宿根草すごい
冬は地上部が枯れるんだ
僕が花を好きになったのは、社会人一年目くらいの時だったように記憶している。
今、「花」を変換しようとしたら「鼻」になった。
僕が鼻を好きになったのは、社会人一年目くらいの時だったように記憶している。
上記の文章であったとしたら、これはもうとんでもない誤植である。こんな本が出版されてしまったら、編集者のクビが飛ぶだろう。鼻フェチになってしまったという突然の独白だ。ものすごくレベルが高いフェチズムである。
いやしかしそれはそれで面白いかもしれない。
ただ、僕のフェチを告白するとしたら、足かな。閑話休題。
鼻は、いや、花は、一年草、多年草、宿根草に大別される。球根、樹木などは今回ちょっと横に置いておく。
一年草は、大体一年で枯れてしまう。冬、あるいは夏を越すことができないイメージだ。
多年草、これはもう、基本的にずっと枯れない。花が咲いている時期以外でも、葉っぱは緑で、その姿で何年も生きる。とても強い。
宿根草は、これは面白くて、冬になると地上部が枯れる。地上部がなにもなくなるので、枯れてしまったかな?と錯覚してしまう。しかしだ、根っこは生きている。そういうグループだ。春になればまた芽吹き、たくさんの花を咲かす。
社会人一年生の時の僕は、植物がこういったグループに大別されることを全然知らなくて、冬になって地上部が枯れてしまった宿根草を見てひどく落ち込んだ。買って損した、とまで思った。
しかしだ、初夏になって、
「あれ?枯れたと思ったのに、去年を同じ場所にまた花が咲いてる」
これが、宿根草──。
宿根草の存在を知った時、僕は感動していた。
燃やされても踏まれても
根っこさえ生きていれば、何度でも蘇る。不死身の鼻。いや花。
何かこう、生きる上での大切なことを、僕たちは宿根草から学べる気がする。
ちなみに「竜のしまのぼうけん」という絵本を去年描いたのだが、作中のキャラクター、「みつばちのべびくん」のセリフでこういったものがある。
「そんなにくらい顔をしないで。いちりんだけでも生きていてくれたら、また元のきれいなお花畑に、もどれるから」
作中に出てくる黄色い花は、宿根草である。
僕が植物だったとしたら、僕はとても打たれ弱く、地上部が枯れてしまったらもう二度と咲く気にはなれないと思うので、一年草、いや、一年も持たないなきっと。
半年草、いや、三ヶ月草くらいだろうか。しかも多分、種も残さないから、枯れてしまうイコールこの世からの完全消滅を意味するだろう。
色々、学ばなければならないな、宿根草から。
そう思いながら、早く咲かないかなと、庭の宿根草たちに水をあげている。
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