「学歴」はあるけど「学力」はない

突然ですが、

お前には学歴はあるが学力はない

と、面と向かって、目を見て、言われたことはありますか?


私は、あります。

バイトも始まって半年強経っていました。

そのバイト先である小さなハプニングが起こり、その場にいたのは私だけしかおらず、どう対処していいか分かりませんでした。


そして、近くにいた社長に

私「すみません。○○があったんですけど、どうすればいいですか?」

社長「××して。」

私「はい。ありがとうございます。」


社長「あのなあ」

なんでお前は、○○があって私は△△したいんですけど、どう思いますか?っていう聞き方ができないんや?

お前には、学歴はあるけど学力はない。○○(世間的に"3流"と言われる大学に通っている同期の1人)のほうがよっぽどいいわ


そこで言われた、言葉たち。

そんなこと、言われたことがなく、しかも面と向かって直視して言われ、

「私のこと何も知らないくせに」「何だこの人」なんて全く思う暇なく、

すっと私の中に入ってきました。


時々、ふと瞬間に思い出すことはあったのですが、

先日、留学をしているあるドイツの大学で、この言葉・そして自分の人生を見つめ直させるある衝撃的な出来事がありました。

前提として、ドイツの大学では「ディスカッション」が多いです。世界基準では分からないですが、少なくとも私の知っている日本よりは。圧倒的に。


先生が喋っている途中で、生徒がよく手を挙げ出します。

先生がその生徒を指名し、生徒が先生の言っていることに対して反論しだし、その反論に対する賛成・反対意見が他の生徒から飛び交う光景は本当によく目にします。


「これに対してどう思うか?」の問いに対して10人生徒がいたなら90%の確立で誰かひとりは1秒以内もしくはそれより前から手を挙げています。

私はドイツの高校に教育実習に4ヶ月行っていたのですが、その学校でもよく議論が行われていました。


小学校も見学に行ったことがあったのですが、やはりそこでも、先生が話している途中に手を挙げて指名されるのを待ち、先生に対して発言する子どもたちがいました。(小学4年生)


大学ではその集大成と言わんばかりの話し合い様で、ついていけない私の恰好な言い訳は

ドイツ語だから無理なだけで、日本語だったらできる

でした。


実際に、日本では議論多めの授業や学生団体に積極的に参加していたので、その可能性は高いのですが。

しかし、そうやって言語の差・環境を言い訳にしている自分のことは本当に見るに耐えないほど嫌いだったのですが(なら変えろよと思うけど)(なかなか自分って、理由付けて甘えさせてしまうと変われないものです)。


しかしです。

今回、舞台は英語のゼミであり、生徒は4人、授業はディスカッション中心に進む。

私もその輪に入る絶好のチャンスでした。


なのに、

びっっっっくりするほど

アイデアがない。


「どう思う?」に対する自分の意見がない。何をどう考えていいのか分からない。

周りが言ってることは理解して、賛同もできる。AかBどちらがいいかという問いには答えることができる。

ただ、「なぜ?」に答えることができない。


まさに、I have no idea

分からない


例えるなら、人生で初めて料理を作る人に、周りが「とりあえず適当にやってみな」と材料もグラムも教えず作らせ、周りの思う「適当」が当本人にとってどれだけ難しいことなのか想像してみよという状況によく似ています。(分かりにくい)


周りが望んでいること・自分がしたいこと・自分の現状が全く噛み合ってない状況です。


こんな経験は初めてで、分からなさすぎて、そんな自分が信じられなさすぎて頭の中が真っ白になりました。

あれ、私今までの長い学生生活何してたっけ・・・・・?

回想シーンを終えて思ったこと。


あ、また、環境のせいにしようとしてる。


すごく自分にがっかりしたなあ。落胆という表現が正しいのかもしれない。

基本的に自分には自信があって、好きだし、それは変わらないけど、いくらそんな自分だったとしても嫌いなところがあって。


確かに、今まで受けてきた日本の教育のせいかもしれない。学校でも常に「先生の言うことに反論はせずテストでいい成績を取るいい子」だったのも問題なのかもしれない。

でも、全部過去で。


過去と現在は繋がってるけど、過去は変えられない

過去のことぐだぐだ考えて、、、、


私は悲劇のヒロインか。


なんて考え出すと自己嫌悪の負の連鎖が始まるわけで、そんな時・・・・・・

自分で、日本教育のせいにしようとしてたくせに、

周りにそう言われると

イラッとする。「違う」と声を張って言いたくなる。


なんて、

なんて、

なんて面倒なやつなんだ・・・・・・


まあもうそれはともかく、

この1日の出来事で、まるで私のこれまでの生き方を否定されたように感じたのは事実です。


だれも悪くない、私のせいでも、社長のせいでも、ゼミ同期のせいでもない。

この出来事があったからって、私が決断力に欠けてるとか、そういうことでもない。少なくとも、私は自分自身を、物事を考えられるし、決断もできる人だと評価できる。

このゼミの議論に参加できなくても、私にしかできないこと(日本のことについてプレゼンするとか)をしたら私がいる価値が生まれるのかもしれない。


そもそも日本とドイツは違うから、人も考え方も違って当然で、比べること自体が不可能なもので、そこまで気に病む必要はないのかもしれない。

そもそも、「学力」という力は私の人生において必要なのか。その力がなくたって他の力を発揮していけばいいんじゃないか。


でも、でも、

そうじゃない。


私は、小さい頃から、「人より秀でてできるもの」がないのがずっとコンプレックスだった。小さい頃は自己肯定感がまるで無かった。

そんな私を今まで支え上げてくれたのは「学歴」で。

物心ついたときから、同じ時間で同じことを勉強したとしても私は常に人より理解できて、テストでも常にいい成績だった。

いい成績を取って常に学年トップにいると、親からも褒められて、友達からもすごいと言われ、悪い気はしなかった。


中学・高校という、自分のアイデンティティを形成する思春期の大半の時間を占めてきた環境下で何よりも大事だったのは、クラスでどれだけ発言をしているかよりも、テストでどれだけいい点を取れるか、だった。

地元でまあまあいいとされている高校に推薦入試で楽々合格し、全国的にいいとされている大学に私立は受験せず現役前期入試合格という形で合格できた。

そんな学歴社会・日本を否定する人も多いけれど、少なくとも私は、この学歴社会に支えられてきていて。


確かに、学歴だけで自分を評価されるのは大嫌いだったけど、でも、

「すごい」と言われるのが

自分そのものの自信に変わっていたのは皮肉ながら確かで。


その自信が土台にあって、今こうやってブログでビーレフェルトについて発信したり、自分の過去に触れられているのは確かなことで。


私の考えでは、「学力」は「学歴」に対して相反するものなのですが、

※私の「学力」の定義は、「思考力。自分で物事を考える力」です。


だから、今まで私の土台となってきたものを、否定されたような、

「すごい」としか言われたことがなかったのに

学歴はしょせん学歴

そんなもの、何の役にも立たない

って言われているような(言われてません)


むなしいような、悔しいような、そんな気持ちになりました。


そんなこんなで、暗めの記事になっているのですが、当の本人は基本寝たらリセットされる人なので、そんなに気に病むこともなく、今こうして冷静に先日の自分の心境を振り返ることができています。ハッピー野郎でよかった。

1週間くらい考え続けるとなんでこんなに悔しいのか理由が分かって、理由が分かると結構すっきりするものです。


留学して、ドイツのディスカッション中心の授業に参加するようになってから、ずっとずっとモヤモヤしていた理由が分かりました。



私が教育学を学ぶ上で大切にしている言葉があります。

"Education is the most powerful weapon which you can use to change the world." - Nelson Mandela

"教育とは、世界を変える最も強力な武器である。" ー ネルソン・マンデラ


私は、教育で世界を変えようなんて、そんな壮大なことは思っていませんが、教育(学校教育・家庭教育含み)は子どもから大人への過程における人格形成に最も大きな役割を持っていて、教育を変えるとその子たちが大人になったときの世界が変わるという考えには合意しています。


今の私は、何かを変えることができるんだろうか。

なんて、紅茶を飲みながら考えたりもしているものです。


言葉は、人によって解釈も違い、言葉遣いによってニュアンスも変わり、怖いです。結構びくびくしています。伝わっていることを祈って。


----- ✂︎ -----


と、2017年6月ドイツ留学真っ最中に書いたブログを長らく非公開にしていたのですが、今回noteに再掲してみました◎


ちなみに後日談ですが、このゼミで「わたしは発言したいという気持ちはあるけれど他の人より少し考える時間が必要です」と伝えました。すると自分自身含め先生や同期もゴワゴワそこにあったわだかまりが少しは解けたみたいでした。自ら意見を発するのに抵抗があるのを察してか質問をふってくれるようになったり、1番発言していた子は自分だけでなく周りの意見をより丁寧に聞くようになったり...少しずつ授業がインタラクティブになっていくのを感じた瞬間でした。


当時無名の私が書いたこの記事はFacebookシェア500?など超え色々なところで肯定的にシェアしていただき「これを読んで全く同じすぎて泣きました」「勇気になりました」など、今まで書いてきた中でおそらく1番"人の心を動かした"みたいです。


逆に、そんな風に自分の手で誰かの心を動かしてしまうことが何の影響力もなかった当時の私にとっては少し怖いもので、今まで1年半ほど非公開にしていたのですが、今思い返しても自分の心をきちんと言語化できた「良い記事だな」と思うので、この度noteに公開することにしました◎


わたしの経験・言葉がどこかの誰かの支えになりますように。

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サポートがあると大好きなアイスを食べれるのでわたしが個人的にすごく幸せになります。創作活動にいかします◎

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komachi

ドイツ語を教えて、伝えて、かく仕事をしています🌙 ドイツ語を通じて日常に小さな幸せを: ドイツ語教室Vollmond の中の人🌕 HP:http://vollmond.online

#わたしのドイツ留学

ドイツ留学時代にかいていた4コマ漫画や体験記を加筆・編集を入れながら少しずつ公開していきます◎
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コメント1件

はじめまして。つい目に入ったので読んでみました。私も海外の授業に興味があります。
海外の授業受けられるだけで十分優秀だと思いますが、「発言・意見のもと」となる「アイディアの出し方」を学校の勉強では習ってないのでわからないんだと思います。
私は学校の勉強はさっぱりだったのですが、独学で漫画を描いていたので、どうにかしてネタの出しかた、展開の仕方を四六時中考え続けてました。
これは「風刺漫画」などの発想方法なのですが「周囲にいる人の行動や趣味をネタに、膨らませる」という方法や「それを逆に考える」といったやり方があります。
例えば、ひねりのついた置物があったら「この場面をひねったらどうなるか?、逆に平たくするとどうなる?」と連想して話をひっかきまわしたり、
「父の趣味はゴルフだ→課題の「鳥」でネタを作らないといけない。→両者の共通点は「高く上がったボールやフンが落ちる」こと→「ボールの代わりにフンが落ちてホールインワンになったら面白くないか?」と考えたりするので
与えられた議題を「逆、連想、共通点」などから切り込んで
主に、創作系アイディアの出し方を参考にするといいかもしれません。
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