3−3 海の中心、父の告解 (5,585字)

 東京の約四百キロ南に、M島は位置している。船を使えば半日を要して行くことが出来たが、高度経済期を越えて暫くして就航した定期船も、ちょっとした時化で欠航するほどに到達困難であった。西から黒潮が直撃していた上、マグマの水蒸気爆発で形成された島は外周を切り立った高い崖に囲まれており、絶え間なく荒い波が打ち寄せた。緩衝帯たる砂浜は一切無く、崖下に突き出す形で不自然に不恰好に設けられた二つの港を通じて、外部との交易が図られたが、唯一の接点も月の半分以上使い物にはならなかった。そんな土地に、いつから人が暮らし始めたのかは明らかでない。何らかの差し迫った事情で本土を離れ、数奇な運命に流されるまま辿り着いたのが始まりだろう。鎌倉後期の文献にその名を認めることは出来るが、知ることが出来るのは、海難事故と噴火の多発する場所であったことくらいだ。十八世紀のある歴史書には、火山活動で島すべての家屋が焼失したために、島民が一斉に近くの島や江戸にまでも避難したと記される。しかし十年後、島外での生活が肌に合わなかったのか、慣れない環境に適応できず、厳しさに堪え切れなくなったのか、ある日突然、避難民は揃って環住した。その数は元の半分に満たないまで減っていた。だが島に戻ると、陸に上がった魚が再び水を得るように、持ち前の一徹さを取り戻した島民は、数年で荒廃した村落を再建し、四半世紀が過ぎた頃には人口も噴火前と遜色ないほどまで回復した。島外のある無名の役人は、復建後の村を見て大いに驚いたという。何もなかったように、四十年前の様子がそのままに再現されていたのだ。以来、断崖絶壁が一切を撥ねつけるのだろう、島はいかなる外的な事象にも左右されることなく独自の歴史を紡いだ。明治になっても、渡航の難しさから中央政府の監督は十分に行き届かず、廃仏毀釈の流れを外れた島独自の信仰が生き残った。いくつかの伝承によると、M島はかつて女人禁制であり、屈強な戦士としての素質を持つ男のみが集められ訓練される、一種の軍事養成地であったとか、逆に戦いしか取り柄のない凶暴な男を閉じ込める流刑地であったとされ、入島の制限が必要とされる、『鬼』とも言うべき存在の棲みつく土地であった。真偽はともかく、外部の人間にとって、M島は文字通り絶海の孤島であり、海の果てであり、人々がコロンブスは奈落の底に吸い込まれると心配したように、様々に想像を掻き立てたのだ。だけれど、私にとって、その島は疑いなく海の中心だ。

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Yamashita Shunsuke

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さらに美味しいコーヒーを淹れようと思います。

おやすみなさい。
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