見出し画像

ダンサーでありダウン症児の父。自分の体験から行動を起こし、複数の顔で活躍する人

7年前の2016年。私は、WAACK(ワック)というジャンルのダンスを踊り狂っていました。

WAACKは70年代にゲイ文化から発祥したダンス。素早い腕の動きとポージング、そして感情を操り、自分なりの美しさを表現するダンスです。

キラキラした衣装を身に着けて踊ることも多く、日本でのプレーヤーは女性がメイン。しかし、あるイベントでスタイリッシュにWAACKを踊る男性ダンサーさんに出会った私。この人からWAACKを習いたい!とレッスンに通い続けました。

そして、ダンサーとしてだけではなく、障がい児を育てる先輩パパとしても尊敬している方がいます。

その方が、今回インタビューをさせていただいたKIN(きん)さんこと、金志真之さんです。

兵庫県で生まれ、愛知県名古屋市でダンサーとなり、東京都でインストラクターとして活動をしているKINさん。2023年の現在は、ダンスインストラクターだけではなく、東京都板橋区で複数の顔を持ち活動しています。その数はなんと7つも!

  1. ダンサー(プレーヤーでもありインストラクターでもある、数多の賞歴をお持ち!)

  2. ダンスイベント「HEAT UP」オーガナイザー

  3. 整体師(2021年「青空健康センター咲良」開業、当時46歳)

  4. 「日本パラアート協会」代表(2023年設立)

  5. ダウン症児の父

  6. studio meme代表(2015年設立)

  7. 非営利型(一社)ART FUNK理事

特にinstagramではほぼ毎日、プレーヤーとしての自分や、日本パラアート協会での取り組みを精力的に発信しています。なんとダンス動画がブラック・アイド・ピーズのストーリーにピックアップされたことも!(すごい!)

KINさんInstagram

KINさん : SNSはプロモーション。活動報告でもあるし古い友人との生存確認にも。笑
ダンサーでプレーヤーとしての自分を保ちたいと思っていて、そのために活用しているよ。
動画編集したりするのは嫌いじゃないしね。

そして、複数の顔を持っていることに対しても非常にポジティブに考えています。

KINさん : 一度に何個も色んなことをやりたい訳ではないんだけど、結果的に同時進行になっちゃう。
やりたいことをやり続けるために、やらなきゃいけないこともクリアしてやりたいこともやる。
結果それぞれがつながっていて、全部自分の成長になっていると思う。

そんなKINさんは何を思い、何を考えているのか。同じ障がい児の親として、同じジャンルのダンスを踊るプレーヤーとして、KINさんが今の活動をするまでの体験や、この先に描いている未来をお聞きしました。

「未病」を防ぎたい。そのために開業した整体

家族の病死。そして娘の病気

2013年頃、年に4回行っていたイベント「HEAT UP」でMCをしているKINさん

2013年。KINさんは、妹さんを乳がんで亡くしました。当時イベントオーガナイザーとして活躍していたKINさん。
イベントと妹さんの危篤が同時期に重なり、お葬式に出席した後の週末にはマイクを握りMCをしていた、という驚きのエピソードも。

そんなころに第2子の娘さんがダウン症と判明。娘さんの障がいがわかったとき、いつもは苦しみや悲しみを全面にださないKINさんも涙がでたそうです。

KINさん : ある日の定期健診で、奥さんが診察室から泣いて出てきて。羊水検査をしてダウン症の子が生まれるとわかり、つらくて家族みんなで泣いた。

産むかどうかも周りからいろいろ言われてかなり悩んだな……。でもやっぱり命を絶つことはできない、と思って。なるようになるから育てようと、奥さんと決めたの。

ご夫婦の決意により、ダウン症を持って生まれた娘さん。出生後まもなく十二指腸閉鎖の手術を受け、その後も総合病院を受診し続ける日々が続きました。

そしてあるとき、医者から娘さんが白血病になるかもしれないと告げられます。なんとその1か月後、娘さんが1歳になる手前に白血病を発症。金志家の闘病生活が始まりました。

娘さんが入院した病院は24時間親の付き添いが必要。当時夜のレッスンを多く持っていたKINさんにピンチが訪れます。

KINさん : 娘に付き添いが必要で、かつお兄ちゃんがまだ保育園児だったのね。だから子ども1人に親どちらかがついていなきゃいけない。僕は、夜の時間帯のレッスンができなくなった。日中のレッスンと、イベントはなんとかつづけたけど、収入が減る……“やばい”と感じたよね。

このときは仕事が思うようにできない苦しさ、付き添い生活の苦しさで本当にしんどかった。世の中を恨んでしまうくらいには落ち込んでいたと思う。

自分で状況を変えるという決意

このときの苦しい状況を変えていくためにKINさんはある決断をします。

KINさん : 今まではダンサーとしてスタジオに雇われていて、仕事が自分のところに来るのを待っている感じがあった。でも、僕のこの家族の形で生きていくためにはそこから脱しなくてはいけない、自分でやらなきゃと思ったの。だから、自分でダンススタジオをやろうと決めて。

それから、妹の死と娘の病気があって、「未病(※1)」を防ぎたいと強く思った。ダンサーは体が資本でしょ。もともと健康には気を遣っていたこともあって、整体を勉強しようと思ったんだよね。

(※1.「未病」とは、「発病には至らないものの健康な状態から離れつつある状態」を言います。)

白血病が寛解した娘さん。この命を守るため自分にできることをやっていくと決意した

そして、「未病」を防ぐ整体師としてのKINさんが作られていきます。


大学の同級生とのご縁でつながった整体開業

KINさんが習得したのは金本式椎骨ストレッチシステムという整体方法。この整体方法に出会う前に、別の流派でも勉強をしていましたが、なかなかうまくいかない日々が続いたそうです。

そんな日々の中、ふと思い出したのが整体を行っている大学の同級生でした。

KINさん : 今もよくSNSで発信している人だった。大学のとき、彼はバンドマン、僕はダンサーでお互いに“ちょっと変わってるやつ”みたいな感じで意識していて。笑

それで、僕の状況を話したら、"ぜひうち(金本式)で整体を学んだらいい”ということになったの。

彼が古着屋さんをはじめたときに、僕が持っていたダンス衣装を大量に送ったことをとてもよく覚えてくれていて。そのことに恩を感じてくれていたみたい。

ご縁ってあるなと思ったよね。

遠距離のためオンラインで指導をうけるKINさん。4ヶ月間毎日5時間の勉強を続けました

そして、プログラムを修了し、自分のダンススタジオを活用した整体を開業。

自身の体験から次々と行動を起こしていったKINさん。ご縁という運までも味方につけ、道を切り拓いてきた印象です。

さらにここから、自分の「やりたいこと」としてダンス×障がい児(者)の活躍の場を作る顔も持っていきます。

障がい児の活躍の場を作り、動いたことで気づいた。「みんな違ってみんないい」の「みんな」ってどこまでなの?

ART FUNKで活動する中で気づいたこと

一般社団法人ART FUNKで障がい児の活躍の場を作ってきたKINさん。ART FUNKでは、障がい児をメインにしたダンスバトルやショーケースを各地で行っています。ご自身の活動のルーツをKINさんはこう語ります。

KINさん : ART FUNKの代表である阿部さんは僕の高校の先輩。阿部さんの妹は障がいをもっていて、彼は“親が安心して死ねる社会をつくりたい”とよく言ってた。

当時はその言葉の意味があまりよくわかってなかった。

ダウン症の娘が産まれてわかったんだよね。
例えば、娘をつれて公園に行くと、同年齢の子どもたちの態度が気になる。仲良くはしてくれるのだけど、なんとなくお互いに感じる“違い”という感覚が胸に刺さって。

こういう体験もあって、阿部さんと一緒に“障がいを持っている人は社会の中に当たり前にいる”という世界観を広めていきたいと思った。

そこから、KINさんもART FUNKでショーやMCの活動をはじめていきました。しかし、しばらく活動を続けていく中であることに気が付いたのです。

KINさん : ART FUNKでダンスバトルやショーケースをやっていたけど、動ける子がメインになった。パラリンピック(※2)みたいにアスリート感が強くなっていったんだよね。
(※2.パラリンピックは身体障がいと軽度知的がいの大会)

もちろんそれも重要。でも僕の中に“重度障がいを持っている子は?動ける子だけが輝ければいいの?”という疑問がでてきて。

他にも、エントリーはしたけど当日緊張して舞台に上がれなかった子もいたりするんだよ。

そういう子も“みんなちがってみんないい”なんだ。どんな子も否定しない。
そういうイベントをやりたいと思った。


日本パラアート協会で叶えていきたい世界がある

その気づきからKINさんはさらに新しい団体として「日本パラアート協会」を立ち上げます。

KINさん : ART FUNKではダンスに特化していたけど、パラアート協会では、絵とか歌とか、なんでもよくて。表現するってことが“アート”じゃんって。そうするとどんな子も参加できる。“みんな”への取りこぼしがないと考えたの。

僕のいう“みんな”はART FUNKでは光を浴びられなかった重度の障がいを持つ子も含んでいる。

手を使えない子が口でペンをくわえて絵を書いてもいい。脳性まひで全身が動かない子が指を上にあげて揺らしているのもいい。

ただその子がやりたいと思ったことに対しての承認欲求をみたしてあげたいんだよね。

「貴方を認めて応援し、貴方の輝ける舞台と新しい価値観を創る団体」と定義。力強い想いを感じます

「アート」という言葉を使うことで、ダンスのみならずすべての表現活動を含み、社会的にマイノリティである重度障がいを持つお子さんに光をあてたい。自身がやりたいことができているからこそ、周囲の「やりたい」を応援できるKINさん。

今後の日本パラアート協会の活動として、ステージイベント以外の計画も。それは、障がいをもつ人ともたない人がペアになり街を探索する、いわゆる移動支援です。

KINさん : パラアート協会で移動支援をするポイントは、行政サービスとしてやらないこと。行政の場合、公平性や専門性が担保されるメリットはあるけど、困っている方がSOSを出さないとサービスが受けられない。僕が作りたいのは、“SOSが出しづらい人もいる。そんな人を見たらわかる範囲で助けよう”という世界観。

“友達だから一緒に歩こう”という気軽な感じで移動支援をやってみようと思ったんだ。

行政サービスは申請制。「困っています」と声をあげること自体が難しい場合もある……と感じたことがある私にとって、KINさんの言う世界観は理想的に思えました。

KINさん : 障がいを持っている人も持っていない人も、困っている時はお互い様だよね。浸透させるのは難しいかもしれないけれど、この世界観を伝えていきたいと思う。

手を差し伸べられるときに手を差し伸べよう、見て見ぬふりをしないで!ということを伝えていきたい。

KINさんから勇気をもらおう

日本パラアート協会では、9月に手話ダンス甲子園の開催も予定しています。複数の顔を持ち走り続けるKINさんの快進撃、そして日本パラアート協会の活動を覗かれたい方はぜひSNSをフォローしてみてください。

KINさんInstagram
日本パラアート協会Instagram

KINさんのインタビューを通し、現在の活動にいたるまでの体験やその先に描いている未来に「自分も何かしたい」という勇気をもらいました。それでも何かを始めることが怖い、と足がすくむときはKINさんのこの言葉を思い出して。

KINさん : いつスタートしても別にいいじゃない。誰に何を言われても“まぁいっか”と思っているよ。やると決めたらやる。それだけだよ!!


取材・文:ノゾミ
SpecialThanks:やまゆか


サポートいただきありがとうございます☺️あなたに良いことが起こりますように🫶