・・」とウズウズしていた気持ちを払拭できたし、会費の4500円を消費ではなく投資という観点で解釈することに成功したのは感謝してもしきれない。
このコルクラボというコミュニティは"コミュニティ"というものに興味がある人が集まっているので、ぼくらも自ずと"いいコミュニティとは何か?"という話を語らうようになった。


◯役割を見つけ"演じる"に至るまで


話しているうちに2人の口から出たのが"不安"という言葉だった。
聞けば、どうこのコミュニティにいればいいか、環境に馴染もうかというのはけっこう思考錯誤して活動したとのことだった。
贔屓目に見てもぼくの7万倍くらい社交性や共感生に優れた人類である2人でも、そんな風に不安を抱くんだなというのは少しホッとしたのと同時に不思議にも思った。


馴染むために自分ができることを探してなんとかこなしたという2人の表情に少し違和感を抱いたのだ。
そこには安堵とともに微かな焦燥が見えたから。


人が新しいコミュニティ、場、環境といった集合体に溶けもうとした時、多くの場合その中での自分の光の当たり方を見つけることに力を注ぐように思う。
自分のキャラクターや役割を見つけ、そのポジションとしての自己を確立するということだ。
例えば、クラスのお調子者的な道化キャラであったり、「男子掃除しよー」的な皆んなの世話をするお母さんポジションだったり。
一度そうしたポジションを確立すると、他者からの興味・関心・認知・親しみといった光が当てられる。
そして、そういったポジションであるという前提を元に他者がコミュニケーションを取ってくれるので不安に思うことなく場にいれるようになる。認知してくれた自分のキャラを元に皆が接してくれるからだ。
そして、そんなコミュニケーションを外界から眺め取り巻く人はその空気を敏感に察知し「あの人はあーゆー人」という認知の集積が成され、それが居場所の構築につながっていく。これが最初の段階。

一定の構築が終わった次には、一度築いた居場所を守るということに人は全力を注ぐ。
居場所を作るために探して手繰り寄せた自己の一部としてのキャラクターを、今度はそのキャラクターに自分を全力で寄せにいくのだ。

キャラを"演じる"ということがここから始まる。

居場所を守るため、その場で自分が認知されているキャラクターに即した行動をして、光の当たる役割を徹底的に演じる。
キャラが被ってると周りに言われる人たち同士が積極的に関わらないのはこの原理が働いていると思う。被ったら存在意義が揺らいで、居場所が無くなってしまう可能性があるから。


この演じっぷりが見事であればあるほど安定感をもたらすが、そこからはスキマの無さも生まれる。
スキマが無いと、新しく入った人間は自分の置き所を見出せない。
設計された役割を完璧にこなす既存のメンバー達に新参者が馴染めず、根付かず、去っていくというコミュニティをぼくはけっこう見てきた。
スキマの無さは、新参者がその場に参加する敷居の高さに比例する。
そして面白いなと思うのは、既存のメンバーも演じることに疲弊し、いつしか本来の自分のままでいれる場を求めて去っていくという流れがあることだ。

スキマの無さは安定を生むが、長く続くとそれは停滞に変わり、そのうちゆっくりと着実に衰退という影が忍び寄るんとちゃうかと思っている。


◯スキマだらけのぼくの友人


話は変わるが、ぼくの友人にハチという男がいる。
何かの間違いで、恵比寿様とカピパラがフュージョンしたらこんな仕上がりになるんだろうなというルックスをしている。
もう4年くらいの付き合いになるが、毎年夏になると「とりあえず本格的に夏に向けて痩せるわ。ムキムなる。」というセリフを彼から聞く。
だから、彼からそのセリフを聞くともうそんな時期かとぼくも夏の訪れを感じて半袖の用意を始める。

夏の風物詩みたいなものだ。花火大会のチラシとかそんな感じ。

ハチはその「痩せるわ」宣言の後に、炭水化物MAXのどんぶりを大盛りで頼んだりするような男だ。
周囲の人間が、

「さっき痩せるって言うてたやんwwwwwww」

と言うと、

「いや、明日からの話や。」

と真顔で返ってくる。

周囲の誰もが、ハチの言う"明日"は永遠に来ないことを悟り、その場に温かくて大きな笑いがドッと起きる。
ぼくはそんな彼が好きだと思うけど、そのキャラちょっとずるいなぁと羨ましく思う。
彼の温和なルックスと完璧とは程遠いチグハグだらけでツッコミどころ満載の言動は初対面の人間をも容易に巻き込むからだ。

先日会った時も、また一段とすくすくパンプアップしたお腹を撫でさせてくれた。
「そろそろ臨月や。」

とハチが言うと、近くにいたちょっとチャラめのお兄ちゃんが、

「マジっすか!?wwww」とのっかってきて会話が始まった。

本当にスキマしかない男である。そのスキマの無さが垣根を越えやすくしてるんだ。

◯アスファルトのスキマに咲いた花の方が


話を戻すと、人というのは場によって性格を変えたりキャラクターを作ったりすることができるってこと。
多面的で流動的な性質を併せ持つので、複雑な生き物だと思う。
いや、成長の過程で複雑になってしまった生き物と言ったほうが正しいか。
いろんな顔があり表には出ない内なる叫びがあるのに、場に合わせて自分の役割をガチガチに固定してひたすら演じるという等閑行為を続けると、摘んでしまう可能性もあるのではないかと考えている。

道化キャラが「たまには真面目に語りてぇ!」と叫べば、道化ではない自分の魅力を見出してくれる新しい仲間が見つかる可能性が芽生える。

お母さんキャラが「何もしたくなーい!手ぇ抜きたーい!」と叫べば、甘えさせてくれるまだ見ぬ救世主が現れる可能性が芽生える。

そんな可能性を摘んでしまってるんちゃうかと思ってしまうのだ。

建設的に安定を崩して新たな可能性を生み出し、つながれたはずのつながりを紡ぎたいという願いを叶えるためにぼくはコルクラボに入った。

その為には、弱みをデザインした緩みから生まれる新陳代謝を促進することが必要なんじゃないかというのが今の仮説だ。
これは分かり次第、またnoteに綴る。


最後にちょっと質問したい。


アスファルトの隙間から咲く一輪の花草原に咲き誇るたくさんの花


どちらが、長く命を全うして咲き続けられるか知っているか。

答えは前者。
理由は、日の光を奪い合う競争相手の存在がいないから。

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