台風19号に見る危機感の伝え方

週末甚大な被害をもたらした台風19号。その脅威を予見した専門家は自身が持った危機感をどのように我々に伝えてくれただろうか?未だ経験したことのない、生存を脅かされるような大きな脅威を予見した時、それを他者に伝えることは非常に難しい。それはデジタルが産業構造を変える、今まさにビジネス界で起きているドラスティックな脅威も同じだろう。

災害の都度、専門家の情報の出し方、伝え方が問われることは多い。しかし、一番災害を防ぎたいと思っているのはその専門家である。今回で言えば気象庁になるだろう。

9月に起きた台風15号の復旧目途も立たないうちに、さらに巨大な災害が日本を見舞った。広域にわたる被害でその全容はまだわからない。ただ、危機感溢れる気象庁の伝え方がなければ、被害はさらに拡大していたのではないだろうか?

気象庁は台風が上陸する前から段階的に警戒を呼び掛けていた。

台風が上陸する3日前、気象庁は会見を開き、予報官が先月の台風15号や昨年の台風21号を例に出して備えを呼びかけた。早めの情報提供は台風の上陸する週末が三連休であり、旅行や催事等の関係者への配慮もあっただろう。

前日11日の会見では、予報課長が狩野川台風に匹敵する記録的な大雨となる懸念を伝え、具体的な資料と共により踏み込んで警戒を促している。

ここで大きかったのは狩野川台風を例示したことだろう。

狩野川台風は昭和33年の出来事ゆえ知らない人も多い。ゆえに、狩野川台風で何が起き、どれだけの被害が出たかを具体的な状況(土砂災害や河川の氾濫等)と数字(雨量や死者数等)で説明している。

事前にできる対策についても情報が具体的だ。

暴風・大雨・高波・高潮でどんな事態が起こりうるのか、各事業所や各家庭が対策できるよう、豊富なイラストと写真を提示、追加情報の入手先まで案内してくれている。

メディアの報道もこれで一気に変わったのではないだろうか?

メディアは過去の台風被害や洪水氾濫シミュレーションの映像を流し、具体的な対策や防災用品等についてより詳しく、繰り返し報道するようになったように思う。気象庁の文面や記者会見にもあったように「命」という言葉をメディアも連呼するようになった。

さらに、事態が進んだ時に備えて段階的、具体的な行動が繰り返し報じられた。

避難所への早期非難、避難する際の注意点、避難できずその場待機になった場合の対応(垂直非難など)、時々刻々と状況が変化し、多様な状況に置かれる多様な人が自分で判断・行動できるよう情報提供は繰り返された。

気象庁の危機感はメディア関係者を通じて、我々一般の事業者、生活者にも浸透していった。情報の受信者が発信者となり、SNS等での情報共有もなされた。その結果、抑制された被害も大きかったと感じる。

情報は情報の受け手(受信者)が適切な行動を取ることができて初めて伝わったと言える。日常、多くの人は忙しく、触れている情報も膨大だ。自分に関係がない情報は聞き流さざるを得ない。

他人事ではない自分事、情報が自分に関係があると認識できる「自分ごと化」が人の行動を促進すると考える。

そのうえで、なぜその情報を発信しているのか、発信者が危機感を持っている背景と考えうる対応策を具体的に話し、受信者が主体的に、段階的に判断・行動できるような情報提供があると人は行動しやすいだろう。

災害が続く昨今、気象庁はこれまでの経験から伝え方を変えてきていると思う。受信者が自分ごと化しやすく、行動しやすい伝え方に変わったと思う。

気象関係者が使う専門用語や確率などの数字だけでなく、一般の受信者にもわかるような具体的な状況と数字を伝えてくれる。発信者である専門家が情報の受信者に合わせてある種の「翻訳」をしてくれているようなものだ。

受信者である我々生活者や事業者寄りの情報の出し方、それぞれの立場・状況・シーンに合わせて、イメージしやすく行動しやすい、心理にも働きかける情報提供に思える。

加えて台風15号がつい先月起きていたことは我々の行動に大きく影響しただろう。身近な場所で、身近な人が大変な被害に遭ったり、ニュース映像で見たり聞いたりもしている。3.11以降、相次ぐ災害で災害を身近に感じる人も増えている。

災害とその影響を潜在的にイメージしやすい状況(情報を受け入れる土台)に加えて、専門家である気象庁とそれを受けたメディアや個人の情報提供・共有が少しでも被害を減らそうとする行動を促したのではないだろうか。

翻って、近年のデジタル・テクノロジーがもたらす脅威はどのように伝えられているだろうか?

情報を受け入れる土台はできているだろうか?
専門家は自身が持った危機感をどう伝えているだろう?
それは多くの関係者に伝わり、共有されているだろうか?

デジタルやトランスフォーメーションといったカタカナ用語、IT業界の専門用語は言葉の羅列で拒否反応を呼ぶのではなく、伝わるように「翻訳」されているだろうか?

災害が「来る、来る!」とか「命を守って、命、命!」と連呼されただけでは必ずしも行動には繋がらない。同様に、「GAFAが脅威だ!」「AIで仕事がなくなる!」と言われただけでは不安ばかりが増幅され、行動に繋がらない可能性もある。

受信者が置かれている状況は多様だ。
脅威が迫っていると専門家が発信しても、その影響度と緊急度、何より取れる対応策は人や組織によって異なるだろう。

今起きている大きな変化、脅威は天気図で台風の大きさと距離を確認するように目で捉えることは難しい。脅威の接近状況も影響力の範囲もシミュレーションしにくいだろう。

ゆえに発信者は伝えにくく、受信者はイメージがしにくい。このことも伝えることの難しさに繋がっていると思う。

ただ今回の台風のように歴史を遡れば例示できるものはあるだろうし、伝え方にはまだまだ工夫の余地があるだろう。

何より災害と異なり、デジタルがもたらすのは脅威だけではない機会と捉えることもできるのである。

最後にもうひとつ、気象庁の対応を見ていて思ったことがある。

気象庁には気象の専門家が個人の生活や企業の事業に制約を与えるような踏み込んだ発言には懸念もあるはずだ。それでも昨今はリスクを取って踏み込んで発言してくれているように見える。

例えば、気象庁の予報課長は狩野川台風を例示するに当たり、具体的な例示にはミスリードのリスクがあることを認めている。

それでも敢えて踏み込んで提示してくれたのは、台風の進路や勢力など専門的な分析を踏まえたうえでやはり予想される災害の程度が著しく、「とにかく適切な判断と行動を促す必要がある」という専門家としての危機感の表れだったと思う。その根底には専門家としての使命感矜持があったのではないだろうか。

何事も100%はない。最善の努力をしても、何を言っても何をやっても誰かから必ず批判は受ける。それを承知の上でリスクを取ってくれる専門家に私は感謝と敬意を覚える。

3.11で多くの人を助けたもう一人の専門家の話も併せて提示しておきたい。


歩く好奇心。ビジネス、起業、キャリアのコンサルタントが綴る雑感と臍曲がり視点の異論。