地球の上で
春分点を超えました。
ふと、思います。
ー わたしも地球の一部なのだとしたら?
例えば美しいものを生み出す時、わたしは地球の意識をひとつ、現しているのかもしれない。
例えば、毒をたくさん身体に取り込んで、害を少なくして排出する時、
または溜め込んで、病気になり、亡くなった時。
わたしは地球上の毒を、浄化することを一部分、担ったと言えるかもしれない。
誰かにとって最悪な雨が、
誰かにとったら最高の恵みかもしれない。
お天気が好きな母
曇り空が落ち着く息子
音や、香りや、風景や、
水や、植物や、空気や、
鉱物や、動物や、なんやかや。
わたしはその中で遊び、育ち、
暮らし、学び、
循環させ、停滞させ、
滅んでいく。
喜んだり、悲しんだり、怒ったり、
恨んだり、妬んだり、愛したり。
相対的なことごとを集めて、
生きていると知覚する
そんな、夢を見ている。
酷いことのたくさんある中、
目の前の夢を美しいと思えるのは
人の意識なのか、地球の意識なのか?
どこからやってくるのだろう?
ただ、
この人生と思っているものは、
とてつもなく愛しい。
それで、やっぱり美しい。
春分点
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