あの女

単刀直入に言うぞ。あの女はヤバい。
何がヤバいかって?それを説明するために、俺はお前へ手紙というものを書く事にした。

ひと月ほどまえだったかな、あの女が机に向かい、顔を赤らめながら、まえ足を動かしていた。
俺はな、こう見えて、けっこう善の心をもっているんだよ。食い意地の張ってるあの女のことだ、あんなに真っ赤になるなんて、何か変なものでも食ったんじゃないか?って、それなりに心配だってするもんだ。少しずつ、少しずつ、あの女に近づいていったんだ。
そしたら、あの女、まえ足を止めて、ニヤニヤしながら
「手紙って書き始めると止まらないね」
って、俺のほうをみて笑うんだ。
「心の中に溜まっている言葉たちは、こうして紙に排出してあげるの。そうするとね、次から次に、見えなかったはずの色んな感情が
、顔を出してくるの。手紙っていうのは、そうやって出てきた感情を、そのまま相手に伝えられるツールなのよ。」

正直、あきれたね。あの女、こんな風に俺の前ではペラペラいらん事も話せるくせして、普段は全く自己主張のできない口下手なヤツなんだよ。そんなヤツが「手紙」というものを書くと、饒舌になるらしい。なんて単純なんだ!ってね。
と、同時に、ふと閃いたんだ。ずっとずっと前から、俺が心に抱えていた「あの女のヤバさをお前に伝えなくちゃ」っていう、この使命感にも似た気持ち。俺はあの女と違って口下手なほうではないけれど、なかなか、あの女のヤバさっていうのは、一言じゃあ説明なんてできない。だから、あの女のヤバさをお前に伝えるためには、この「手紙」ってやつを、俺も書いてみるしかない、って、思ったんだよ。

本題に入る前に少し愚痴らせてくれ。
普段の俺はうしろ足だけで歩くなんていう「お行儀の悪い事」は絶対にしない。まえ足二本、うしろ足二本、四本全ての足を使い、上品に歩く。
でも、お前やあの女は、常にうしろ足だけで歩く。そして、まえ足だけをチョコマカと動かす事もある。俺に言わせてみれば、それは「非常に行儀が悪い事」である。
できれば俺は真似したくなかったんだ。
お前は知らないかもしれないが、手紙というものを書くには、まえ足だけを動かす必要が出てくる。まずはその、行儀が悪い行動をスムーズに行えるようにならなくちゃあ、いけない。
いやはや、屈辱だ。こんな醜い姿、誰にもみられたくない。だから俺は、あの女がいない間に、まえ足だけを動かす特訓を始めた。
しかしこれもまた、屈辱だ。なかなかうまくいかないのである。「非常に行儀が悪い事」を、どうして俺は必死になって練習しているのか...自分の滑稽な姿を想像するたびに、何度も何度も心が折れた。俺の気高さは、手紙を書くという目的を達成するために、永遠に失われたのである。
ただ、気高さと引き換えにしてでも、俺はお前に伝えたかった。この手紙には、俺のプライドを捨てたプライドが詰まっている。
だから、どうか、心して読んでほしい。

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