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タルタリア

本名はニコロ・フォンタナという。

『タルタリア』という名は“どもる人”という意味で、彼が持つ吃音に由来している。子供のころに受けた戦争の傷がもとで、彼は発音が不自由だった。

冒頭の数式は、彼が解明した三次方程式の一般解だ。彼は、これを自分だけの秘密にしておきたかった。というのも、当時の数学には秘術めいた側面があり、懸賞金が賭けられた公開試合などが行われていたからだ。未知の数学を識ることが、数学者の力とされた。

ところで、この三次方程式の一般解は現在『カルダノの解法』と呼ばれることが多い。カルダノという数学者が先に世に発表したからだ。カルダノは権力を利用した恫喝と懇願を巧みに使い、最後には神に誓って秘密を守ると約束した上で、タルタリアに三次方程式一般解の秘奥を許された。

ところが、大学教授になったカルダノは自著の中であっさりと秘密をばらしてしまう。しかも、自分の業績のように。

怒ったタルタリアは、カルダノに数学の公開試合を挑むのだけれど、試合に現れたのはカルダノの弟子、若干23歳のフェラーリだった。“神の才能と悪魔の性格を持つ”と伝えられるフェラーリに、タルタリアはことごとく敗北してしまう。彼は失意のうちに町を逃げ去った。その後、フェラーリはタルタリアの方法を応用して、四次方程式の一般解を導出してさらに名を上げた。

嗚呼、かわいそうなタルタリア… 。・゚・(ノД`)・゚・。

前置きが長くなったけれど、僕はこの数学者が大好きだ。彼の不幸に同情するというのもあるけれど、本当の理由は他にある。

それは、僕にも吃音がある、ということだ。

僕と話したことがある人は気付いているかもしれないけれど、僕はたまに言葉が詰まることがある。これは、どうしようもない。大切な話をしているときに言葉が出ないのは、本当にもどかしい。今でこそ語彙が増えて、吃音をうまくごまかせるようになってきたけれど、子供の頃の僕は、それこそ劣等感のかたまりだった。喋った言葉をそのまま小さく繰り返す、妙なクセまでついていた。僕が初めて直面する“欠落”が、吃音だった。

小学校に上がった頃、母親を責めたことがあった。

─なんで僕だけみんなと同じように喋れないの!!

と。

泣いていた母親をなんとなく覚えている。

泣きながら、なぜか謝っていた。

子供心にとても後悔した。半ば失語症に陥ってた僕だったけれど、そのときに“言葉”を取り戻すことを誓った。

吃音のマイナスを帳消しにする──。

そのためには、誰よりも明晰な言葉を使わなければならなかった。そうしなければ、僕の言葉は誰にも届かない。そう思った。そのために、僕はまず使える言葉をふやすことにした。言葉を多く知っていれば、言葉に詰まった時に他の言葉で言い換えが出来るはずだった。

戦争孤児だったタルタリアは、墓石から言葉を学んだという伝説がある。彼ほどの執念はないけれど、僕は歌から言葉を学んだ。歌だけは、なぜか言葉が詰まることが少なかった。『気球に乗ってどこまでも』は、今でも僕のお気に入りだ。

ときにはーなぜかー大空にー

旅してみたくーなーるーものさー♪

とは言え、劣等感に裏打ちされた努力は、ときに畸形を生むことがある。小学校を卒業する頃、僕は年に似合わぬ語彙と大人びた物言いを身に付けたムカつくクソガキに変貌していた。

どうやら僕はジョブチェンジを間違えたらしい。

思春期、周囲の大人は露骨に僕を煙たがった。


僕は再度寡黙になる。


今は、ネットでだけ饒舌だ。 

CMのあと、さらに驚愕の展開が!!