おーちゃん

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ぼくたちはなにかを残すということについて、もう少し真面目にかつ柔軟に時にはおふざけもいれながら考えないといけないのではないか?

ちょっとめんどくさいタイトルなんですが、けっこう本気でそのようなことをずっと考えているので文章にしてみる。 持続可能という言葉がこの世界を駆け回る2023年くらいでしたが、なにかを持続させるということはつまりどういうことのことを言っているのだろう。 持続をググってみると「長く続くこと。もち続けること。」と検索結果に表示された。(2024年1月30日時点) 次にChatGPT3.5に聞いてみた。 ということでした。 賞味期限が短い新しいものを生成して、それを無尽蔵に生

    • 塗る

      深夜に仕事をして捗ってしまうのは、ギリギリが好きだからなんだろう。 こんな時間なのに、文章を書きたくなってしまうのもギリギリを生きる瞬間を書き留めておきたいからなんだろう。 これからどう生きようか。そんなことをまた考える時期がきた。 社畜的な場所にひさしぶりに所属してみて、もう戻れない生き方をしてしまったんだなと実感する日々だった。 選択することを続けて巡ってきた縁たちがいつも声をかけてくる。 「それでいいのか?」 もう心が欲していないものを選べなくなって久しい。 お金

      • 自分が何者であるか

        今日見たドラマがすばらしかった。ぼくはそれだけで人生が豊かになれる単純な生き物だ。 ドラマを見て、自分がどう人生を歩んできたのか、少し考えるキッカケになった。 わたしは子どもの頃からワガママな人間だった。いや正確に言うと、幼少期を過ごした田舎から幼稚園に入る歳になって都会に出てきた頃にワガママな人間になった気がする。 自分の意見を曲げられなくて、喧嘩したり、ふてくされたり、いつも意見を押し通してきた。それが自分が心地良く生きる手段だった。 自分は凡人で、そんな凡人が信じられな

        • 田舎を好きになってみたかった

          良いラジオを聞いていると文章を書きたくなるのはなぜだろうか。ちょっと最近の気持ちについて書きたくなった。 このまちに来てから、いつの間にか毎日幸せな気持ちで過ごせている。 毎日広い空を見て、おいしい野菜を食べて、一緒に笑ってくれる仲間がいて、家に帰ったら家族がいて、豊かな生活ってこういうことなのかな? おすそ分けなんて本当に存在しているのかずっと疑問だったけど、最近はこのまちで採れた野菜しか食べていない。 昔は知らないことがひとつずつ減るたびに、辛いことが増えていくこ

        ぼくたちはなにかを残すということについて、もう少し真面目にかつ柔軟に時にはおふざけもいれながら考えないといけないのではないか?

          生き物

          ぼくたちは遊牧民のような生き方を選んだ。 自分が心地よく、楽しく暮らすためにはどうしたらいいのか、それを小さく実験し続けた結果、この都市でも田舎でもない街にたどり着いた。 大きななにかに影響は与えられなくても、小さな範囲で行動し続ければ、目の前の人の幸せくらい作れるのではないか。それが北海道に戻ってきて、より現場に近い所で活動し始めるときに考えたことだ。 すべてのことは目的を達成するための手段であり、社会の仕組みですら変えられるかもしれない対象だ。一億何千万の人口を支配す

          ずっとパズルを並べ替えている

          ゼロイチって言葉をたまに聴くけれど、0と1で出来てるのはコンピューターと同じで人類に無から有を生み出すことなんて出来ないと私は思う。 自然があって、地球があって、素材を変化させて人間は新しいものを生み出してきた。宇宙でもあるまいし、僕たちに0から何かを発生させる力なんて備わっていない。 なにかを想像することは、あらゆるパターンを考えて、物事を組み合わせたり、組み換えたりすることで新たな発見を探すパズルのようなものと僕は考えている。 自己中心的な性格に思われがちだが、実は

          ずっとパズルを並べ替えている

          だれのことも意識しないで過ごせる状態がひとりっ子の自分には心地よいんだろうなと思った話

          7月に入ってから心が動く出来事ばかり起こる。もう少し誰かに伝えることを意識して書いてみようと思って、noteのアカウントをもうひとつ作った。それなのにキーボードを叩いてみても言葉が浮かんでこない。 きっと誰かを意識して発言をすることが得意じゃないんだろうな。会話するときも出来たら1対1で常にしていたい。だからここに綴ろうか。誰も意識しないで今日感じたことを。 人生って不思議なことが起こる。偶然とは思えない出来事が突然舞い込んでくることがある。でも実際は、レールを脱線して自

          だれのことも意識しないで過ごせる状態がひとりっ子の自分には心地よいんだろうなと思った話

          空知で暮らす

          ぼくは今、空知で暮らしている。 なぜ、ここに行き着いたのか。理由を聞かれても、ちゃんと言葉にしてこなかった。考えていることが抽象的すぎて「呼ばれていたから」といった表現をしてごまかしてきた。 そんな理由で移住できるほど、自信もスキルも金もない。人生をかけて実現したいことがあるから、ここに来た。 ・・・ ぼくは子どもの頃から、臆病で我儘なやつだった。他人にどう思われているか気になるから、その場の空気が良くなるようにいつもチャラけてた。 そのくせ納得いかないことがあると

          空知で暮らす

          本の中の少女

          人生において、一番好きなグループが活動を終えた。最後の音楽が途切れたとき、ぼくは新しく買ったパソコンのモニターの前に座っていた。 いろんな感情が渦巻く中で、ぼくは自分の人生にとって Maison book girl とはなんだったのかと考えることしかできなくて、文章にしてみたいと思った。 二年前に東京から北海道へ帰ってきて、アイドルのライブへ足を運ぶ回数が激減した。緊急事態宣言なんて言葉が当たり前になるまでは、好きなグループの大事なライブにはどんな理由があっても行くのが当

          本の中の少女

          おいしいとは

          私はテレビっ子だった。今は好きな番組だけ録画して、録り貯めたものを好きなタイミングで見る。 録画するようになって、ほとんど旅番組しか見ていないことに気がついた。ローカルな場所で出会う物語、それを見て同じ体験をしたくなる。テレビの定番の楽しみ方じゃないかと思う。 今、マツコ・デラックスが徘徊してひたすら食べる番組を見てる。このご時世で徘徊できないので、過去に訪れた場所を集めて編集したバージョンだ。いつも見ているから、ほぼ内容を覚えているものばかり。 本当にマツコさんはうま

          おいしいとは

          ミライのきみへ

          未来は君が歩いてきた道の延長上にしか続いていない。そんな実感を何度味わって、何度忘れてきたのだろうか。環境を変えるとき、いつも思い出すことがある。自分は人に恵まれてる人生だってことを。 ぼくにとって最高の喜びは、他人の人生の変化の瞬間を見届けることだ。自分の言葉がその人の行動したい動機と共鳴して、動き出したときにぼくの心は満たされてきた。おじさんには何を言っても届かないから、心が多感な時期である若者が好きなんだと思う。 自分自身も他人の言葉に人生を動かされてきた。いろいろ

          ミライのきみへ

          つまり地層のようなこと

          人は自分の経験の中からしか物事を判断できない。これは三十数年生きてきて、思うようになったことだ。 誰かになにかを相談されたときに相手の立場になって考えようとすると、相手と似た人を思い浮かべるか、自分が似たような感情になったときのことを思い浮かべて話すことが多い。いくら想像したところで経験したことがないと、自分の頭では理由にたどり着けない。だから事例を捜し当てるのだ。 社会経験が増えてから、自分の想像を疑うようになった。自分の見てきた景色の中から、経験をかき集めて話しても伝

          つまり地層のようなこと

          自分と向き合う日

          今やりたいことはなんなのか?ずっと継続できることはなんなのか? 自分の脳味噌から発信されることを素直に受け入れて、初めて行動に移したのは27歳の春だった。 新卒で入った会社で5年過ごして、やらなきゃいけないことを受け入れて、やりたいことを実行する器用さも少し身につき始めていたと思う。 だけど、目の前の好きなお客さんたちの「仕方がない」に向き合うことに疲れてしまっていたのかもしれない。 目に映る表情と耳に入ってくる言葉の差に、僕の妄想は敏感だった。 僕の脳味噌は叫び続

          自分と向き合う日

          自分語り~学生時代まで

          1988年2月、雪の降る街で私は生まれた。 まだ外国人が少なかったニセコで両親は出会い、まだ世界遺産にも登録されていない知床で、私はこの世界に生を受けた。幼い頃の記憶は全部忘れてしまったので、微かに残ってる感覚だけを頼りにどう生きてきたのかを思い出していく。

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          自分語り~学生時代まで

          2021

          あけましておめでとうございます。 みなさんはどんなお正月をお過ごしですか?北海道に住んでいると顔が冷たくて朝起きます。そんないつもの朝を今日も変わらずに過ごしています。 せっかく新年なので、2021年の抱負をちょっと考えてみたいと思います。 「愉快に暮らす」 2021年に時刻が変わった瞬間、抱負を聞かれた私はこう答えました。愉しく、快く、毎日を過ごす。これが私の2021年の目標となりました。 じゃあ、そのために何をしたらよいのか?それは、これまでの社会人生活で感じて

          2020

          年が変わる。年の瀬を感じることすら当たり前じゃない。 仕事をして、人と話して、いつもの日常を、いつものように過ごす。 どれだけ無意識の中に埋め込まれた習慣があるか、誰も気がついていない。 いくら言葉にしたって、表現しきれない感覚がある。そんな気がしてる。 やってしまえば簡単なことなのに、やってしまったら一人になるほうが楽なのはやっぱり悲しい。 誰にも伝わらない文章を書くことも、やっぱり時々やりたくなる。 自分のための自分だけの世界。 雪国に住むのって趣味だよね。