見出し画像

伝統とご新規さんと

まだまだ探訪途中の「国際芸術祭あいち2022」、本丸の愛知県美術館の次はどこへ行こうかと少し考えて、有松会場を訪れてみた。場所は名鉄有松駅のすぐ前、かつて東海道が通っていた一帯だ。江戸時代から茶屋集落として栄えただけでなく「有松絞り」という絞り染めの産地としても有名だ。現在は「重要伝統的建造物群保存地区」の指定に続いて日本遺産の認定を受けており、観光に力を入れるようになって久しい。

今回のあいトリ……もとい国際芸術祭では、このようにがっつり歴史のある街を会場に選んでいる。有松だけではない。繊維業で栄えた一宮しかり、日本六古窯のひとつ、窯業で栄えた常滑しかり。伝統ある街並みと現代アートがどのように響き合うのか、これはあいトリ時代からの見どころなので、有松も期待値高めで出かけた。

古い商家が並ぶ有松会場で、国際芸術祭のために中まで入れる場所を提供してもらえたのが、竹田家住宅と岡家住宅、そして川本家の蔵。竹田家、岡家、どちらも大変立派な家で、江戸時代から続く裕福なお屋敷はこんな作りだったのかと、まず建物そのものに興味がわいた。

そして古い和室や茶室、作業場などそれぞれの空間と響き合うように配置された作品の数々。特に印象に残ったものをピックアップしよう。

古い町のため細い道が多いが、会場となった一帯はほぼ直線上にあり、比較的たどりやすい。この中で視覚的なシンボルとなったのがミット・ジャイインによる、のれん状の作品《ピープルズ・ウォール(人々の壁)2022》。これが会場内の旧家や施設の軒先に、まさにのれんのように展示され、会場の一体感を演出している。

ミッド・ジャイイン《ピープルズ・ウォール(人々の壁)2022》
(安藤家住宅)

次は由緒ある竹田家住宅。解説によると「有松の竹田家住宅は、1608年(慶長13年)、東海道沿いに新たな集落を開いて有松絞りを始めた竹田庄九郎の流れをくむ商家です。なかでも、茶室「栽松庵」は徳川14代将軍・徳川家茂も立ち寄ったと伝えられる、最も歴史のある建物です。」とあるので、この界隈自体、約400年の歴史があることになる。古い。これに匹敵する過去のまちなか会場といえば、岡崎会場にあった旧家ぐらいではないだろうか。

プリンツ・ゴーラム《見られている》(部分)
(竹田家住宅)
竹田家住宅はお庭も立派。この奥に歴史ある茶室「栽松庵」がある。
ガブリエル・オロスコ
《ロト・シャク(回転する尺)》(左奥)《オビ・スクロール》(掛軸)
栽松庵にて。

お次は、江戸末期の絞問屋、岡家。奥に作業場があるほか、天窓のついた部屋や電話室があり、いかにも裕福な商人の家。

ユキ・キハラ《サーモアのうた- Fanua(大地)》
(岡家住宅)
サモアの危機をサモアの伝統衣装に描き込んでいる
AKI INOMATA《彼女に布をわたしてみる》
(岡家住宅)
絞染をまとうミノムシ。この作家は生物との共同作業で作品を作り出す。
「電話室」があることからわかるように、岡家も立派な家です。

株式会社張正では、作品の他、絞染に関する意外な事実を明かす資料を見ることができる。

イワニ・スケース《オーフォード・ネス》
(株式会社張正)
青いガラスは雨粒にも見えるが、オーストラリア先住民の主食、ヤム芋の形。
張正の工房内の資料。
有松・鳴海絞りがアフリカへ輸出されていた時期がある。
正直驚いたが、よく見ると絞染とアフリカのデザイン感覚って通じるものがあるような。
宮田明日鹿《有松手芸部》の活動場所
(旧加藤呉服店)

この会場を回って感じたのは、すでに観光地として出来上がっている地区にアートの祭典が入り込むのは難しいのかな、ということ。ボランティアは慣れた人が多いのか、案内はとても上手かったが、町そのものが持つオーラ的なものが強すぎて、作品が溶け込むのではなく、はじき出されている感じがしなくもない。そこにその作品がある必然性が薄いわけではないのだ。ちゃんとファブリックに関連した作品が置かれているのだから。でもなんというか、古い町に新しい家族が引っ越してきて、馴染もうとしてもなかなか町の一員として扱われない、みたいな「町内会あるある」の事態が起きているような空気を感じてしまう。他の会場ではどうなっているのか興味があるところだ。


投げ銭絶賛受付中! サポート頂いた分は、各地の美術館への遠征費用として使わせていただきます。