大岡川

桜が散った川の水面に花びらが覆う。そんな花びらが流れるさまを<花いかだ>という。2人は、桜の<花いかだ>の頃に恋人同士になった。

大岡川は、そんな2人の愛と性と死の

物語り......。

第1章 花いかだ

風に吹かれて散った桜の花びらが、水面に浮かび帯のように連なり、流れていく様子がいかにもいかだに見えることから、そんな風情を花いかだと呼ぶようになったらしい。

今年の大岡川の花いかだは、例年より遅かった。4月に入ってからも例外的に寒さ続いたからだ。

私は、3月下旬より1週間ほど、海外へ取材の旅に出ていた。次回の小説の舞台である英国北部にいた。取材が無事に終わった夜に日本からショートメールのメッセージが届いた。

「桜が散らないように木の根っこのところに氷を敷き詰めています。早く帰国を。」

私は、氷だらけになった桜の木の根っこを想像して、クスリと笑った。そして、ふと「早く帰国して欲しい」と思っている相手の顔を思い浮かべて少しホッコリした。

男性からのメールで笑うなんてどのぐらいぶりだろうか。仕事以外の男性からのメールに心踊る自分がいた。

予定通り日本に帰国し、無事に帰宅したタイミングでまたショートメールが届いた。

「お疲れでなかったら、少し休まれた後に夜桜を見に行きませんか?川面に浮かぶ桜の花びらもひょっとしたら見られるかも知れません。」

私は、迷うことなく夜桜を見たいと思った。夜桜のことを考えつつ、5時間ほどぐっすり寝た。彼は、約束の時間だった夜の9時半ピッタリに迎えに来てくれた。

私は、彼の車の後部座席に座りながら、雨模様の夜空をぼんやり眺めていた。しばらくすると富岡という場所の桜の名所に到着した。雨が激しくなってきたので、引き続き車窓から立派な桜の並木通りを眺めた。

後部座席に寄りかかり、見上げる夜桜は、アングルが下からということもあって、大迫力で迫って来た。私は、大いに夜桜を堪能し、何と妖艶な木なのかと改めて思った。彼は、私に夜桜を楽しませるために車をゆっくり走らせてくれていた。

たったそれだけの初めての夜桜鑑賞だった。それなのにその雨に濡れた夜桜は、私の記憶に一生とどまるだろうと思うぐらい強烈だった。

「お腹が空きませんか?」そう彼に聞かれて初めて夕食を食べていないことに気づいた。「ペコペコです!」

「美味しい鰻屋さんがあるから行きませんか?」

彼は照れ臭そうに向かい側に座って、鰻重の竹を注文した。海外帰りだからだろうか、私はお刺身もついてくる蒲焼きセットにしてみた。とても美味しかった!

彼は、夜桜も鰻の蒲焼きも大喜びしている私をニコニコしながら優しい眼差しで見ていた。2人の会話は、途切れることがなかった。

生涯忘れられないステキなエイプリル・フールになった。彼は、花いかだはこれからだから、また桜を見に行きましょうと誘ってくれた。私は二つ返事で一緒に行くことに同意した。

何かが、ゆっくりと始まった・・・

第2章 kissとsex

sexはしてもkissはしないという経験は、ある?

私は、過去のsex経験で何回かあり。あまり深く考えたことはなかったけれど、今は、何となく腑に落ちる・・・

彼とは、桜のデートが何回か続いた。でも、正直言えば、私はあまり真剣には、デートとは思っていなかった。

なぜだろう?

それは、何だか2人でいることがとても自然で、ゆったりとした私のペースで、彼が色々な桜を見に連れて行ってくれたからだと思う。

「色々な場所の桜を見に連れて行ってくれる親切なおじさん・・・」後になって彼は、私がずっとそう思っているんじゃないかと思ったと言って笑った。

私がデートだとは思っていなかったことは、もちろん彼のせいではなくて、長らくそんなロマンチックな考えさえしたことがなかったからだと思う。

第一、2人とも60代でバツイチで、デートをしているなんて!そんな風に思っていたのかな。

彼は、30年以上に亘る結婚生活を解消し、離婚が成立したのが年明けの1月だと教えてくれた。私自身は、一体いつ結婚して離婚したのかも忘れているぐらい大昔で、結婚生活は、たったの5年だったと告白した。でも5年の間に一人息子が来てくれたことが結婚生活で一番素晴らしい出来事だったとも言った。

それ以外、私の結婚生活は・・・極めて退屈だった。

妻になり、母になるだけでは自分の人生を全うしているとは思えなかったのだ。逆に元夫は「妻になり、母にもなって、これ以上何を望むんだ?」と繰り返し聞いてきた。

その度、私は自分の天職のことを思った。物語の世界に生き、小説の構成を考え、ワクワクしながらストーリーを書いている生き生きとしている自分のことを思った。

そして、元夫と不協和音が出始めたからのsexは、一つ顕著なことがあった。kissをしなくなったことだった。

kissをせず、sexだけする。心が通じ合っていないsex・・・だから私は、sexよりkissを大切に思うようになったのかも知れない。

そんなことをぼんやり考えていると、彼は私の頬にやさしく触れ、自分の顔を傾げてkissをしてくれた。私は、咄嗟に目をつむり、彼のあたたかい唇を感じた。何だかとてもオプティミスティックで、彼と私のこれからの関係を予兆しているかのよう。

そして、2人の心がつながった瞬間だった・・・










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