見出し画像

障がい15周年を迎えておもうこと

今年も5月25日がやってきました。今日は私が初めて手術をした日。毎年のことながら、いろんな思いがこみ上げます。そんな思いを今日はブログに書き記しておこうと思いたちました。

なぜなら今年は、障がい者手帳をもらってから15年という節目の年だからです。

 15年前の4月。

5月に控える手術を前に東京から地元の北陸に引っ越してきたところでした。

東京で美容師として働いていて、あと少しでスタイリストになれるという矢先…足の付け根の激痛に耐えられなくなり東京の病院を受診したのがキッカケです。

股関節に疾患があり手術をしなければいけないと分かり、父親の知人に紹介してもらい京都の病院で手術をする事を決め、仕事を辞め夢を保留にして地元に帰ってきたのです。

その頃は、手術したら完治して元通りの生活が送れると思っていました。

その後、手術をしたものの術中に神経が傷つき、神経麻痺となり足首が動かなくなってしまいました。「歩けないかもしれません」と言われ、当時は股関節よりも足首のリハビリばかりやっていました…。下半身の感覚も無くなっていたので最初はオムツをしていました。

 私は長い間、個室にいたので他の患者さんとの交流は殆どなかったのですが、少し落ち着き大部屋病棟に移ると、若い男の子たちとの出会いもありました。

 私が入院していた病院の整形外科は交通事故やケガなどで入院してくる方がおらず、若い男の子たちは全員、骨肉腫という疾患をもつ子達。私より3つから6つ年下で、まだ10代の彼ら5人と友達になりました。

 毎日一緒にお喋りしたり、夕飯を食べたり、時には車いすで病院を抜け出したり。彼らが抗がん剤治療を受けている時は外に出られないので全員が集まることはなかなか無かったけれど…同級生たちが「学校だ!恋愛だ!仕事だ!」と謳歌している世界からぽっかりと切り抜かれた病院という場所で、私たちは仲間になりました。幽々たる場所にワケもなく無理やり押し込まれているような日々を共に過ごす…その結束力はとても固かったです。

 出会った当初、私は骨肉腫がどれ程の重い病か知りませんでしたが、同じく入院中に仲良くなった看護師の友人から「深入りし過ぎない方が良いよ。辛くなるかもしれないよ…」と告げられ、初めて生存率の低い病気なんだなと何となく認識しました…。それでも、昼夜をともに過ごし、それほど深くは考えてはいませんでした。


しかし現在、5人中4人がこの世にはいません。


私は、あの時初めて「死」というものが本当に存在するのだということを痛感しました。

名状し難い怒りと苦痛、そして絶望感は10数年を経た今も消えることなく私の中に居座っています。

 彼らの存在が私の人生に与えた影響はとても大きいのですが、15年前の当時はまだそんなことを予想することもできず…ただ、ひたすら足が動きますように!歩けるようになりますように!そして、もう片方の足も手術しなければいけない。

ここから美容師復帰なんて絶対にあり得ないと自分自身が1番痛感していて、どうやって生きて行けばいいの…?と思い悩む日々。

闘病中はカラーコーディネートの勉強をして資格を取ったり、ネイル検定を受けたりと奮闘しましたが、そんな事したくらいじゃ何にもならない気もしつつ、それでも何かしていないと不安に押しつぶしされそうで、しんどい毎日だったことだけは覚えています。

 そんな中、大学教員の父親から一言「大学受験したらどうか」と言われました。

大学生なら夏休みや春休みもあるので、休みを利用して手術も出来るし時間の融通も効くから…「専門学校の単位を利用して編入学したらどう」と提案され、変化も怖いし、勉強も得意な方ではなかったので最初は悩みましたが、「では、ここからどう生きていくのか」を問われ腹を括り勉強を始めました。

私にとっての15年前は人生の分岐点でした。

 美容師を辞め、今まで出会った事のない人達と出会い、想定していなかった出来事をいくつも経験し、新たな道を進むしかなくて進もうと奮闘を始めたそんな年でした。

 

今日、5月25日は私が初めて手術をした日です。15年前の今頃は、ベットの上で下半身の感覚が無い事、その理由を説明され、心配しすぎて泣いているお母さん…。痛くて痛くて仕方なかったことを思い出します。

 ただ歩けるようになることを望んでいたあの頃からすると、今の私は幸せ過ぎです。多くの方に出会い、多くの方に支えられ…。ただただ、感謝の気持ちしかありません。

 そして、私は有難いことに今日も生かされています。何故、同じように病院で過ごした仲間の中で私は生かされているのか。その答えは出ませんが、私にしか出来ないことがあり、それを人のために使うことができるはずだと信じています。

 そして今私は、業務改善×障がい(多様性を形成する一つ)で社会の働き方を大きく変え、よりよい社会づくりに貢献したいと、まい進しています。

 最後に、15年という節目に改めて伝えたいです。

これまで出会ってくれたみなさま、支えていただいているみなさま。本当にありがとうございます。今日のこの思いを大切に、15周年の今年1年も大切に過ごしたいです。

 これからもよろしくお願いいたします。

画像1

(当時、車椅子に乗りながら受験勉強してた私)

心のバリアフリーを目指しています。理事、編集長として活動しています。

テクノロジーを使った働き方を考えています。代表取締役として活動しています。

※こちらは、2018/05/25に書いた記事ですの転用です。http://ayanamotoyama.hatenablog.com/entry/2018/05/25/000000

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?