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【最新作云々㉒】東と西に分かたれ異なる思想と鍛錬を経ても、アスリートとしての矜持は同じ... 死に方が決める生き方を我々に問う再編集映画『ロッキーVSドラゴ:ROCKY IV』

 結論から言おう!!・・・・・・・こんにちは。(Ο-Ο―)
 ネトフリの『コブラ会』のシーズン5が明日からという通知が出てビビっちゃった、O次郎です。

ここ数年は新シーズンは年末年始の配信開始だったので面食らい。
続くのは嬉しいけどやっぱ綺麗に終わって欲しいのもあり…。

 今回は最新映画『ロッキーVSドラゴ:ROCKY IV』です。
 85年公開の大ヒット作『ロッキーⅣ』の再編集版。新規カットが40分程度ある一方で作品尺としては91分→94分なので単なるディレクターズカット版ではなく、同じ素材を使った別作品とも言える内容に仕上がっています。
 "米露の代理戦争"という背景を持っているだけにこのご時世での公開ということでプロパガンダ的な匂いを感じて毛嫌いする向きもあるかと思いますが、なかなかどうしてそうした国家間の諍いにNO!を突きつけるアスリートの気骨と己の生の真っ当の仕方を見せつける作品に仕上がっています。
 オリジナル版好きも未見の方も、老境に入ったスタローンがあらためて提示する人生の在り方に刮目していただければ之幸いでございます。
 それでは・・・・・・・・・・・・"アイ・オブ・ザ・タイガー"!!

※『ロッキーⅣ』の主題歌として記憶している人も相当数入らっしゃるかと思いますが、初出は『ロッキーⅢ』。
最近ではDCヒーロー映画『シャザム!』やクドカンさん脚本のTVドラマ『俺の家の話』なんかで使われてましたね。



Ⅰ. 作品概要

 簡単に要約してしまうと、"政治的な蟠りは翻しようが無くとも、個々人の思いと努力はそれを超えていけるはずだ"というヒューマンドラマ。
 オリジナル版では最終的にその個々人の思いと努力が政治まで動かす端緒となっているようなフシがあり、そのあたりに当時の東西冷戦の雪解けムードの片鱗を感じます。
 また、どうやらロッキーシリーズは前作の『ロッキーⅢ』までで完結の予定だったようですが、本作の大ヒットで再びシリーズが息を吹き返したわけで、その本作の大ヒットの要因はと考えると中年VS若年(あるいはアナログVSハイテク)の相克と中年側の勝利ではないかと思います。
 現実社会ではともすれば煙たがられる中年世代の現役志向への執着を本作では”生まれ持ってのファイターとしての宿命”という孤高の資質として高みに置き、すんでのところとはいえ新世代に勝利しています。
 これこそはうだつの上がらない中年世代への麻薬的な快美感をもたらし得るのであり、最近の作品だと『トップガン マーヴェリック』がその最たるものでしょう。

※そちらも過去に記事書いてますのでよろしければどぞー。⊂(・ω・*)∩

 ロッキー一作目からして"技術や体力より気迫"ないわば梶原一騎先生イズムが流れていましたが、アポロやラングと比べて体格や若さの勝るドラゴを相手にしてその色合いがさらに強まったように感じます。
 加えて、”妻のため子どものため”という良き家庭人でもある作中のロッキーの姿は、失うものが何も無いどん底のアラサー青年だった頃の彼とは隔世の感も有り、まるで生前整理のように死のエキシビジョンマッチに挑んだアポロとはどこかトーンに差がありました。
 果たして、そうしたエッセンスがどう変貌を遂げたか、以下、再編集版の印象です。



Ⅱ. 再編集版『ロッキーVSドラゴ:ロッキーⅣ』で変わった印象の数々

・子ども関係の描写をバッサリカットした結果・・・

特に能天気感あふれるお手伝いロボットは意識的に存在を全カット
一人暮らしのポーリーへの誕生日プレゼントだったそうですが、
今回オリジナル版を見返してようやく存在を思い出したぐらいなのでまぁ不要だったのでしょう。

 冒頭でのカメラを構えてのロッキーとのじゃれ合いをはじめ、終盤のロシアでの試合を自宅で友人と衛星中継で観る様子やラストでのロッキーからの「メリークリスマス‼」の呼びかけも容赦無く全カット!
 そうなると子どもの存在が置いてきぼりになるばかりか良き家庭人としてのロッキーのキャラクターにも翳りが出そうですが、代わりに強調されたのがドラゴとの対決のためにロシアへ向けて家を離れる際のお別れのシーン
 ドラゴ戦への不安のほどを尋ねる息子に対する返答のセリフが追加されています。特に効くのが以下の一節、
どれだけ苦しくても、あと一ラウンド長く戦う。そのことがその後の人生にとってすごく有意義なものにするんだ。
 これこそはアップダウンの激しい人生を歩んできた彼が息子に伝えられる何よりの教訓であり、同時にそれが後のロッキー作品にも通底するメッセージになっています。
 当然ながらこのカットは新撮ではないでしょうから、続篇に次ぐ続篇でも一本筋の通った脚本が有ったということの証左でもあると思いました。

ロッキー・ザ・ファイナル』(2006)
勝ち目どころか命も危ないエキシビジョンマッチへの父の無謀な挑戦を聞きつけるにつけ、
自身の世間体のためにも止めさせようとする息子に対し、
「どれだけ強く打ちのめされても、立ち上がって前に進むんだ!」と息子をそして自身を叱咤。
本作で語った息子への言葉が、数十年を経て"有名人の子息"という立場に悩む彼に再び響きます。


・アポロとロッキーが等しく"ファイター"である、ということ

再編集版である本作でも冒頭のエキシビジョンマッチのド派手な登場演出はそのまま採用。
それは即ち、己の信念を貫くためには敢えて聴衆の求める道化を演じる覚悟も要る、ということ。
・・・なんだかどこかのネオジオン総帥のようですが。(≧ω・)

 まずアポロですが、オリジナル版でのエキシビジョンマッチでは序盤軽快にドラゴを翻弄しつつ有効打も加えたうえでの逆襲を浴びていましたが、本作では最初から滅多打ちされている印象が強まっています
 画的にはより痛々しさが増しましたが、それがゆえに「闘いの中で死にたい」という彼の戦前の言葉がよりファイターとしての矜持として浮かび上がってきました。
 また、終盤のロッキーVSドラゴ戦も同様で、オリジナル版よりより一層にドラゴの優性ぶりが際立つ編集になっています。ともすればロッキーもアポロ同様にリングでその生を終えていたかもしれず、二人の差は相手の猛攻に耐えてそれでもパンチを繰り出すフィジカル面の衰えだけのようにも見えます。アポロの散り際に際してロッキーは彼の姿に未来の自分の最期を重ねたことは疑いなく、再編集版ではVSアポロ戦直後のロッキーとドラゴの睨み合いのシーンは省かれていました。
 実際、『ロッキー・ザ・ファイナル』ではまさにロッキーが本作でのアポロの立場に立つわけですが、その繋がりを想うと二人が戦士であったこと、その戦士が闘いの中で全力を尽くした結果生命力が潰えたのであればそれは傍から見ればどれだけ悲壮に見えても本人にとっては・・・と胸に来るものがあります。
 また、ドラゴとの正式な対戦に否定的なボクシングコミッションに対して業を煮やすロッキーの姿は『~ファイナル』でのライセンス再取得を巡るやりとりを彷彿とさせるものであり、シリーズファンとしてもニヤリとさせられました。

THE GREY 凍える太陽』(2011)
リーアム=ニーソン主演のサバイバルアクション。
作中に軍人だった主人公の無き父親が作った詩として、
"もう一度最強の敵に出会って 打ち倒すことができたなら 明日死んでも悔いは無い"
という一説が出てきましたが、これもファイターゆえの境地か…。


・"アスリートファースト"とはどういうことか?

本再編集版で"身長30センチ差"というセリフが新たに出てきましたが、
さすがにそれは誇張し過ぎでは・・・。
※ちなみに公証はスタちゃん177cm、ドルフ196cm
"ゴリアテダビデ"という表現もそのまま採用されてましたが上手いのか?

 本再編集版ではVSアポロ戦やVSロッキー戦での記者会見席上に於けるドラゴの発言が追加されており、言葉少なな印象は変わらないまでもその中でアスリートとしての矜持が示されています。
 VSロッキー戦でのファイナルラウンドではゴング前での「やるぞ」「ああ」というお互いの力を出し切って闘い抜こう、というやり取りの場面がお互いのアスリートとしてのリスペクトとイデオロギーに捉われない連帯を端的に強調しています。
 オリジナル版では省略された試合後の勝者と敗者のすれ違いのシーンも加わり、あくまで一アスリート同士の去就が強調されています。
 本来であればその競技に於ける最高峰を決定するために高みを目指すのであって、そこに国家の区切りが設けられていること自体が疑問であり、そこの主張を抑えたことで逆に国家間の諍いへの抗議の意が強調されたようにも思える中で、オリジナル版ではOPとして使用された『アイ・オブ・ザ・タイガー』がEDとして流れる爽快感の中でロッキーの人生のプレイバックを噛み締められます。



Ⅲ. おしまいに

 というわけで今回は最新映画『ロッキーVSドラゴ:ROCKY IV』について語りました。
 全体としては、家族の物語としての側面は短く凝縮させ、その代わりにロッキーの人生と過去を振り返りオーバーラップさせながら、より"ファイター"の物語として研ぎ澄ませた編集版でした。

そして結果的に政治色も抑え目に。
オリジナル版では"俺は変わってあんたらも変わった"から"俺は変わったからあんたらも出来る筈"
オリジナル版で最終的に立ち上がって拍手したクレムリンの高官たちはただ会場を後にするのみ。
融和が後退した今日の情勢への静かなる抗議とも取れます。

 老境に入ったスタちゃんの手によるテコ入れ作品ですが、それを"年寄りの説教"と毛嫌いせず、オリジナル版のファンにもロッキー未体験の方にも、人生の生き方の一例として観てみていただければ幸甚です。"過去作の再編集版"という立ち位置ゆえ、配信はともかくソフト化は難しいかもしれないのでなおさら足を運ぶ価値有りかと。
 とりあえず僕は本作を観てあらためて『ロッキー・ザ・ファイナル』を観返したいと思いました。別テイクのEDも含めて・・・。

 今回はこのへんにて。
 それでは・・・・・・どうぞよしなに。




逆に本編で省かれていて当時いささか疑問に思っていた、
アポロの葬儀で自分を責めるロッキーのくだりは再編集版で復活していました。
かといってあそこでタオルを投げていたらその後のアポロの人生は…と思うと最適解など無い訳で


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