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平成の終わり。「ゆとり世代の遊び」中心に振り返る。前編

こんにちは!こんばんは!
おーたきです。


2019年も1ヶ月が経ちました。早いですね。
今年は何と言っても平成が終わります。残すところ3ヶ月となりました。

振り返り記事って結構あると思いますが、自分のために私も振り返っておこうと思います。


平成=人生

そもそも私は平成2年生まれの28歳なので、
平成の振り返り=人生の振り返り
なのです。

正直、平成初期はほとんど記憶もないですし、ただの個人的な振り返りになってしまうのですが、興味のある方だけ少々お付き合い下さい。


1990年生まれ

まず、平成2年といえば、1990年です。平成は2年目ですが、90年代の始まりの年になります。

平成は31年の4月末で終わるので新元号の元年は2019年ということになりますよね?

ということは2020年が新元号2年ということになるので、個人的にすごく覚えやすいです。ありがとうございます。

とっても個人的ですが、この2020年に子供が欲しいな〜なんて思っていたりもします。


阪神淡路大震災

1993年に阪神淡路大震災が発生しました。私は大阪出身で、この時の記憶は少しだけしか残っていないのですが、
ベッドが揺れて、その上で跳ねたのがきっかけで目覚めました。
家具が倒れるまではいかなかったものの、ガラスケースの中の置物などが倒れて割れたりしてました。

この時のエピソードで強烈に残っているものがあります。
当時神戸に住んでいた親戚の家は1階が潰れて2階が1階になってしまうような状況でした。
その親戚の家は両親と娘3人の5人家族で、娘は皆学生でした。
高校に通う次女のために毎朝早起きをして母親が弁当を作っていたのですが、その日はたまたま寝坊して起きれずに寝ていたところ、地震が発生しました。
本来であれば1階で弁当を作っていた時間にたまたま寝ていた2階で下敷きになることを防げたのです。
この話を聞いた時は本当に救われましたし、バチが当たらなかったんだなぁという感性が芽生えました。

ペットのうさぎが死んでしまったものの、親戚家族は怪我をすることもなく切り抜けることができました。
不幸中の幸いという言葉を実写化したような体験でした。


俺たち、ポケモン世代

何と言ってもポケモン世代だと思います。
幼稚園の年長の頃、ポケモンが流行り出しました。小学校に通い出すとポケモンの話題で持ち切りです。
世の中(経済やスポーツなど)のルールはゲームから学んだと言っても過言ではないです。

例えば、ポケモンではトレーナーと勝負する事でお金を稼ぎ、フレンドリーショップで道具を買います。
道具がなくても道で拾ったりするのでストーリーは進んでいくのですが、物事をうまく、効率的に進めるため、あるいはより面白くするために道具の購入は必須なのです。

例えばお金が足りない時、手持ちの道具を売ってお金にするか、トレーナーを探して戦いに勝ってお金を稼ぐしかないのです。
このあたりのゲームをうまく進めるための感覚が仕事をする上での価値観などにも結びついているような気がしています。

属性についてもそうです。
火のタイプのポケモンには水タイプの技で攻撃すると効果バツグンとなる。
あぁ、たしかに現実でも火に水かけたら消えちゃうよな〜
みたいな感覚です。
これらの感覚が小学校高学年で学ぶ理科や社会に生きてくるのです。

正直、幼稚園児にはちょっと早すぎるかもしれないのですが、我々世代はポケモンとともに育ったと言っても過言ではないのです。
いや、それはさすがに言い過ぎかもしれません(笑)


たまごっち、デジモン

ポケモンの直後にきたのがたまごっち、デジモンの波です。
実際にはたまごっちブームはもう少し前かもしれません。

我々にとっては小学校に入った時期にデジモンが大ブームとなりました。

ポケモンはゲームボーイでしたが、さすがにゲームボーイを学校やスイミングスクールに持っていくわけにはいかなかったので、手のひらサイズで友達と対戦もできるデジモンが流行ったのだと思います。

スイミングスクールに持っていってパクられたのはいまだにムカつきますが、デジモンという文化は我々の中では非常に大きいものです。


遊戯王

何と言っても遊戯王のカードゲームは我々世代を虜にしました。
ポケモンカードは年齢的にも少し早すぎたので、少し成長した小学校低学年から高学年に至るまで熱中しました。

ポケモンで収集と戦略の楽しさを学んだ私たちにとってより高度な戦略と収集の場が与えられた遊戯王に夢中にならない人はいなかったのです。

友達の家で遊んだり、学校の校庭に持っていって自慢したりするのですが、そういうときは大体レアカードが抜かれて揉めるのです。

みんなが集まる公園にはレアカードをコピーして高値で売りつける詐欺師のおじさんが出没し、学校では騙されないように注意してくださいという連絡まで発行されました。


ニンテンドー64

ニンテンドー64は小学校に上がる頃に発売されたと記憶しています。
中でも思い出深いのはマリオカート64と大乱闘スマッシュブラザーズです。

共に今でも続く大ヒットゲームなので説明の必要はないと思いますが、友達を家に呼んで遊ぶといえばこのどちらかだったような気がします。


21世紀到来

そして、ノストラダムスの大予言がベストセラーになって、わけもわからず地球が滅亡するとかはしゃいでた20世紀末。
CMなんかでも「もうすぐ21世紀なのに」とか「世紀末」などのワードが頻出でした。

このあたりは最近「平成最後の〜」というフレーズをやたら聞くのと近い感じがありますね。

2000年はミレニアムという言葉をやたら聞きました。これも意味もわからずやたら使っていたことを思い出します。
野球少年だった私はふざけてミレニアムフォークとか変化球もどきに適当な名前を付けて遊んでいました。ほっこりしますね。

2100年の時もまた同じようなことになるのでしょうか?
たぶん生きているのではないかと思っているので、このnoteがその時また見返せるようになってたらいいですね。ちょっとしたタイムマシーンです。


ケータイ電話

1999年頃、我が家にケータイはやってきました。たしか当時はj-phoneのアニメっちゃという動物が出てくる機種だったと思います。

pcはWindows95のデスクトップが1台あってソリティアとペイントくらいしかできなかったことを覚えています。

ケータイは外出先などでも気軽に電話をかけれて、生活に革命を起こしたと思いきや、正直いる?ってレベルだったような気がしています。

子供が持つものではなく、大人が徐々に持ち始め、メールや写メールを送り合うようになっていきました。

私自身は中3の終わり頃にようやくケータイを買ってもらい、すでに持っているクラスメイトとメールをし始めました。

このころはまだパケット定額の契約も少なく、メール1通◯円、電話1秒◯円の時代でした。
友達と家にいても繋がれる体験というのが最高すぎました。

毎日が人生史上最高の出来事を更新していくような感覚で、世界が広がっていきました。

スマホの登場からは後編に書きたいと思います。


前半終了

いかがでしたでしょうか?
遊び道具を中心にした振り返りでした。
中学卒業くらいまでの振り返りをサクッとしてみました。

こうやって振り返ってみると、恵まれているなと感じつつも、今の子たちとは明らかにギャップがあって、平成最後の今年に生まれた赤ちゃんが社会人になった頃には、おっさんは化石化しているんだろうなと感じ、悲しくなったりもしています。

いつまで経っても脳みそだけは若くいたいものです。
脳を若く保つ方法を知っている方は教えてください。28歳の若造が何をいうとんねん!というツッコミもお待ちしております。

それでは。


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