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やっぱり写真しかない、 一度手放して気づいた自分のやりたいこと。

写真をみると記憶が鮮明に蘇り、その時の匂いまでもが思い出されるような気がする。写真の情報量ってすごいんだなと思う…… 
今回はそんな写真のお仕事をしているカメラマンの竹内由美子さんのお話しです。

竹内ちゃんとは20年前くらいに大阪にいたころバイト先で出会った。お互い学生だったのに、今では立派なカメラマンになっていて、時の流れをしみじみ感じました。いや〜成長したよ、私たち。(笑)


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プレッシャーに押しつぶされ人生諦めかけていた時に、友達の一言が抜け出すきっかけに

──写真はいつから撮ってたの?

竹内:中学の頃からかな、家にあったコンパクトフィルムカメラで、友達と遊ぶ時はいつも写真撮っていた。撮った後に現像してアルバムつくるのも楽しくて、夢中になってつくっていたな〜。とにかく「目の前で起きている楽しい瞬間を全て撮り逃したくない!」っていう変な執着があったんだよね。今までつくったアルバム数えると90冊くらいになっていると思う。

──めっちゃある(笑)

竹内:大学卒業後はカメラの仕事について、初めは楽しく一生懸命やっていたんだけど、途中から自分が何をしたいのかよく分からなくなっていってた。忙しくて体が疲れていたのもあると思う。ただ写真が好きっていう思いだけで仕事を始めたから、カメラや撮影の事を学びたい最中だったのに、会社が忙しかったのでアシスタントから一人立ちするのがすごく早かったんだよね。だから、一人でこなさなきゃっていうプレッシャーがすごいあった。1案件終わっても次の日また別の案件が待っていて、一息つく間もなくて、とにかく失敗が怖くて怯えていた。

当時、毎日まいにち仕事して、こんな風に一生終わっていくなんて人生はなんとつまらないものなのだろうと絶望すら感じていて、友達によく居酒屋で愚痴ってたな。ある時ふと「海外行きたいな〜」って口にしたら友達に「じゃあ、行けよ」って突っ込まれて、そこでハッとしたんだ。なんとなく海外に行きたいなとぼんやり思っていたけれども、友達の一言で「あ、海外行けばいいんだ!」っていろんなことが吹っ切れた。それで1年後に会社を辞めてオーストラリアに行くことにした。


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英語なんて話せないけど、とにかく楽しい
できる自分に出会うことで、自分を取り戻していった

竹内:はじめに語学学校に通ったんだけど、そこで初めて外国人の子と英語で会話するのよね。それがすごい楽しかった! 何言っているかさっぱり分からなかったし、知ったかぶりする自分もいたりして、まともな会話してなかったと思うけど、全てが新鮮で楽しかった。2週間でバイトをクビになることもあったり、辛いことも色々あったけどオーストラリアが自分の価値観を変えたなって思う。

──留学してる時は、写真とか撮ってたの?

竹内:当時は写真のことがめっちゃ嫌になっていたから、もう自分がカメラマンという自覚は全くなかった。でも、何者でもない状態で普通にコンデジで写真撮ってたかな。


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結局私は、写真をとることしかできない。

竹内:その頃、オーストラリアで出会った方とお付き合いしていたんだけど、日本と海外の遠距離してたんだよね。私は日本で彼に会う為だけに地方の旅館でバイトして、お金貯まったら彼に逢いに行って、一緒に世界を旅して、お金無くなったら日本に戻ってまたバイトする生活を繰り返してた。彼のことは一緒になりたいくらいめっちゃ好きだったけど、先の見えない生活がしんどくなって、やっぱり日本でちゃんと働こうと思い、とりあえず地元鳥取で仕事を探すことにしたんだ。

仕事を探す時に、自分は何ができるんだろうって考えたら、やっぱり写真しかなかった。鳥取で写真関係の仕事を探すとウェディングカメラマンしかなかったから、とりあえずやってみようと思ってウエディング会社に就職したの。

一度手放したからかな、やっぱり写真撮るのが好きなんだなって撮影しているときに気がついた。ウエディングの撮影は昔やっていた広告写真の仕事と全然違くて、被写体が反応してくれるし、誰の為に写真を撮っているのかが分かりやすいのもよかったのかも。


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竹内:でも、まだ海外にいたい自分もいて、その時ちょうどグアムでウエディングフォトグラファーを募集しているのを見つけたの。即行応募したよね! これで仕事しながら海外に行けると思うと、ウエディングの仕事していてほんと良かったと思った。(笑)

──再び海外へ、ですね。

竹内:グアムは楽しかったけど思ったより仕事が超ハードで大変だった。会社のやり方も合わなくてストレス溜まって、友達に相談しては泣いてるみたいな日々をすごしていた。でもその頃からかな、自分の写真に対して変化があったと思う。

──どんな変化?

竹内:海外で仕事するのって言葉の壁もあるし、リスクも多いんだよね。そんな環境の中で一人前に撮影している自分がすごいって思えるようになって、自分に少し自信がついてきてた。自分に自信がついてくると、自分が撮った写真にも自信が持てるようになって、私の写真って悪くないかも? あれ? 私の写真いいんじゃない? って段々と自分の写真が好きになっていってた。


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竹内:そんな時、カメラマンの先輩からバリ島の仕事を紹介してもらえそうになったんだけど、いろんなタイミングが合わなくて、なぜか石垣島に行くことになったの。日本に帰りたくなかったから最初は乗り気じゃなかったけど、来てみてわかった。石垣島っていい場所なんだよね。ちょうどいいサイズの広さで簡単に海までいけて、美しい自然もすぐそばにあるし、程よくものも揃っているから生活に不便はしない。友達も徐々にできてきて、次第に石垣島が好きになっていってた。あと、石垣島独自の文化も面白くて、日本だけど日本じゃない特別な場所って感じたのもあるかも。

──確かに、なんか解放的というか、のんびりというか、いろんな人を受け入れる感じあるよね。

竹内:そんな石垣島のこといいなと思ってきた頃に、バリ島へ転勤という使命がきてバリ島にいったんだけど、コロナの影響で街がロックダウンになっちゃった。撮影もストップしてしまい家でじっとしていた時にふと「人生で何が大切なんだろう」って考えたんだよね。そしたら「自分を心地よくする為に時間を有効に使いたい」って自分の中に浮かんできた。組織や人に合わせて自分を抑えて生きているのが馬鹿らしくなったんだよね。だから、帰国して退職しようってその時決意できた。

ロックダウン解除後、石垣島に戻って会社に退職したいって伝えて、フリーランスになった。その時はフリーになることが自分でも自然なことだったので、やるしかないって思ってた。フリーになったことが私の人生で一番影響大きいかもね、考え方とか全て変わったな……

〉後編につづく
後編では竹内ちゃんの感じている写真の魅力と、これからの自分との付き合い方を語っていただいてます。続けてどうぞ。



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〈プロフィール〉
Yumiko Takeuchi
1981年生まれ フォトグラファー&ビデオグラファー
大学卒業後、5年間大阪にて広告写真事務所に勤務。
2008年より2年間、オーストラリアへ滞在。
様々な出会いや経験を経て、帰国。
またアジアを始め、サウスアメリカ、アフリカ等、各地へ旅行を続ける。
2012年、フォトグラファーとして再始動。
日本、グアム、バリ島での活動後、石垣島を拠点にウェディング、ポートレートの他、フォトジャーナリストとして写真を撮り続けている。

Yumiko takeuchi portfolio
@yumikotakeuchi_photo
@yumikobigote  



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