怠惰勉強垢の3年間の軌跡〜勉強垢始動から高2進級まで〜

中3の冬に一旦勉強垢を作りはしたものの、自己紹介に使う用の模試も無かった(この時点で学力推移調査は紛失済)ため、ハッシュタグで検索をかけて片っ端から0506lineの人にファボを飛ばしまくるという戦法でフォロワーを伸ばした。そしてそんな生活がしばらく続き、無事に進級も済ませ、7月、初めて数十万人規模の模試を受験することとなった。高校入学後初の定期テストでは4教科でクラス最下位を叩き出すという覚醒具合だったが、フォロワーからの情報によると進研模試は中高一貫生なら全員偏差値70以上は取れる模試らしいし、定期テストよりも模試の方が断然得意だったので、当時漠然と志望していた大阪大学理学部の目標偏差値である75を目指すことにした。しかし、結果は惨敗。中学時代の模試では9割前後〜満点しか取った事のなかった数学でも6割程度しか取れず、国語に至っては漢文白紙で50点という惨状だった(何故か英語は高かった)。総合偏差値も60程度しか無く、順当に行けば地元の県立大に進学することになりそうな成績だった。そこで、「(まあ偏差値60あるし耐えだろ…)」と自分に言い聞かせて勉強から逃げる理由を見つけようとしている俺の目に映ったのは、タイムラインに流れる他の勉強垢の成績表だった。偏差値70、75、80…そこに俺より低い成績表を上げている人は1人もいなかった。少なからず勉強に対して持っていたプライドをズタズタにされ、世界の広さを知った。その後、俺は中2以来初めて自主的に机に向かった。元々が怠惰なので、急に毎日5時間も6時間も出来る訳ではなかったが、それでも机に向かわない日がないよう、毎日2~3時間ずつ勉強を続けた。自分の夢と向き合い始めたのもこの時期で、数学がそこそこ得意だからとかいう理由で理学部志望にしていたのを改め、法学部→国家公務員→天下りの鬼安泰ルートを目指し、法学部を志望することにした(ハンネの由来)。そして迎えた第2回高1駿台模試では、進研模試より明らかに難易度が高いはずなのに7月に受けた進研模試よりもずっと手応えが良かった。続けて受けた10月進研模試でも、どの教科も7月の回のように失敗した感触が無かったため、結果が返ってくるのが凄く楽しみだった。そんな感覚は数年ぶりだった。そして駿台模試返却日当日、フォロワー数も成績も鰻登りで調子に乗っていた俺が模試返却スペースを主催し、人を集めるだけ集めて一言も喋らずにそっ閉じするという大事故も発生しながらも、無事成績表を確認することができ、結果は一橋大、大阪大、東北大、名古屋大の全てでA判定という完勝だった。結果を見た時の俺は大喜びで親を叩き起こした(迷惑)。親に見せびらかして自室に帰った後も、興奮で遅くまで寝られなかったのを覚えている。そしてその後暫くして返ってきた10月進研模試でも、7月時点で目標としていた偏差値75を突破しており、その日の夜もなかなか寝られなかった覚えがある。その後もTwitterで模試を見せびらかしたり、フォロワーと他愛もない会話を交わしたりしながら、どんどん勉強界隈を居心地の良いものとして感じるようになっていた。年が明けて1月に行われた進研模試、駿台模試でも10月の回と比べて爆発的な伸びは無かったものの、両方とも満足な結果を取ることができ、駿台模試では初の京大A判定を獲得。本格的に京大を視野に入れ始めたのはこの回が返ってきた頃だった。(この駿台模試の返却日にもスペースを開催したが、再び会話には失敗し敗走している。)

〜学校生活での裏話〜
・実はこの第3回高1駿台模試の結果をTwitterに公開してしまったことが原因で垢バレし、転生する羽目になった。
・高2に上がる前の春休みに、異次元の課題滞納によって退学届を執筆させられて親にも電話され、通信制高校について調べつつ泣きながら帰った。(涙の旅路)


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