日本企業の「看板」とチーズはどこへ消えた?

実質はどうあれ、米国の主要企業は株主第一主義の「看板」を下ろした。翻って日本の主要企業の「看板」は何だったのだろうか?「看板」そしてチーズはどこへ消えた?

#COMEMO #NIKKEI

1997年から「企業は主に株主のために存在する」と明記し、株主第一主義を謳ってきた米国の経営者団体が顧客、従業員、取引先、地域社会に続く5番目に株主を置いたという。

1997年と言えば、日本の金融危機が思い起こされる。三洋証券、北海道拓殖銀行、山一證券と相次ぐ破綻で日本は大揺れに揺れた。

あれから20年以上が経過した。

果たして日本企業はこれまで何を第一として、何を「看板」に掲げてきたのだろうか?

〇〇主義という原理主義的なものに弊害はつきものだし、経営にはバランスが大切とはいえ、スローガン的な「看板」は内外に訴求する/理解を仰ぐうえではやはり必要だろう。

「看板」を見て賛同して集うのが従業員や株主、顧客であったりするわけだから。本社や工場の建設、事業活動に理解を示してくれる地域社会や取引先も同じだ。

「看板」は株主や顧客といった利害関係者の優先順位を示すとは限らない。

大手企業も昔はベンチャー企業。創業当初は周囲の人の心に響き、人を巻き込む力を持った「看板」を掲げていたはずだ。

外部のコンサル会社や外の誰かに作らせた見た目の綺麗な「看板」ではなく、半紙や木の板に墨で書かれた「看板」だったかもしれない。

字が綺麗でなくても泥臭くても、それでもその看板には他者の心を揺るがす「何か」があったはずだ。

アップダウンはありつつも経済成長の波に乗り、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という威勢の良い言葉やバブル景気に踊らされて、いつしか泥臭い古い「看板」はその存在を忘れられた。

そしていつの間にか日本企業が掲げる「看板」は英語やカタカナの綺麗な社名になり、商品名になり、ロゴになった。

バブルが崩壊し、停滞に入ってからは海外の動向やそれを受けた海外のビジネス書の翻訳版の流行、海外発の様々な企業活動上のルール、それに伴うビジネス書のブームに翻弄されていった。

その間に英語で書かれた綺麗な看板は世界から消えて行っていた。各国の主要都市、国際空港から中心部へ向かう幹線道路にあった日本企業の看板は韓国や中国などの企業へ置き換わっていった。

一方、米国は良くも悪くも株主第一主義を「看板」にマネーをダイナミックに動かした。そして良くも悪くもGAFAのような企業が世界に大きな影響力をもたらし、産業の垣根、リアルとサイバーを超えるダイナミックな変化をもたらしている。

そして今度もまた日本企業は翻弄されている。

Googleは「世界中の情報を整理し、世界中の人がアクセスできて使えるようにする」ことを「看板」に掲げて始まった。

ソニーは今年、自社の存在意義を「創造性と技術の力で世界を感動で満たす」と定義した。

さて、どちらがワクワクするだろうか?心に響くだろうか?

ソニー創業者の井深大氏は設立目的の第一に「真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由豁達にして愉快なる理想工場の建設」とした。

ここには戦中、望まないことに自身の知識や技能の提供を強要されたり、失意のまま戦地で亡くなったり、自由に能力を発揮することを許されなかったりした技術者の深い想いが滲み出ている。

終戦直後(1946年)に書かれた設立趣意書には「日本再建、文化向上に対する技術面、生産面よりの活発なる活動」、「国民生活に応用価値を有する優秀なるものの迅速なる製品、商品化」、さらに「国民科学知識の実際的啓発」という言葉も会社設立の目的として書かれている。

焼け野原ですべて失った日本を再建するのは自分たちだ!という力強い意志が感じられる。

さて、チーズはあとどれだけあるだろう。チーズがすべてなくなる日はそう遠くないかもしれない。

チーズがすべて無くなるまで待ち、無くなったときに初めてチーズが消えた原因の究明をするのか、誰かがまたチーズを持ってきてくれるという安易な期待を持つのだろうか?

愚かなのはネズミなのか小人なのか?あるいはその両方なのか?

無くなってから、どこかにあるかもしれないチーズを探しに迷路を再び走り出すのか、それでもその場に留まるのか、迷路から脱出する道筋を見出すのか、無くなる前に行動するのかしないのか・・・?

今の時代はVUCAと言われ、変化の振れ幅が大きく、不確実で複雑で曖昧。端的に言ってしまえばカオスと言えるだろう。カオスから素早く道筋を見出し、前進することが求められている。

鳥の目・虫の目・魚の目で情勢を見極めて腹をくくって行動する、動物的で高度な直感的思考・行動が今、求められている。

企業は小人のように一人二人ではない。

泥臭くても字が汚くてもいい。むしろ粗削りで武骨でもいい。もう一度自分が信ずる「看板」を掲げ、カオスから仲間とともに信ずる道筋を勇気を出して進むしかない。

その過程できっと次のチーズが見つかる、そう信ずるしかないのだ。



歩く好奇心。ビジネス、起業、キャリアのコンサルタントが綴る雑感と臍曲がり視点の異論。