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広島大学文学部編入学試験問題を読み解く

はじめに:この原稿は私が過去に受験した編入学試験の問題に対して解説と解答例を記述したものである。

出典:広島大学文学部編入学試験(平成17年度)
科目:専門基礎科目倫理学

Ⅰ:英語問題文概略(問題文の詳しい内容は省略):バトラント・ラッセルの著書からの英文を出典、内容把握の読解問題を四題出題された。
Ⅱ:現代文論述問題文概略(問題文の詳しい内容は省略):三谷 隆正『幸福論』岩波文庫の170~171頁からの出典で、二問の意見論述型の記述式問題が出題された。

以下その設問
Ⅰ:英語問題
問1 下線部(1)は、専門用語としてどのように訳されるか。その訳語を答えよ。またその意味について説明せよ。
問2 下線部(2)における‘‘assertion‘‘と‘‘expression‘‘の相違点を述べよ。
問3 下線部(3)を和訳せよ
問4 援助交際は、当事者間の合意による行為であり、しかも他者危害則に抵触しないので悪くない、とする主張がある。これに対して、まず本文の著者(ラッセル)の立場から反論せよ。またこれ以外にどのような反論が可能であるかを検討せよ。
Ⅱ:現代文論述問題
問1 下線部(1)について、あなた自身の立場で論評せよ。
問2 下線部(2)について、ベンサムは幸福をどのように説明しているかを述べよ。

解説
英文読解と現代文読解の総合問題で、計6問である、編入学試験ということもあり、出題内容は基礎的ながらやや専門的なものを含む。制限時間は3時間なので一題あたりの時間は30分もあることになる。判断力重視ではなく思考力重視ということであると思われる。確かに哲学や倫理学はよく考えて答えを出す分野だと思う。英語問題の問1の答えは「本質的価値」である。その意味については「対象に関してそれそのものについて存在する価値基準」となる。例えば環境倫理学の用語で「自然の本質的価値」という言葉なら自然というものそのものに存在する価値という意味合いになる。問2は意外と難問なのかも知れない。assertion(断言)とexpression(表現)の違いについて文脈から判断する必要がある。下線部にあるdesire(欲望)に着目すると。assertionは「~である」と本質的な解釈の定義ができるのに対してexpressionは「欲望の表現として主観的に~」であるという意味に定義が解釈可能であり、圧倒的にexpressionは主観的な方面へ重点が置かれることになる。問3は和訳の問題、「人々は自分の思うように欲望のまま振る舞いたいと考えているが人々が感じているようにそれは出来ない普遍的な障壁がある」つまり倫理というルールがあり人々は欲望通りではない。問4はなにやらややこしい。確かに欲望に力点を置くのであれば社会悪はある程度許されるのかも知れない、しかし、倫理によるルールがなければ秩序は保たれないことになる。そこに倫理法則は線引きという一元化をすることにより秩序を適用するのである。すなわち、援助交際は個人の欲望の範疇を越えてルールとして規制されることが本文の主張を得た上での反論である。さらに社会悪として規制されることは個人にとっては障壁にはなるが結果として社会の規範を作ることになるのであるから社会全体から考えても倫理による生き方を適用する必要はあると言えよう。さて、いよいよ現代文の問題だ。現代文論述問題の問1、そもそも倫理学において幸福とは何だろうか、倫理的な幸福とは何だろうか。宗教の戒律をすべて守り倫理的な生活の結果として幸福なのか。幸福はすなわち倫理の範疇であるとは倫理に即した幸福であるということではある。幸福とは倫理的生活により与えられる要素かもしれないが、確かにそれにはいろいろな違いがあるのではないだろうか。問2ベンサムは最大多数の最大幸福の原理を提唱した人物である。幸福はすなわち幸運とはすなわち幸運にも幸福側に入るという意味合いが取れるかも知れない。

解答例
Ⅰ:英語問題
問1 訳語:本質的価値 意味:対象に関してそれそのものについて存在する価値基準
ex:自然の本質的価値
問2 assertionは「~である」と本質的価値に基づく断定的な解釈の定義ができるのに対してexpressionは「欲望の表現として主観的に~」であるという意味合いの解釈の定義が可能であり、圧倒的にexpressionは主観的な方面へ重点が置かれることになっている。
問3 人々は自分の思うように欲望のまま振る舞いたいと考えているが人々が感じているようにそれは出来ない普遍的な障壁がある。
問4 欲望の自由に力点を置くのであれば当事者間だけの問題に過ぎないならば社会悪はある程度許されるのかも知れない、しかし、倫理によるルールがなければ秩序は保たれないことになる。そこに倫理法則は線引きという一元化をすることにより秩序を適用するのである。すなわち、援助交際は個人の欲望の範疇を越えてルールとして規制されることが本文の主張を得た上での反論である。さらに社会悪として規制されることは個人にとっては障壁にはなるが結果として社会の規範を作ることになるのであるから社会全体から考えても倫理による生き方を適用する必要はあると言えるのではないかと思う。
Ⅱ:現代文論述問題
問1 幸福はすなわち倫理の範疇であるとは倫理に即した幸福であるということではある。幸福とは倫理的生活により与えられる要素かもしれないが、確かにそれにはいろいろな違いがあるのではないだろうか。それらの違いは宗教や文化による違いであるので倫理による幸福とはそれらの違いの影響を受けるのではないだろうかと私は思う。
問2 ベンサムは最大多数の最大幸福の原理を提唱した人物である。下線部の「幸福はすなわち幸運」とはすなわち幸運にも最大多数の幸福側に入るという意味合いが取れる。また、最大多数の幸運を形成するのも宗教や文化などに影響を受けた倫理的な法則に基づくものであると私は思う。

なお、午後から志望する研究室ごとに行われた口述試験では筆記試験での解答をもとに解答に至るまでの筋道などを主に問われる(1人につき約20分間にわたる)合格者は筆記試験・口述試験・志望理由書などを総合して教授会にて決まる。なお、合格基準は学則によると「本学文学部3年次生と同程度の学力があると認められた者」となっている。参考:受験者30名、合格者10名(文学部全体、平成17年度)

以上で解答解説を終わる。力不足のため至らぬ部分や少し混乱した部分に関しては多目に見て欲しい。

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