見出し画像

富山駅フロアシャンデリア

2023年が始まりました。
昨年は良いことよりも悪いことの方が多かった、すごく辛くてきつい1年でした。
何よりも悲しいことがあったんだけど、私の大切な記憶をここに。


私には中学生の頃から変わらない大切な夢がある。
『結婚式に祖父母4人全員を呼ぶこと』

ものすごく忙しい共働きの両親のもとに生まれた私は小さな頃から祖父母と過ごす時間が多くあった。
鍵っ子で家に帰ると祖父や祖母が迎えに来てくれ、祖父母の家に行き、ご飯を食べお風呂に入り、あとは寝るだけの状態で両親が迎えに来て家に帰る。
習いごとの送り迎えもほとんど祖父母がやってくれた。
だから、とってもじいちゃんばあちゃんっ子だ。

私は長女で4人にとっても初孫。本当に大切にしてくれてると今でも感じる。愛情たっぷり育てられたと自信を持って言える。

富山を出てからも帰省した時は必ず会いに行った。
冗談で言う「私の結婚式までは生きててよ」が祖父母たちに会った時の口癖だった。
いつまでもそれが続くと思ってた。

今年の7月、母方の祖父が亡くなった。
病気で入退院を繰り返していたが、春に会った時は家にいて体は痩せていたが元気だった。
あと5年はいけるでしょ〜って言い合ってた。それが顔を見た最後だった。

入院することになった、夜にそう両親からメッセージが来てすぐ祖父にLINEした。
既読がつくことは無かった。入院した日の夜、私がメッセージをして1時間もせずに祖父は旅立ってしまった。

祖父が亡くなった日の週末に帰省する予定だった。会いに行くねとメッセージをしたのに。亡くなる数日前に祖母から電話が来た時は祖父は会話してくれなかった、恥ずかしいから喋りたくないって言ってたらしい。
あと1週早く帰っていれば会えたのに、もう少し待ってくれたら週末に会えたのに。その後悔で苦しくて涙が止まらなかった。
今でも後悔が消えてない。
私がもっと早く結婚式をしていれば。もっと早く富山に帰る決断をしていれば。そんなことばかり考える毎日だった。


誰よりも、どんな時も、
「あんたがいっちゃん美人やちゃ」と言ってくれた祖父だった。


厚生労働大臣から卓越した技能を持つ者に贈られる
「現代の名工」だった。
天皇陛下から「黄綬褒章」をいただいたこともある。

葬式では祖父がいかに素晴らしい技術者だったのか改めて感じさせられた。

80歳を過ぎても毎日家から会社まで歩いて通勤する
自慢の祖父だった。


富山駅構内にあるフロアシャンデリア。
これはガラスにメッキをかける技術を持つ祖父が1人で作ったもの。

ここを通るたびに祖父を思い出す。
ここで立ち止まり綺麗だねと言っている人を見るたびに誇らしくなる。

このフロアシャンデリアがこの先ずっと富山の真ん中で沢山の人に愛され続けますように。

生きた証を富山に、私の心の中に残してくれた祖父。
大好きで大切で尊敬できる祖父。
今でも思い出すと苦しいけど、少しでも沢山の人にあなたの生きた証を伝えたいから、ここに書き残す。



ジジ、私のおじいちゃんでありがとう。
天国まで招待状を送るから、
私の結婚式には出席してね、席用意しとくよ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?