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【名作迷作ザックザク㉚】人情家のチンピラとあばずれ達が大衆演劇界に殴り込み!! 芝居か、女か・・・いや、両方だ! 傑作人情喜劇映画『ぐれん隊純情派』(1962)

 結論から言おう!!・・・・・・こんにちは。
 ガンプラのUGUC「パラスアテネ」が本日再販だったらしいと聞いて微妙に欲しかった、O次郎です。

『機動戦士Zガンダム』より。
同じZガンダム内でもメッサーラアッシマーハンブラビあたりの
可変機なら構造やパーツが複雑になるのでお高いのもむべなるかな、というところだが、
本機はそうした事情無しに価格高騰してるのがなんともかんとも…まぁ需給バランスか。

 今回は1963年の邦画『ぐれん隊純情派』についての感想です。
 CSの日本映画専門チャンネル"蔵出し名画座"枠の今月の放映作品が本作だったのですが、巨匠増村保造監督による傑作人情喜劇で、ベテラン職人監督の手によるとご都合主義もこんなに快く楽しめるものかと感服した次第です。

※ちなみに過去に書いた同放送枠の貴重作に関する記事はこちら。よかったら併せてどうぞ~。


 俳優陣についても当時の人気実力伴った若手とベテランが贅沢にキャスティングされ、イメージ通りあるいは意外な役どころで出演されていて楽しませてくれました。
 未ソフト化・未配信化のカルト作に垂涎の方々、読んでいっていただければ之幸いでございます。
 それでは・・・・・・・・・・・・"サイコガンダムMk-II"!!

Mark-Ⅰのほうは近年新しくリリースされたのにⅡはガンプラとしては放映当時に出たもののみ。
デカいし変形するしで製造コストは高いだろうけども、需要は高いと思うんだけどなぁ・・・。



Ⅰ. 作品概要と見どころいろいろ

(あらすじ抜粋)
食いつめやくざのチンピラ銀之助、松、豊たちは、旅役者の銀三郎の父・中村妻三郎が死んだことを知り、渡りに船と一座に乗り込んだ。銀之助を座長に生まれ変った中村座は、元歌舞伎役者の雁右衛門をかつぎ出し、都営住宅の一室で勢揃いした。稽古を続けるうち松、豊も最初の金もうけの企みはどへこやら、今は芝居一途に真剣に取り組み、雁右衛門も死場所中村座と決めた。スタートは順調に進み炭坑町、温泉町でも中村座の評判は上々、明るい空気が楽屋中にみなぎったが…。

 冒頭で頭が逮捕されたことによる弱体化で他の組に乗っ取りを受ける暴力団の様相が描かれますが、その下っ端構成員だった主役の若者三人の人となりが端的に描かれるくだりがますもって巧いです。"金をやるから相手の組の組長を刺してきてくれ"と女将さんに懇願されるもしり込みする豊(千波丈太郎さん)、恋人と結婚したいが持参金でカッコを付けたいものの常に金欠でうだつの上がらない松(藤巻潤さん)、そして大衆演劇の花形を父に持ちながら継母とその情婦が実質切り盛りする座がイヤで飛び出した銀之助(本郷浩二郎さん)・・・それぞれ堅気の生き方は出来ないもののかといって極悪にも染まれない気の良い若者たちで、のっけから感情移入させてくれます。
 そして隠居状態だったものの彼らの荒々しくも一旗揚げてくれそうな意気に乗せられて芝居の指導をしてくれる雁右衛門こと二代目中村鴈治郎さんが全編通して素晴らしい貫禄を見せてくれます。

"ワシの指導は厳しいが…決して音を上げぬか?"
"オレたちゃぐれん隊上がりだ!どんな苦労だって乗り気れらぁ!!"
というやり取りが有ったのでてっきりスポコン的な芝居特訓描写が
入るかと思いきや意外にもそのあたりはばっさりカット。
見せたい、描きたい部分にしっかり尺を割く巨匠ならではの思い切りが伝わります。

 そして昔の興行ビジネスということもあって、高村栄一さん演じる関東興行会のドンの懐柔と締め付けぶりはまさにヤクザそのもので、若さゆえの正義感でそれに屈しない中村座の面々のほうがよほど真人間らしく映ります。

地元の興行師と交渉して取りまとめる"爺や"こと福太郎を演じる中村是好さん
中間管理職的悲哀がまたなんともリアルでこちらも魅力的。

 ぐれん隊諸氏の恋人たちである弓恵子さん浜田ゆう子さん宮川和子さん等もそれまでの水商売で培った逞しさを背景にした気風の良いキャラクターたちで、芝居に歌にも艶やかなを披露してくれます。
 若い男女がその道の重鎮たちの卑劣な嫌がらせにもめげず、助け合って苦難を乗り越えて笑い合う姿は実にベタながらそれだけに普遍的な朗らかさとエネルギーを感じさせます。一座の金銭難を打破するために上京して組長を刺してまで皆のために金策した豊の冒頭との変わりように胸が熱くなります。60年代前半ということでそろそろテレビが娯楽のメインストリームに台頭してくる頃で現実的には大衆演劇は斜陽期だったのではと察しますが、敢えて往年の娯楽の王道を若者の夢の受け皿としたことでリスペクトを示したのかもしれません。
 また、彼ら一座の父親役が鴈治郎さんなら、母親役は物語の後半舞台の上州の興行の顔役お梅さんことミヤコ蝶々さんでしょう。町のドンである病院長とその顧問弁護士からの圧に屈せず若い彼らの心意気に味方する気骨ある老婆役はまさにうってつけでした。

作中で彼女自身も両家の娘だったにも関わらず、
役者だった今は亡き夫と駆け落ちしたというワケ有りの背景を
感じさせるところがやはり流石の貫禄というところ。

 そこからそれまで芝居の虫で朴念仁だった銀之助が町の病院長の令嬢である雅子(三条魔子さん)と相思相愛となるのですが、その過程は省略されて簡素なものです。竹林で秘かに逢引きする古風な姿は今見ると一周廻って却ってロマンチックかも。
 悪徳弁護士の姦計によって二人が引き裂かれて興行も危うくなった状況で敢えてそれを逆手に取って一連の経緯と二人の悲恋を芝居に仕立てる展開は予想は出来ますが、鴈治郎さんも悪役として舞台に立っての熱演と観客からの拍手喝采、そして形勢逆転はやはり観ていてスカッとします。
 
 数々の困難を経て純愛を勝ち取りつつ、「芝居は人の肥やしになる」と己の仕事への確かな手応えを得た主人公。上述のように大衆演劇はそろそろ斜陽期に入っていた筈ですが、ラストでテレビ出演の話が舞い込んで柔軟に対応したりと時代に対応もしていた彼らですから、終幕後もみんなで手を携えて形態は変わろうとも芝居で身を立てたと信じたいところです。

※そういや、こないだ書いた花柳幻舟さんがまさに彼らと同世代ぐらいか。



Ⅱ. 監督・キャストについてあれこれ

・監督 - 増村保造さん

妻は告白する』((1961年・大映東京)
妻が登山中に咄嗟に夫のザイルを切ったのは緊急避難か、
それとも同行した若い青年への愛ゆえか…。
雨に濡れた彼女のストーカーチックな姿の美しさたるや。(´・ω・`)

 個人的に「若尾文子さんを特に素敵に撮った監督」というイメージ。
 本作と同様に『最高殊勲夫人』もそうなのですが、コメディー描写がこれだけの時代を経ても白けた感じがしないのは驚異的なことだと作品を観る度に唸ります。

・銀之助役 - 本郷功次郎さん

特捜最前線』のなかで本郷さん演じる橘警部主役篇の中の
個人的お気に入りは第256話『虫になった刑事!』。
誰にも好かれないはねっ返りの男子学生の無実を証明するために
ベテランの橘が現場を這いずり回りながら捜査する。
いつもまとめ役的な彼が初心に帰った刑事であろうとする姿が印象的でした。

 たびたび引き合いに出して恐縮ですが、本郷さんといえばやはり刑事ドラマの金字塔『特捜最前線』のイメージです。
 大映のホープのお一人だったとのことですが、昭和の『ガメラ』シリーズはあまり再放送されなかったゆえに青年期のお姿を幼少期にお見掛けすることが無く、子どもだった自分にとっても独特のユルさが受け容れられずに『ゴジラ』シリーズに流れてしまったがゆえに大人になってもソフト等で出演作を観る機会に乏しかったので今回の若大将的なお姿はなんとも新鮮でした。
 たぶん、特に映画だと初期は時代劇や戦争ものの出演が多かったのもニアミスの無かった遠因かと思います。これを機にその方面にも積極的に手を伸ばさねばと感じた次第でございます。

・松役 - 藤巻潤さん

探偵ドラマの金字塔『傷だらけの天使』の前番組の『白い牙』。
藤巻さんは元ボクサーで八百長で揉めて消されそうになっていたところを
主人公の藤岡さん演じる元刑事に救われたという役どころ。
主要人物の殆どが非業の死を遂げるクライマックスに於いて、
彼と恋人(島かおりさん)だけはなんとか逃げ延びました。

 上記の『特捜最前線』にもゲスト出演されてますし、特撮の『電撃戦隊チェンジマン』の長官役も有名ですが、彼の野性的な佇まいが本作でのべらんめぇ調の気性の激しい若者役にピッタリでした。
 作中何度も「てやんでぇ!!」と啖呵を切っていましたが、今日日の時代でそのセリフを聞いて違和感を感じず観られたのはひとえに彼のキャラクターゆえでしょう。

・お梅役 - ミヤコ蝶々さん

男はつらいよ』シリーズは僕の幼少期には既に寅さんが老境に入っていたので、
初期作品にその母親が登場していたのを知った時は驚きでした。
たしか寅さん、ビジネスホテルに泊まったことが無くて、
間違えてバスタブにおしっこしちゃったのよね・・・。

 どの作品に出られていてもあのキャラクターで成立するというのがまずもって凄いところ。映画出演としては遺作の『ホーホケキョ となりの山田くん』については、たしか公開前のドキュメンタリー作品で彼女のアフレコ風景も流れていて、高畑監督に「アドリブ入れさせろ!!」と食ってかかっていらっしゃったのを観て"うわぁ~…"と圧倒されたのを思い出します。


Ⅲ. おしまいに

 というわけで今回は今回は1963年の邦画『ぐれん隊純情派』について書きました。
 おそらく現代であればこういう設定だと若手劇団に置き換えられて、劇団内での方向性の違いやマウント合戦、果ては地上の縺れでグズグズ瓦解していく青春残酷物語に持っていきそうなところですが、ご都合主義的な明るさと一致団結のパワーで振り切ってしまうところが60年代の作品の良さなのかも、とあらためて思いました。
 その一方で、先ほど引き合いにも出した『白い牙』『傷だらけの天使』に見られるような反権力・反体制の負け犬の美学的な70年代作品の暗さもまるで鏡合わせのようで良いのですが…。
 ともあれ、今回はこのへんにて。
 それでは・・・・・・どうぞよしなに。




来月の蔵出し名画座は『がめつい奴』(1960)。
観たらまたぞろ感想書きマス!

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