バカいうやつが…

むかし、岐阜地裁の裁判官が被告に「バカ」と発言したことが問題となりニュースになったことがあった。バカである。

「(他人を)バカいうやつがバカである」
これは再帰命題と呼ばれる形式の言及である。

なぜバカなのか?
「バカだからバカなんだ」
これも再帰命題である。

たぶん、すべてのバカは再帰的である。
しかし、ほんとうに「バカいうやつがバカ」なら、バカをバカとして攻撃する手段は永久に封じられることになる。この再帰命題を思い付いたやつは、間違いなくバカ側に属する人間だろう。そうでなければ、これは知性に対する手ひどい裏切りだ。

と、俺はこの提言にある種の卑劣さを見るのであり、得意気に使ってみせる人間には軽蔑を禁じ得ないんだけど、時としてその主旨に頷ける場合がないことも、ない。

バカバカばかり言う人間には、傾向として確かにバカが目立つ。ちなみにここまで、17回“バカ”を使った。俺が17+2回分“バカ”なのは、現時点では認めてもいい。

本題に戻る。

なぜ「バカ言うやつがバカ」なのか?

「バカバカばかり言うやつ」には、なぜ観測的傾向としてバカが多いのか?

それは“バカ”が一応評価でもあるからだ。何かに対して簡単に評価を下す人間は、あまり頭を使っていない恐れがある。これが第一の理由。

また、“バカ”は最も手軽に相手の知性を罵倒できる言葉でもある。

この言葉を選ぶ語彙の貧困は指摘されていい。

低脳、白痴、痴愚、魯鈍、愚鈍、頓痴気、莫迦、阿呆、間抜け…

ざっと思いつくだけで“バカ”を意味する言葉はこれだけある。本当のバカにはもはや、“バカ”という言葉すら手ぬるい。とはいえ、気の利いた単語チョイスはバカには通用しない。
意味が通じないからだ。


ところで“バカ”は、あまりにも一般化しすぎて、近年その毒素が薄まっている向きがある。事実、『バカになれる男が好かれる』とか、『俺ってバカだから…』など、小賢しくも“正直”に近似した好意的な意味で使われる場合も見かける。この“相田みつを臭”が気に食わない。反吐が出る。確かに彼らは、“バカ”と予め断ることで、姑息にもバカを免れている。しかし、そういう態度は卑しいの一言に尽きる。そしてその卑しさに無自覚ならば、それは“恥知らず”である。

さて、“バカ”にまつわる新たな定義を提出しよう。これは歴史上記録されるべき名言である。耳をかっぽじって聞いてほしい。

 (他人を)バカいうやつがバカである…場合もある。

 (自分を)バカと言うやつは恥知らずだ。

ひとのバカを愛し、汝のバカを憎め。

そしてこの世界でバカじゃないのは俺だけです。
↑バカの頂点に燦然と君臨する発言

CMのあと、さらに驚愕の展開が!!