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【7】本を読まない人に、本当の自分なんて一生わからない #小原課題図書

#小原課題図書 も20冊を超えて、本を読むことが習慣になってきました。リョーさん(@ryh)さんからのメタメッセージを詮索するのも楽しみの一つです。

先週は教養の大切さについて考えました。これからは楽しむだけの読書から少しづつレベルが上がっていくのではないかと思っています。今週はややライトではありましたが、読書によって自己形成をしていくことの前触れとして受け取っています。では早速。

『20歳のときに知っておきたかったこと』

まずは『20歳のときに知っておきたかったこと』。スタンフォード大学で起業家育成コースを担当するティナ・シーリングが著した一冊です。

彼女自身の経験や講座で行ったワークショップをもとに培った、日常の困難を克服する視点の持ち方や直面した課題を解決するマインドセットについて書かれています。本書に出てくる事例はビジネスシーンが大半ですが、単にビジネスにおける問題を解決するための本ではありません。今後の人生をどのように創っていくのか、選択を迫られた時に正しい判断を下すにはどうすればいいのか…。誰にとっても、どんなシーンでも応用できるエッセンスが凝縮されています。

デキるやつとデキないやつの違いは「起業家精神」に尽きる

ティナ・シーリングは、たとえ起業家ではなくても「起業家精神」を持つことが重要であると指摘。ここでいう起業家精神とは「専門知識を身につけるだけでなく、人間が生きていく上でガキとなる幅広いスキルを開拓すること」を指しています。つまり理論武装に終わらず、日常の些細な問題を解決する能力やそれを可能にする視野の広さを持つことが社会に求められる人材たるということです。

私たちの仕事はすべて起業家たちによって作られています。起業家が社会に対して問題提起ないし価値提供を行い、その際に必要になる工程を労働力とスキルで支えているのが私たち(一般的な仕事)です。ただここにスキルがなければ、提供できるもの労働力だけになってしまいます。起業家精神がなければそれ以上の仕事を創ることができない…つまり、価値提供することができなくなってしまいます。要するに、ここがデキるやつとデキないやつの差を分けるポイントになるんです。

本書で語られる起業家精神を自分なりに解釈し、デキるやつになるための方法を考えてみました。デキるやつになるための方法は2つ「解決法を探る」ことと「選択肢を自分で選ぶ」ことです。

この2つに共通するのは「常識を疑う」こと。一般的に解決法がないといわれることにチャンスを見出し、それを解決すればそれは価値になります。また選択肢を自分選ぶことは、常識を差し置いて自分の尺度で選択することに他なりません。

それら二つの基準を持っていれば、誰がなんと言おうとも課題の解決に邁進することができます。課題は大なり小なり差があれど、それに向かう姿勢こそが「起業家精神」です。課題を解決すればその時点で価値を生み出す人になれます。

ここで覚えておきたいのは、たとえ失敗してもそれ自体に価値があるということ。失敗によって得た教訓や、それを次の課題解決に生かした経験こそが財産であり、失敗による経験のストックの数は求められる人材としての価値に比例します。

「日本3.0」を生き残るのは「起業家精神」を持った人 

先週NP編集長佐々木氏が著した『日本3.0』を拝読しました。本書ではチャレンジすることを忘れた人間が「普通の人」にもなれず、淘汰されていくことを暗示しています。きっと、大きく変化していく日本社会を生き抜いていけるのは「起業家精神」を持った人です。

「起業家精神」などと表現すれば大げさに聞こえて毛嫌いされてしまうかもしれませんが、つまり自分のアタマで考えて行動し、失敗しながらでも世の中に価値を生めるように挑戦し続ければいいのです。できないことができるようになっていけばいいだけだと思います。

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典型的な自己啓発本と言われてしまえばそこまでかもしれませんが、重要なエッセンスが凝縮されていることは間違いありません。ただあくまで読んだだけでは意味がない。ここで得た知見を身の回りの小さなことから当てはめていくだけで、起業家精神は育っていくのではないかと思います。

『哲学』

島田紳助と松本人志、“笑いの天才”二人の哲学を凝縮した一冊。松本さんは紳助さんを見てお笑いの道を志したそうで、また紳助さんも同様に松本さんの才能を認めているそう。

本書では一つの事柄を、お二人の哲学で紐解いていきます。ひとくちに天才と言っても、二人は似て非なる存在。スタンスも違えば考え方も違うし、目指すところも違います。ただ明らかに共通しているのは自分を天才と認め、自分が他者からどのような存在として認められているのか、自分が一番よくわかっているということ。


他者から眼差されることを理解する

本書の中では、お二人が「自分は〜だから」という表現が多用されています。また同様に、お互いのことを非常によく分析しあっています。殊にお笑いに関してそれは顕著で、お客さんにどのように自分たちを見せるのか、そもそも誰に対して自分たちの芸を提供するのか、そういった客観視が非常にクリアにできているんです。

当たり前のことかもしれませんが、これは大切なことなのだと思います。結局評価をくれるのは他人で、自己評価で他人からの評価を変えることはできません。迎合する必要はないにせよ、自分たちが何を誰にどのように提供しているか理解できていなければ、なぜ評価を得られないのかがわからなくなってしまいます。

実際、デビュー当時はダウンタウンにも売れない時期があったそう。笑いのプロたちにはその才能をいち早く見出されつつも、お客さんにはウケなかったのだといいます。

ただ、今は自分たちが他者にどのような存在として認識されていているのかを手に取るように理解しています。

成功は、緻密な算段の先にある

紳助さんは師匠の島田洋七さんの芸を徹底的に研究したのだそう。当時人気の絶頂にあった洋七さんの芸を真似つつエッセンスを吸収しながら、同時に欠点も見つけ出します。洋七さんが持つウケる漫才の型を身につけつつ、これからさらに上を目指すために洋七さんにはない要素を磨いていったのです。そして自分のスタイルを確立。迎合せずに自分のスタンスを育てながら、一度頂点に登りつめます。

松本さんは天賦の才能を自覚しつつ、自分がどのポジションを取るのかを冷静に分析しています。

「ちゃんと自分の山を見つけられた人が、芸人として残っていくのだと僕は思っている」

松本さんは自分がどの山の頂上を目指すのかを明確にし、その山から下りて人の山を登るようなことをしません。また複数の顔を持ち合わせているとも発言しています。これはどのフィールで如何様に振る舞うのが適切なのかを理解しているということではないでしょうか。

確かに、『ワイドなショー』で見る松本さんと『水曜日のダウンタウン』で見る松本さんはちょっと違う。この辺は僕らが無理やり詮索しないと気づけないほど繊細だろうし、もはや詮索してもわからないくらいに緻密なのかもしれません。

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プロには、プロと呼ばれる所以があるんだなあと。プロは自分たちが他者からどのように認識されているのかをよく知っていて、それ相応の振る舞いをする技術を持っています。その精度が高ければ高いほど天才に近づいていく。

もちろん天賦の才に恵まれていることはまちがいないのでしょうが、習慣によって天才は天才たりえているのかもしれません。意志の力で成し遂げるのではなく、当たり前にパフォーマンスを発揮するから「天才」なのだと思います。

これは先週noteに書いたこと。天才とまではいわないにしろ、優秀な人たちの条件には以下のような共通点があるように思います。

緻密な算段を立て、習慣によって算段した通りの(もしくはそれ以上の)技術を身につける。時間をかけていつでも最高のパフォーマンスを発揮できる状態になる。それでいて、戦うフィールドを選ぶ賢さを持ち合わせています。

…一番大事なのは「戦うフィールドを選ぶ賢さを持ち合わせている」ことかも。

『読書力』

明治大学の教授、齋藤孝先生が記した一冊。最近書店で斎藤先生の本をよく見かけていましたが、読むのは初めて。では早速ログします。

読書はもっとも安価で、もっともリターンの大きな投資

冒頭で特に若い世代の読書習慣が著しく少なくなっていることを指摘。僕も正直ほとんど本を読んでこなかった一人ですが、本を読まないということは相当惜しい時間の使い方をしているのだといいます。

読書はたかだか千円で著者(つまり相当教養レベルの高い人たち)と思想を共有し、思考の幅を広げられる手段。著者が何年もかけて作り上げてきた人生をものの数時間で追随することだってできる。本を読み始めた今だからこそ、この概念は大きく頷けます。もちろん今読書習慣のない人であっても、勘が良い人ならこの事実を一旦咀嚼さえすればで書店に足を運ぶでしょう。たった千円で問題解決の糸口を見つけることができるし、自分の世界観や価値観を広げていくことができる。そんなこと、読書以外にあるんでしょうか。

ただここで「なんで読まなければいけないのだろう?」と腑に落ちることがなければきっとこれからも本を読まないし、教養レベルも低いまま推移していくことになってしまう。先々のことを考えれば、もはや読書を義務とすることだって間違いではない。

考え方を知り、知識を深め、自分を再確認する

先に「著者と思考を共有する」と書きました。齋藤先生は、読書は自己肯定によって自分を作る手段の一つだといいます。

自分をつくっていくためには、現在の自分を否定して、より高次の自分へと進んで行くことももちろん必要だが、私の実感では、自分を肯定してくれるものに出会うことによって、すっきりと次に進むことができるように思う。

自分では意識化することのできない暗黙知は、読書によって明確に言語化することができます。確かに本を読み始めて2ヶ月、言葉に表せないような漠とした感情や感覚を読書が表面化させてくれる瞬間がありました。著者の言葉にこれまでの主張を否定されたり、あるいは肯定されることによって新しい自分に出会えるんです。

「やっぱりそうだ」「もしかしたら違うのかも」「そんなこともあるんだ」…そういえば、読書中は常に考えごとをしています。さらにこうしてまとめることで散らかった思考を整理でき、自分を再認識することが本当に多い。

読書は、「自分」を剥がす

「読書は思考を広げる」とよく言うけれど、そうやって何かを得ていくのと同時に余剰をそぎ落としていくこともあると思う。

言語化できない気持ちというのは、表記方法が違う同義語が頭の中に散漫しているようなもの。それが多すぎるあまり自分でもどうやって選んで、言葉にしていいのか理解できない。本の中には著者のスマートな言葉が的確に記されているので「あーそれそれ!」と頷くことがあり、それは散らばった言葉の中から本当に適切な言葉をピックしてもらうような感覚だ。

無駄に肥えてしまった思考を整理する意味で、読書は思考を得ることもあれば、剥がして剥がしてコアな感情をストレートに言語化することができる。個人的には、これも一つの大きな意義に感じます。

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「起業家精神を持った人だけが生き残れる」「読書は投資」なんて大それたことを書いてしまいましたが、でもあくまで事実だと思っています。今やっと、読書によって他者と会話しながら自分をつくる、教養を学ぶ世界に一歩を踏み出すことができました。

ただこうして読書によって少しづつ見聞を広めていけても、それが血肉となっていなければ本当に意味がない。得た知識を行動に繋げなければなんの価値もない。「起業家精神が…」と立派に謳ったところで、それができてないならダサい以外なんでもない。

島田紳助も松本人志も自分が天才であることは自覚しつつ、ちゃんと天才たる行動をしています。だからこそ言葉に説得力があるし、それに共感する人が多い。他者にちゃんと認められているんです。

僕の今後の読書に求められることは、しっかり思考を広げて知識を深めることはもちろん、それらを行動に落とし込んで自分のものにしていくことなんじゃないかと思いました。こうして読んだことをまとめていくのも大切ですが、それらを自分に取り込んで、今度は体験を通して伝えられる側になるよう心がけます。



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