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あの母の娘

先日の金曜日、自分のために卵を二つ溶いてオムレツを作り、昼はサーモンまで焼いた。

普段、自分一人のために料理する-単なるオムレツでさえ-なんて、滅多にないのだけれど、今週は夕飯を食べない日が多かったので、体が猛烈にたんぱく質を欲していたのだ。

たいてい昼は、週末にたくさん炊いて冷凍してあるキヌアや、まとめて10個茹でて冷蔵庫に入れてあるゆで卵や、アボカドなんかを適当に食べる。

一人の時に

「何を食べようか?」

と考えたり、作るのが面倒なので、自宅で仕事をしている時は、月曜日から木曜日までほとんど同じメニューなのだ。

夫などは

「よくそれだけ毎日同じもの食べて飽きないね....」

と言うが、飽きたら違うメニューに変えて、それをひたすら食べる。

これは母親からの遺伝にちがいない。

母の昼ごはんは、トーストに黒ごまのペーストとハチミツを塗ったものと、ゆで卵。

私や母よりもよほど食い意地が張っている妹は、30歳も半ばになった今でもしょっちゅう

「小さい頃、全然外食に連れていってもらえなかった」

と文句を言っている。

確かに、私も幼い頃家族で外食した記憶がない。

母いわく

「だってお父さんのお酒代がすごくて、全然お金がなかったんだもん」

公務員だった父の20代から30代半ばのお給料といえばそれほど多くもないだろうし、母は専業主婦だったし。

それでも、色々な習い事をさせてくれたし、娘二人を大学まで卒業させてくれた。

その代わり、母が自分のために贅沢をすることはなかったし、少しでも節約して貯金をするという節制が徹底されていた。

栄養士でもある母は、ちょっとした健康オタクでもあり、出来合いのおかずやジャンクフードもほとんど買わず、おやつもよく手作りしてくれた。

妹は、その反動でジャンクフードも外食も大好き。美味しいものためならお金は惜しくない、という大人に成長した。

私はといえば、幼いながらに

「お金がないならどうしてお母さんが働かないんだろう」

なんて不思議に思っていたことが潜在意識に染み付いたようで

専業主婦や、パートしかできない人生はあり得ない

というのが、いつしか人生のモットーになった。

そんな母も、今では週末に妹と銀座でランチをして、京都や温泉なんかの旅行を楽しみ、習字やらヨガやらを習い、数年前に購入した2件目のマンションは、オーダーメイドのキッチンも窓からの景観も、母の夢の結晶。

「ようやく人並みの楽しみが持てるようになった。」

と言っている。

今考えると、それほど悪い人生でもないのかもしれない。堅実という言葉そのものの人生。

私も、もう少し自然に贅沢が楽しめる体質になりたかったけど、あの母の娘だから仕方がないよね。

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