実際の裁判で使った被害者意見陳述書

以下は僕が今回の事故の加害者側の刑事責任を問う刑事裁判において、心情等の意見陳述制度を用いて公判の場で裁判官の方、加害者の方に対してお伝えした陳述書です。実際にはこの記事は公判期日前に、検察官の方に向けて文案として提出した文章を使用しています。大筋が変わることはないであろうことと、修正が面倒なので更新はしません。加害者の方の名字を伏せている以外は完全に僕が伝えたいことの全てなので。あと、この手の文章の公開は裁判制度自体の要旨から言って当然問題ないんだけど、普通はやんないよねみたいなラインだと思います。しかし実際読み直したときに、僕の考えや近況がしっかりまとまっていて、友達が読んでくれてると便利だし、僕のことを頑張って調べたらギリ出てくるみたいな深さの場所に置いておく分にはいい事かなと思ったので公開します。以下本文。

 私は今回の事件の被害者です。今回、裁判において自身の思いをお伝えする機会を頂きましたので、以下の通りお話します。

 まず、私が被害者の立場として、裁判官の皆さん、また、この場を借りて加害者のAさんにお伝えしたいことは3点です。
私は事故前後の記憶が曖昧で、特に衝突の瞬間に関してはほぼ記憶がありませんので、一般的な、事故前後に加害者の方に対して感じる怒りの感情はありません。また、事故後の痛みや不便な生活は想像を絶するものでしたが、後ほど述べる理由によって、これに関してもAさんを強く責めたり、厳しい処分を望むものではありません。
その上でお話ししたいことは、処分を決定される判事の方に対してのものが2点と、Aさんに対してのものが1点です。

 1点目はAさんの当時の状況に関して、私の立場で感じたことです。Aさんのお仕事は自営業だと伺っています。詳しく聞いたわけではありませんので、現場にどの程度入られているのかは分かりませんが、外構工事などに関する仕事ということを聞いています。
私も高校を卒業してからすぐに自営業を始め、会社員と兼ねる時期はあれど、ずっと自営の仕事は続けてきました。今は法人化こそしていますが、自営業が、会社員や公務員では発生しないような無理なスケジュールや、仕事内容に合わせて体力的な無理を強いられる事があることはよく知っています。これは、勝手ながら公務員の方には実感しにくい、自営業者の生活の中に常に存在する負担であり、プレッシャーであると思います。
また、外構工事のお仕事をされており、お子さんもいらっしゃるということで、仕事に限らず、生活の中心に車や運転というものは動かしがたく存在していると推察しています。そんな状況があるからこそ、居眠りするほど疲れているのに、運転をしてしまったのではないかと思います。
ですから、引き起こした結果こそ重大なものでしたが、Aさんが事故当時、疲労状態でどうしても運転をする必要があった事情や、判断能力が低下して運転しても大丈夫だと考えてしまった背景は私には一定程度理解できます。

 2点目は私自身の状況に関してです。
私は高校が家から遠かったので、2年生になったタイミングで原付免許の取得を許可され、そこからは卒業まで毎日原付で通学していました。在学中から追い越しの時に接触を受けたり、山道で自損したりしていましたが、バイクで走る楽しさを知り、卒業後も引っ越しのたびに原付を連れて行き、通勤などに使っていました。東京の真ん中で乗っていた時期も、今のように山道が中心の時期もありますが、四輪免許を取らなかったので、移動はいつもバイクでした。
バイクで運転していると、車に乗っている時と比べて、車体の小ささや、事故の時の衝撃の大きさから、危険を感じることが非常に多いです。
端的に言ってしまえば、自分の回避が間に合わなければ殺されていたなと思うほど危険な目に遭うことも多いのです。それでも、実際の接触がなければ相手の責任を問える訳ではないので、自分自身が気を引き締めなおして運転を続けるしか選択肢はありません。
そうやって危険な目に遭うたび、同じように移動するのなら四輪の方が圧倒的に安全なのだと思い知ります。事故の前から、ぼんやりとではなく真剣な問いとして、なぜ自分はわざわざ危険なバイクに乗るのかを考えていました。私の会社はまだまだ不安定な状態で、車の維持費や免許取得費がとても出せそうになかったというのは大きな理由ですが、無理をしてでも車に乗り換えなかったのは、やはりバイクに乗ることが私にとってとても楽しいものであり、会社や仕事が大変な時期にあっても、気分の良い時間になっていたからです。
私にとって、バイクに乗る選択肢は常になんとなくではなく、積極的に選びとってのものでしたし、その時には常に自分以外の人の理不尽な運転や状況によって、自分の身が危険に晒される可能性はしっかりと検討し、納得して乗っていました。今回、そのリスクが実際に現実のものになったことは非常に残念ではありますが、私の考えとして、一度自分で引き受けたリスクが、例え形としては自分以外の誰かの過失のみによって現実になったからといって、その人を特段恨んだり憎く思うことはありません。また、今回の件があったからと言って今後はバイクに乗るのをやめる見通しは、私個人の気持ちとしても、体調やトラウマの面からしてもありません。

 ただしこの点に関しては、まず現状身体の回復具合からして、まだまだ1日バイクに乗ったり日常生活に完全に戻ったりは出来ていないこと、従って少なくとも半年くらいの間は、バイクという大切な趣味が失われる見通しであり、私が非常に残念に思っている事をお伝えしておきます。
また次に、上記のようなとらえ方はあくまで私個人のものであり、私の妻や両親、親しい友人には、私が上述の通り、自分の趣味のために、自分の体が傷ついたり周りの人が悲しんだりするリスクをとってきたことに関しては納得しているものの、今回のように誰かほかの人の過失でそのような目にあっていることは、たまたま私がバイクに乗っていたからといって容認できるものではないし、納得できないと言われていることもお伝えします。
加えて、私の会社でアルバイトや業務委託として働いていただいている方々には、今回の事故で数か月に渡って非常に負担をかけています。私が入れなくなったシフトを既存のスタッフで回さないといけないため、家庭の事情を押してシフトに入ったり、新しい業務内容やそれに伴うミスの補填、社長の動きが止まる大きな不安感の中で今もなんとか業務を続けていただいています。この方々からすれば、今回の事故は予定外の難題でしかなく、私としても非常に申し訳なく思っていますし、この方々は私にも、強い処罰感情を訴えておられます。直接の被害者は私一人ですが、今回の事故では私の周りの方々も傷ついたり、困っているのも事実ですので、やはりこの事情もお伝えする必要があるかと思います。

 3点目はAさんに対して、この場でお伝えしたいことです。
Aさんには事故直後から概ね適切な対応をしていただき、また私の父と連絡を取り合っていただき、翌日には直接謝罪の言葉も頂きました。中でも居眠り運転の事実に関して早くから保険会社に伝えていただいたので、私が朦朧とした意識の中で一番気がかりであった民事手続きにおける過失割合の点に関して、早期に結論を出して安心することができました。
事故直後の適切で正直な判断を、その日運転を始める前にとって頂けていたらと残念な思いはありますが、事故の相手方の対応に概ね不安がないことは、事故から今までの生活においてかなり助かった点だといってよいと思います。
上述の通り、私はAさんの事情に関しても、自分が当時引き受けていたリスクに関しても考えた上で、また事故前後の詳細な記憶がないことから、Aさんのことを恨んだり、憎んだりするような気持ちは持っていません。ですから、刑事上や行政上の処分が厳しくなることも望んでいません。
しかし、そのような気持ちを持っていないのは、あくまで交通事故当事者としての責任を全て果たしていただく事を前提としています。刑事上の責任に関しては今まさに、私の意見も参考に適切に判断いただけると思いますし、行政上の責任に関しても、恐らく普段の仕事に車の運転が必須のAさんにとっては充分なものになるのではないかと感じています。
ですからこの場でお伝えしたいこととしては、やはり民事上の責任として、賠償に関しては本当にしっかりとお願いしたいということになります。
Aさんは幸い、充分なプランの保険を契約していただいていたと思っています。また早期に過失割合が確定したことで、私の安心感だけでなく、そのために弁護士を雇う必要もなく補償に向けた話し合いが始まりました。
しかし、Aさんが経験されたことがあるかは分かりませんが、交通事故の損害賠償請求というのは本当に手間が多いですし、適切にできたとしても、形として損害が賠償されてゼロに戻るだけで、何の得もない、本当に不毛な作業です。私は事務的な作業がとても苦手で、この点に関しては大変な苦痛とストレスを感じています。
もちろん建て付けとしてはその間の精神的な辛さであるとか、事務手続きにかかった費用も含めて補償されることになりますが、あくまで相場に準じてのものであり、十分とは思えません。しかしそこを争うことも現実的には出来ません。
加えて、余りにも通院が大変なので加療を中止した傷害もありますし、例えば妻と2人がかりで当初1日1時間かかっていた全身のガーゼ、包帯の取り換えなど、用意されたパターンに当てはまらない時間の損失は凄まじいものがあります。実際、事故のあった月はフリーで仕事をしている妻の受注、納品すら大きく下がっていますし、補填する見通しは今のところ何もありません。また、事故前後に私の会社は、ベンチャーキャピタルのアクセラレーションプログラムに採択されるなど、本当に勝負所でした。事故の日からたくさんの予定をキャンセルし、恐らく2度と手に入らないチャンスも多かったと思います。

繰り返しお伝えしているように、私はバイクに乗っている自分が引き受けていたリスクに納得していますので、今回の事故で、一定程度拾いきれない損害が出ることは全く構わないと思っています。しかし実際のところ、事故直後からの色々な損害で、私の会社は致命的な影響を受け、一部事業は撤退を検討するほどの状態になっています。それに伴って私個人へも給料を止めているので、自分たちの生活にすら苦しんでいる状態です。年商が2,000万円ほどある会社ですが、現預金が20万円ほどしかない状態ですし、100万円ほどあった個人の貯金も会社への補填で完全になくなりました。バイクに乗ることと同じく、会社経営もまたそれなりのリスクを伴うものだという認識はしています。しかし今後保険会社の方と話していく中で、争点となる営業損害が認められなかったり、それどころか損害認定のタイミングが遅れただけでも、おそらく会社自体が危ないという状態です。これは私としても容認できません。細かなものは受け入れられますが、仕事が問題なく続けられる程度の補償に関しては、絶対にお願いしたく思っています。Aさんとしても、まずは保険会社に掛け合える対応などがあればお願いしたいです。また、幸い現時点でその見通しはありませんが、今回の事故で私に生じた損害が、保険会社の立場として認定されないものなのであれば、Aさんにも、納得できる、可能な範囲で、補償をしていただくべきだと考えています。それはいくら私がバイクに乗っている会社経営者であり、Aさんが保険会社と契約していたとしても、車を運転する人間が引き受けるべき責任だと考えています。

以上が、事故の日から今日に至るまで、私が事故に関して考えたことのうち、この機会に意見としてお伝えしたいことです。ほとんどは判決の参考意見としてお伝えできれば満足ですが、補償に関するAさんの考えに関しては、是非裁判の場でお聞かせ願えればと思います。


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