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新卒入社した会社にマネジメントスキルを持った先輩がいなかった場合の対処まとめ


治まってきた目のかゆみと減ってきたくしゃみの数。
景色の隙間にここぞとばかりに咲き散らかす桜。
時折20度を越えだした日中の暖かさ。
Instagramに埋め尽くされる女子大生の振袖姿。
時間をおかずにまた埋め尽くしてくれたのは入社式の写真でしょうか。

どれも本格的な春のお知らせですね。

今年は44,5万人が大学から企業に就職をするらしい。
そのうちの1人の女の子が

「にゃん吉さんの周りに、入社してすぐに就職したことを後悔した人はいましたか。」

と何か答えを求めるような瞳でぼくに言った。

額面と手取りの給与が違うということを知らずに額面の給与が口座に振り込まれず上司に「この詐欺師が!」と突撃した友人の話と新卒研修中に同期と付き合い始めた知り合いを例に出し、前者はその常識の無さと怖いもの無さが買われ今はトップセールスとして活躍しており、後者は夏が終わる頃にはインスタのストーリーから仲睦まじい投稿が一切消えたけど後悔はしてないんじゃないかなと伝えると、彼女は苦笑いを浮かべた。

どうやらぼくは外してしまったらしいと思いながら、彼女の次の言葉を待った。

「正直、もう辞めようかと迷っています。入社して3日目でいきなり営業に行かされました。渡されたのは、分厚い営業のトークスクリプトだけです。社会人経験は必要だなと思ったし、ベンチャーだから成長機会がすぐにつかめると言われ、優秀な人が多そうだと思ったから入社もしました。最初はビジネス的なことはわからないことが多いと思うし、ベンチャーなので別に終電で帰ったりすることがしばらく続くのも仕方ないとある程度覚悟もありました。それでもこの先この会社にいてろくなフィードバックもなくマネジメントもしてもらえず働かされるくらいなら自分で稼ごうと思います。」

彼女は、元々フリーでデザインを生業としていた。
週3日くらいの時間をかければ月40万円程度の収入もあるらしい。

純粋に社会人経験をたくさん経てきた大人の皆々さまはこの新卒3日目の彼女の話にどういった所感を得るのだろうか。

自分の採用単価も知らずに甘えたこと吐かすなと思うのだろうか。
まぁ、今時の世代だよねと割り切るのだろうか。
3日しか経ってないのに何を言ってるんだと憤るのだろうか。

去年、ぼくの周りで話題になっていた記事にこんなものがある。


記事中で"モンスター新人"と揶揄されているカテゴリにこのまま彼女も辞めれば分類されてしまうのかなと思うと、なんだかやるせない気もした。
ぼくは新卒入社という経験をしたことがないけれど、さっさと見切りをつけて辞めたいと思うが本当にそれでいいのだろうかという葛藤を経験した会社もあったので、彼女から零れだす迷いにもふむふむしながら聞いていた。

そして、共感と同時に
もし辞めずに続けても、いずれ苦しみが増す時が来るかもしれないなぁという考えも過ぎった。
彼女自身の中にある無意識の前提が垣間見えた気がしたから。
それは彼女の言葉の端々から感じた、「優秀な人が多い環境の中で仕事を教えてもらえるだろう」という"期待"だ。
これらはあって然るべきものだと正直思うし、「学生の間では学べなかった仕事のやり方を教えてほしい/育ててほしい」という期待をして入社する人の方が今の新卒の皆さんの過半数を占めるのではなかろうか。
44万人中30万人はいると見た。

しかし、そもそも日本の現代社会において適切に人を育てたりマネジメントをしてくれる人ってどれくらいいるのだろうか。

◯優秀な人がマネジメントもできるとは限らない現実


「"優秀"という烙印を周囲から押される人はどんな人か」と聞かれたら、どんな人を想像するだろうか。

・頭の回転が早い人
・いろんなことを知っている人
・人脈があってそれらを上手に使える人
・突出したスキルも持っている人

前出のデザイナーの彼女は「右脳と左脳のバランスがいい人」だと答えていた。

どれも間違ってないし、いずれも正解だと思う。

でもこの問いに、会社/組織の中でという枕詞がつくとどうだろうか。
この問いに対してぼく個人としては、
期待される成果に対して、何がなんでもその期待値を超えた成果を出せる人」と解答する。

社員と会社、この両者の関係を安定して保つには、求められる成果とそれに対しての適切な報酬(金銭、環境、意義etc..)の均衡が必要だ。

そして、優秀な社員と位置付けられる人はこの成果というものを出すことに集中するのが上手だ。
入社してすぐの時期から成果を出すということに長けている人は、何かしらの尖があることが多いように思う。
そして、尖りの部分が結果としてわかりやすく成果につながったりもする。
目立つし大きな夢を抱いているようにも見えるので、先輩から目をかけてもらえる確率も上がる。
そうした錯覚資産を駆使して、自分個人の実力をつけていく。
自分の実力に対して会社からの見返りが正当だと認識すればそのまま残っていつか昇進するし、正当じゃないという認識になれば転職か独立をして地位とやりがいが高まるポジションに自分を移し、また成果というものを貪欲に求めるというサイクルが始まる。

そして、あの人は仕事がデキる優秀な人というイメージが固定化される。

優秀だという評判が流れると、どうすればそうなれるのかというノウハウを学びたいという人が集まってきたり、会社に人材の育成も委ねられたりする。

この瞬間はさらなる飛躍のチャンスでもあれば、危機を迎える瞬間でもある。
もしそれまで個人プレーのみをひたすら行ってきたのあればツケが回ってくるタイミングだ。
社内でのコミニケーションやチームビルディングなどといったものを一切無視して評価を勝ち獲ってきた人も多い。世の中綺麗事ばかりで回っているわけでもない故に、中長期的に観たときに非常に重要な要素を占める信頼の構築などを無視して、短期的な目標ばかりを達成してきた人がどんどんポジションを上げていくという事例は少なくない。
そういった人は、上の立場の人間とのコミニケーションは慣れていても、年齢が下の世代とのコミニケーションが苦手だという場合が案外多い。
そうして、人の育成やマネジメントの時間を忙しいという理由で取らなかったりすることが積み重なり、部下に離反されるという出来事が結構な確率で起こる。
会社も、わかりやすく売り上げにつながるような成果を出してくれて優秀だという認識をしていた人の欠点に、はじめて気づく瞬間がこの時だ。

この"優秀"な人材が人をマネジメントすることって大事なんだというマインドを持って自分の欠点に真摯に向き合えるかどうかは正直、運だと思っている。
先延ばしにしてた夏休みの宿題のしんどさを今でも忘れられないのと同じで、自分が苦手だと思って避けてきたことは時間が経てば経つほど重くのしかかってくるから、よっぽどのことがないと向き合おうとも思えない。
会社としても成果は出てる人材故に、扱いを変えることも難しいし優秀な人のポジションが変えられるということはあまりない。

そして、結果としていつか会社にとって大きな存在になりえた人材がただ流れていくということに陥り、ゆっくりと、でも確実に衰退へと向かって歩みを進めることになる。

ちなみに、こういった短期的志向の会社にずっと残る人は、思考停止しているor余程会社の何かが好きで自分が変えてやろうと意気込んでいるかのどちらかだ。

どちらが多いかは明白だろう。

◯会社への期待値を下げ、自分への期待値を上げること


ということが、新卒1年目になる44万人分の1の君が入社した会社でもしかすると起こる可能性がある。
入社して自分の上長になった目の前の人に対して、なぜもっと仕事を教えてくれなのだろうという疑念を持ち始めたら、こういった背景があるのかもしれない。もしかしてだけど。

これはあくまで1つの例だが何にせよ、高すぎる期待は現実とのギャップの苦しみに直結するし、悲劇しか生まない。

だから、"自分を育てながらも自身の成果も出せる優秀な先輩がたくさんいる会社に入社した"というキラキラした前提は一回壊しておくことをお勧めする。

就活の時に人事の人が話してくれた会社像はとても魅力に溢れていたかもしれないし、人事の人がとっても魅力的で「こんな人と一緒に働きたあぁぁぁぁぁああい」と思っていたかもしれない。
それでも、入社前と後のギャップは避けて通れないもので、魅力的だった人事の人と一緒に同じ部署で仕事ができる保証はどこにもない。
ましてや、そういった人事の人も会社の外面と組織の実態の乖離で苦しんでいたりもすることが多く見受けられる。世知辛い。

そして、もう1つお勧めするのは
"自分はマネジメントされる立場である"という認識から"自分が自分と周囲をマネジメントする"というマインドを少しずつ持つことだ。

このマインドのシフトは、これから起こり得る現実への期待値をかなり健全に調整できる。
そのためには、どうしたもんかなぁと考えてみたことをいくつか列挙する。

①じっくりと確実に社内の生態系を把握する
新しい環境に飛び込むというのは、そこ独自の法則と規範や社会力学が存在する世界に移り住むということだ。
どの職場にも独自の慣例と行動規則と作業基準があるもので、まずはそれが何かを把握することをお勧めする。
もし入った会社に違和感があるなら、それはおかしなことじゃない。
新しい環境の全てがこれまでの個人の経験をこえた現実として押し寄せてくるので、慣れるのには多少時間がかかるもんである。
そしてまた、共に働く人たちの性質と力関係を見つめるのも大事だ。
同僚というのは、同じ時代に同じ国で同じ会社という共同体の中で、たまたま共に働くことになった他人である。
だから、いきなり最初からわかり合うことは難しい。
それでも、協働はしないといけないから、こいつは何が優れていて、弱点は何で、どんな渇きが原動力になっているのかを見極めること。
いずれ自分が本当にやりたいことを成し遂げるには、人を動かすことが必要になってくる。
その為には、リーダーシップも必要だし同時に他人への理解も必要だ。
残念ながら生きていく為には、不慣れな環境の内情を観察する能力は欠かせない。ぼくは最初は慎重すぎるくらいで動くようにしている。
面倒だけどね!

②上司と自分のタイプを把握する
会社ないし上司は今の自分に何を期待しているのだろうかという、期待値の擦り合わせをまずは行っておいた方が良い。
特にベンチャーの場合は、わりと放棄することと任せることを履き違えたマネジメントが横行するケースが多い。"自走"とか"新卒でも裁量権"とかをやたら押し出している会社はその傾向がある可能性が高い。
健やかに働く為には、まず上司がどのようなタイプなのか把握すること。
レスが早い方がいいのかとか細かい部分も大事だが、どのようなスタイルで人と接するかを視ていくと大体のタイプがわかる。
上記のような放置プレイ芸人なのか、「根拠は?」とか文面でバチバチに詰めてくるエビデンス芸人なのか
「君もいずれは〇〇のポジションに」みたいな夢持たせ芸人なのか、寄り添いながら適宜フィードバックをくれるようなスーパーマネージャー芸人、なのか。
タイプ別に性質を細かく書き出すと長くなってしまうので割愛するが、言いたいのは完璧な人間というのはいないということ。どんな上司にも欠点もしくは自分と相容れない部分が必ずある。
また、そんなに大きくない会社の場合は、社長の性質が会社には全面に出るので社長もよく視といた方がいい。

そして、そもそも自分はどういったタイプなのかも理解しておくこと。
放っておいてほしいタイプなのか逐一アドバイスが欲しいタイプなのかといったことは働き出したら分かってくるものだ。
自分への理解が深まったタイミングで、自分のタイプとトリセツ的なことは簡単に上司に伝えてみるのが良いと思う。
部下への接し方に一切の迷いもないという鉄人みたいな人はそうそういないので、きっと上司にとっても有益な情報になる。
それを無視するような奴なのであれば逃げ出すことをお勧め致します。

③時には自分を甘やかす
迷ったら、余白の時間を作ること。
自分が当事者として何かを良くしようと動けば動くほど空回りすることもあるし、自分の仕事の意義を見失うことも出てくる。
そうなった時には、自分だけの時間を作ってあげることが予防線になる。
個人的なお勧めは美術館だ。
美術館に行くと白い壁と作品とぼくだけがただ在り、作品がぼくを見守ってくれているような感覚になる。
そのただ白い世界にいるとなんだか守られている安心感を感じ、ふっと気が緩んだ瞬間に解決策が浮かぶということがある。ぼくだけかもしれない。。。
まぁとにかく、逃げずに向き合えという意見もあるかもしれないけれど、人間は有限だし無限に走り続けることなんかできない。表面的に話し合って出された結論なんかにクリエティビティは宿らないと思うので、余白としての独りの内省の時間は持つべきだと思う。

④とりあえず、一旦成果を出してみる
これまでとちょっとテイストは変わるけれど、成果をだすということを1回やってみることをお勧めする。
だいぶ熱血な記事になるけれど、これに言いたいことが全部書いてある。


成果が出ると、周りの見る目が変わる。
見る目が変わると自分にとって楽しい循環が生まれる1つのきっかけになるし、停滞感から抜け出すことにもつながったりもする。
数字として結果を出せなくても、レスを早くするとか前以てしっかり伝えておくとかそういう基本的な事柄を徹底するだけでも最初は良かったりするから、出来ることからはじめてみるのもいーんでないと思う。

◯主語を自分にして、自分が自分のマネージャーになる

これまで長く書いたけれど、
結論として言いたいことは、自分にチャンスや成長機会を適切なタイミングで渡してくれて随時最適なフィードバックをくれる夢のような上司や会社はまずないから、自分自身が自分のマネージャーになるのはどうかということ。

かの有名なドラッカーさんはマネージャーをこのように定義している。

マネージャーとは、組織の成果に直接の責任を持ち貢献を行う人間である。

これは、企業活動の中におけるマネージャーの定義だから、自分自身のマネージャーになるということは個人的にはこのような意味で捉えている。

(自分の)マネージャーとは、自分の成果に直接の責任を持ち貢献を行う人間である。

自分の成果とは、何かを成し遂げた自分の未来の姿だと捉えてもらって良い。
その未来を実現するために、自分の成長に責任を持つことで仕事は楽しいものになっていくんじゃないかと思う。
そうすれば自然と主語が自分になっていく。

新しい環境に飛び込むと色々な人に色々なことを言われたり見たりするから、他人モードの思考に支配されてしまう。「〇〇さんがこう言っていたから」「〇〇がしてくれないから」といった思考になっちゃうのだ。
こうなると元々やってみたかったことを忘れてしまったり、いつか自分というものがなくなったりとても苦しくなってしまう。

そうなる前に、自分を主語にしてやりたいことをやっちゃおう。

そういった背中を見せることが、いつか入ってくる後輩への刺激につながったりするかもしれない。

ぼくは義務という言葉が嫌いだけれど、
それでも、仕事というものは楽しいのものなんだよという自負を持って働き、次の世代にバトンを渡すということがぼくらに課せられた納税よりも大事な義務なんじゃないだろうか。

いや、脱税してもいいとかって言ってるわけじゃないよ。

この御恩は100万回生まれ変わっても忘れません。たぶん。