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あいまいなものを抱える力

人は追い込まれると、だんだんと「全て自分が悪かったから、今こうなっているのではないか」という思考になりがちになる。

今年に入って持病が悪化した際、いろいろなことを考えた。

「あのとき身体を冷やしたのが良くなかったのか?」
「ストレスをもっと発散させるべきだった?」
「白砂糖や小麦、お酒が悪かったのか?」

冷えやストレス、お酒・食べものが病気の要因になると言われている。
でもたった一つの理由で病気になるほど人体は、出来事は、単純でもない。そう頭ではわかっていても、しんどい時ほどわかりやすい答えにすがりたくなってしまう。

自分には流産で亡くなった兄弟がいるのだが、母の父(私にとって祖父)は父に「あんな安物の車に家族を乗せてるから、こんなことになったんだ!」と怒鳴りつけたらしい。父は祖父の言葉が相当ショックだったようで、お気に入りの車をすぐに手放した。

もしタイムマシンがあるなら私は祖父に「流産の死亡原因と所有車の金額、この因果関係を述べよ。なおエビデンスは医学的に認められた客観的な根拠のみとする」と徹底的に詰めてやりたい。

人は余白を嫌う。不測の事態が起きた時、人はどんなに胡散臭くても、わかりやすい答えに手を伸ばしてしまうのだ。

こうした人の心の動きを知ってか知らずか、多くの文章教室では「言葉を言い切りなさい」と伝えている。

「あなたが今つらい想いをしているのは、〇〇のせいだからです!」

人は本当に限界の淵に立っているとき、その辛さの原因を誰かに言い抜いてほしいと思うものだ。

明らかに詐欺に騙されている人たちはATMの前で、それを止めようとする銀行員や警備員さんに対して「頼むから振り込ませてくれ。だまされていてもいいから振り込ませて、安心させてくれ」というのは、一刻も早くこの不安とさよならしたいからだと思う。

あいまいなものをあいまいなまま抱えておくのは、知性と根性がいる。

ちなみに自分の文章講座では「出来るだけ言い切らないように」と伝えている。
喉が渇いている人に本当に必要なのは、わかりやすい毒水を提供することではなく、その渇きに耐え、心を潤す言葉を自分で掘り起こす力を思い出させることだ。

「答えを持った部族は滅び、問いを持った部族は生き残った」というネイティブアメリカンの言葉がある。
わからないものをわからないままにするのには精神的な熟成が必要だ。しかし多くの人は他人から容易く手に入れた答えより、自分で時間と手間をかけて見出した答えを大切にする。

身体の病という答えのない問いと共に過ごしながら、健やかな心身を目指して進みたい。





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