孤独を計る公式

ガンダムが好きでリラックマが好きで屁理屈が好きでバッハが好きな人は果たしてどの程度いるだろうか?人間が様々な要素のパッチワークでできているとするなら、本当に分かり合える誰かを見つけることはなかなか難しそうだ。

─人間は孤独、ですか?

─そんなの分かってるって、ハハ。

ところで、『ドレイクの公式』というものがある。これは、宇宙に人間以外の知的生命体がいるかどうかを数理的に検証する公式で、以下のようにあらわされる。


ドレイクの公式

『N=N*×fp×ne×fl×fi×fc×fL』

N  :進歩した技術文明のある星(人類と交信可能)

N* :銀河系の中の恒星の数

fp :惑星系を持った恒星の割合

ne :上記惑星系の中で、生物の存在しうる環境を持つ惑星の割合

fl :上記環境を持つ惑星の中で、実際に生物が誕生した惑星の割合

fi :上記惑星の中で知的生物のいる割合

fc :知的生物のいる惑星の中で、通信技術を持つ文明のある割合

fL :その惑星の寿命の中で、技術文明の存在する期間の割合


ドレイクの公式は言わば、“ある集団の中で、特定の条件を満たす集合を、要素ごとの割合で考える”という、なんの変哲もない工夫に過ぎないのだけれど、この方法を寸借して人間に当てはめてみると、“色々な要素を抱えた人間ほど分かり合える人が少ない”ということになりそうだ。

そこで、孤独を計る公式。

『分かり合える人=母集団×要素A割合×要素B割合×要素C割合…』

この公式の出力結果が1未満になったとき、その人は孤独だと結論する。分かり合える人が誰もいない、と。

ちなみに、抱えた要素の程度は、“個性”と呼ばれることが多い。要素の寡多や種類が個性となり、孤独の如何を左右するわけだ。孤独を避けたければ、持つ要素をできるだけ少なくするか、持つにしてもメジャーな要素を選ばなければならない。これには『限定要因』を回避するという意味がある。限定要因とは、生物学の用語で、植物が光合成する際に、照度・温度・二酸化炭素量などの諸条件の中で、一番不利な条件に合わせて光合成量が制限されてしまうことを言う。

『ドレイクの公式』も『孤独を計る公式』も、要素成分の割合の積(掛け算)なので、一つでも低い値があると、出力結果全体がそれに拘束されることになる。少なくとも計算上、は。

また、要素同士には距離のようなものもある。組み合わせの傾向と言ってもいい。それは、クラシック好きにはジャズを聴く人もかなりいそうだけれど、さすがにモーニング娘を愛聴する人は少なそうだ、というもの。

( N:クラシック∩ジャズ > N:クラシック∩モーニング娘 )

では、要素を全く持たなければ良いか、というと、そうでもない。透明な絵の具をいくら塗り重ねても、絵にはならないからだ。そもそも“分かり合う”ということが成立しない。人間は必ず何かを選ばなくてはならないし、それが人間を分け隔てる。

“何も選ばない”という選択はできない。

選ばざるを得ない“個性”によって人間は選別され、

場合によっては孤独を押し付けられる。

“個性”がやたら持て囃される時代だけれど、望まれる個性とは常に“多数が受け入れ可能な個性”のみだ。この際はっきり言っておく必要がある。個性など必要ではない、と。

『ワタシ(俺)って変わってるって言われるんだよねー』

とは、よく耳にする陳腐な自己アピールだけれど、これを耳にするたびに密かに暴力衝動が沸き起こる。笑顔でビンタしたいね、実は。

本当に変わっている人間は、もっと悲しそうに俯いているものだ。ちょっと変わっていることを困った風に、しかし内心では得意げに語ってみせるおまえ、おまえだよ、おまえ。It's you!!

人と変わってることに価値を見出してるおまえは、きらめくばかりの凡人野郎です。身の程を弁えて下さい。僕は“個性”を賛美してみせる人間を信用できない。なぜなら、個性というものは本来、“孤性”と書かれるべきものだから。 

CMのあと、さらに驚愕の展開が!!