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慈愛はハートからやってくる

慈愛は、その人の本質の中に、

誰の中にもそなわっているものです。


ユニティインスティチュートで提供している
「本質の目覚め」では、

慈愛をはじめとして、
さまざまな本質に
気づいていくことに
ワークしていきます。


スタンフォード大学で開発された

コンパッション育成トレーニング(CCT)では、

慈愛の本質にフォーカスして、

その慈愛の本質の探求を深めていきます。

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この二つのワークの探求の要点は
慈愛というのは、

どこか遠くにあるものではなくて

誰もが慈愛を内側に持っているのだから
そのことに気づいていきましょう
というところにあります。



人によって、慈愛ということについて
さまざまな考え方があります。

歴史的に見ても、それぞれの立場によって、
その定義も異なっています。


私が思っていた慈愛というのは、

Oshoが語っているような、

仏陀やOshoやダライ・ラマのような
特別な人のみが持っているようなものだ
と思っていました。

なので、

仏陀やOshoのように
悟ってもいない自分に

そんな慈愛が可能だとは
夢にも思わなかったのです。


慈愛と言えば、
観世音菩薩や千手観音のような

お経に書かれているようなものだと、

長い間、思い込んでいたのです。

そういう慈愛というものが本当にあるんだ!


ということを身を持って体験したのが
Oshoに出会ったときでした。


でも、

それはOshoならではのもので、

自分にはそんなものはない
と思っていました。


そのOshoは、慈愛について、

次のように語っています。

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 慈愛とはその人のハートの中から
 
 来ることを意味しており、
 
 外側の状況とは何の関係もない。


 慈愛の人のハートからは、
 
 たとえその人が独りで座っていようと、
 
 慈愛が放射しつづけることだろう。

 それは孤独に咲く花のようなものだ。
 
 それはその香りを広げつづけることだろう。

 それは通りかかった人とは何の関係もない。


 花の香りは、
 誰かが通り過ぎているかどうかには関係がない。

 たとえ誰も通りかかっていなくても、
 
 その香りはその孤独な空間に染みわたっていく。


 たまたま通りかかった人が
 その香りに魅了されたとしても、

 それは別の問題で、
 
 その人のために花が咲いたわけではない。

 内なる意識こそが慈愛の源泉なのだ。

 慈愛はそこから香りのように生じている。

 それゆえ、仏陀やマハーヴィーラが

「哀れみに満ちている」というのは間違いだ。

 彼らは慈愛に満ちているのだ。
 
 彼らは最高に慈愛に満ちている


              Osho


美しい、詩のような言葉です。


これままさしく、
Osho自身から放射されている慈愛について、
自分の体験を語っていることがわかります。


仏陀やマハーヴィーラなどから、
放たれている慈愛です。


それはある意味、そうなのですが、

でも、実はそうではない、
というのが最近になって思うことです。


「愛」ということについては、
とても人間的なもので、

これまでいろいろと考えることはあっても、

「慈愛」というのは、
人間を超えた存在からのもので、

愛とは別物だと考えていたのです。


そんな私に、

慈愛はもっと人間的なもので、
自分にとっても手が届くものとして、

考えることを可能にしてくれたのは、

コンパッション育成トレーニングに

かかわりはじめてからのことです。


それを契機に、慈愛について、

いろいろ調べているうちに、

Oshoって慈愛について、

こんなにも語ってくれていたのか、

ということについて、

今更ながら気がつきました。


愛にばかり目がいっていて、

慈愛については、
他人事のように思っていたのです。

しかし、


慈愛について知らなければ

愛についても本当のことはわからないし、

瞑想についても本当のことは
わからない。

ということに、
今さらながら気がついたのです。

今まで何をやっていたんだろう?

と、つい後悔してしまいそうになりますが、


CCTでは、
自己受容と自己寛容(自己を許す)
についても学びます。

過去に後悔していることや、

許せない自分を許すこと。

そのことをより深く見ることで、
自分を許し、自分にも慈愛をもたらすことが
可能になってきます。


ユニティインスティチュートの
「本質の目覚め」では

そのことは、
ハートの機能を使ってアプローチします。

スタンフォード大学が作ったプログラムの
CCTでは、マインドの機能や心理の考察を
含んだ科学的アプローチです。

Oshoは瞑想によるプローチです。


ユニティインスティチュートは
Oshoの洞察を、よりシンプルに
わかりやすいアプローチにしているので
Oshoの流れに基づいています。


これらの3つのアプローチを見ていると、
それぞれの慈愛に対する定義やアプローチを
知ることができて、
とても興味深いものがあります。


Oshoが語る、
慈愛にについての話を聞いていると、
自分にとっては高嶺の花で、

とても自分には手が届かないことのように
思ってしまうことを、

スタンフォード大学のプログラムは、
マインドで理解し、実践しやすい
アプローチとして教えてくれます。


まずは、
今できることから始めることができる。

そういう意味では
「本質の目覚め」とCCTは
日常生活で実践しやすくできています。



「慈愛とはその人のハートの中から
 
 来ることを意味しており、
 
 外側の状況とは何の関係もない」

とOshoは語ります。

この言葉には、
理解するレベルによって、
様々な意味があります。

CCTでのアプローチは、
マインドにも理解できて、
手が届くアプローチです。

慈愛は外側からのものではなく、
すでに内側にある慈愛に気づき、
それを育成していくアプローチです。

「本質の目覚め」のワークでも同じです。

ハート瞑想を使いながら、
内なる本質である愛に気づいていきます。

Oshoはそのことをさらに抽象的(次元が高く)で
詩的な表現をしています。


しかし、その本質は同じです。
アプローチが違うだけです。

究極的に到達するところは同じです。


私たちは愛や平安、喜びなどを

外から得られるものと思って、

外にある人や環境や状況に
その原因を
求めてしまいがちです。

実はそれは外側にあるものではなく、

内側にあるものだということに気づくことが
その最初の一歩です。

それは、
コペルニクス的な視点の転換です。


マインドだけで生きている限りは、

なかなかそのことには気づけません。

なぜなら、

マインドは外側だけに目が向くように
できているからです。

ハートの気づきがなければ難しいものです。

あるいは、瞑想やマインドフルネスが
必要になってきます。


外なる探求はマインドで。
内なる探求はハート瞑想(瞑想)で。



そして、
慈愛に興味にある人に朗報です。

新しく「コンパッション育成インテンシヴ」

という2日間のコースが開設されました。

CCTだと8週間のコミットが必要となり、

なかなかそこまで時間が取れない。

参加したいけど、スケジュールがとれない

という人たちからの声をいただきました。

そこで、2日なら時間が取れる、
そういう人のためのコースを
開催することになりました。

もちろん、CCTと同じく、
スタンフォード大学が開発したプログラムです。


瞑想をしたことがない、

という初心者の方もご参加できます。


コロナの状況の中で、

精神的に不安定になったり、

介護などの人のケアをする機会が多くなったり、

三密回避といいながら
家庭内が密で、
家族関係のいろんな事態に直面したり。


ちょっとしたことで、

感情的なストレスが爆発しがちです。

そんなときにも、

慈愛は助けになるものです。

究極的な慈愛は無理でも

今ある慈愛から始めることができます。

そんなアプローチに興味ある方におすすめです。

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