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Vol.6 パッションとりえ-前編-

みなさん、こんばんは!
いつもパッションのテンラボインタビュー連載を楽しくお読みいただき、ありがとうございます。

本日はついに!!インタビュワーパッションこと\ 大保拓弥くん /インタビュ〜〜!!ドンッ!ぱふぱふ〜!イェーイ!ひゅ〜〜よっ(パッションのマネ)

僭越ながら、わたくし白水りえが、「パッションなんでテンラボ入っちゃったの?なに考えてんの?」という若干ぶっきらぼうな視点からインタビューしてみました。
一応、フリーライターとしても活動している私ですが、あんなに読み応えある記事にできる自信はない(爆)
パッションの才能を噛み締めながら負けじと頑張ります。ということで温かい目でお読みくださいませ。

今回のインタビューについて、詳しい経緯などはこちらをご覧ください。

◆インタビュー企画は勉強や学びになることがたくさんあった

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ではよろしくお願いします!

パッション
お願いします!

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4月から構想が始まったテンラボインタビュー企画、絶賛毎日投稿中だけど、見事にテンラボ全員へのインタビューが終わりましたね!
いやー、お疲れ様でした。
早速だけど、全員へインタビューしてみて、どうだった?

パッション
ほんとやって良かったですよね。皆さんいろんな理由があってテンラボにいて、いろんな思いがあってそれぞれの活動をされている。「え!?そんなことがあったんですか?(笑)」みたいなことや、勉強や学びになることがたくさんありました。
あと最初はみなさんのことを知りたいって思って始めたインタビューだったんですけど、やっていく内にテンラボだったり、テンラボにいるメンバーのことが皆さんに伝わればいいなあということを記事を書きながら思ったりしています。それができてるかは別として…。

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こんなに一人一人のこれまでの話とか、思ってることとかをじっくり聞ける機会ってまず無いから、パッションいいな〜なんて内心思いながら、インタビューが進んでいく様子をみてました。
インタビュー記事を読んで初めて知ることもたくさんあったなぁ。

この企画の始まりは、テンラボに関わりだした頃に感じたアウェイ感とか馴染めてない感じが気になって始めたんだったよね。
あの頃に感じていたアウェイ感は今回の企画でどんな風に変わったの?

パッション
いまはアウェイ感はまったく感じないですね(笑)
3月にテンラボに合流させていただいて、すぐコロナの影響でミーティングがオンラインになってしまって。元々はあんまりテンラボのメンバーと会ったり、話せていないのがあってアウェイ感を感じていました(笑)
でもそれは時間が解決してくれたのもあるし、今回のインタビューを通してなくなりましたね。
テンラボの皆さんは、僕がインタビューしたいと言ったら、喜んで引き受けてくださって、その温かさみたいなのもすごい感じました。
あと大きいのは『パッション』という絶妙な呼び名を付けていただいたことですよね(笑)今ではすごいみなさんから可愛がられているなあと思っています。
永山さん本当にありがとうございます(笑)

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入ったばかりの頃に「じゃあ今日からパッションな」ってなった時のパッションの微妙な表情はいまだに鮮明に覚えてますよ(笑)今じゃすっかりパッションが板についてるねw

さて、では改めて”パッション”こと大保くんに、「なんでテンラボきたの?」ということで色々なお話を伺っていきたいと思います。
まずは簡単に自己紹介をお願いしても良いですか?


パッション
はい!大保拓弥(おおぼ たくみ)です。曽於郡大崎町出身で、23歳です。福岡大学商学部を卒業して、2020年3月からテンラボに入りました。
テンラボでは主に県民交流センター1階にある共生・協働センターの運営業務に携わらせていただいています。また、永山さんの秘書(?)として細かな業務のお手伝いをさせていただいたり、テンラボが運営するいろいろな事業にスポットフォローで入らせていただいております。

実は6歳の頃からずっと空手をやっていて、大学時代には全九州学生空手道選手権大会で個人3位を獲得しました。他に、ホスピタルクラウンという活動もしています。

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全九州学生空手道選手権大会”個人3位”

◆暗黒期だった高校時代

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6歳から空手やってたんだね…!どうしてそんなに長い間空手やってるんですか?

パッション
実は小学生の頃は空手あんまり好きではなかったんですよね(笑)
父からはすごい怒られるし(笑)
でも空手を続けていたことが評価されて、高校は空手の特待生として宮崎の高校へ進学することができたんですよね。なので、大崎町に住んでいたのは中学までで、高校3年間は宮崎で寮生活をしていました。
ただ、空手の特待で入ったのに3年間一度もレギュラーになれなくて…「せめて勉強だけは」と思って、高校の頃は勉強をなんとか頑張っていました。今思うと、暗黒期だったなあって思います。

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そんな暗黒期だった高校時代でも空手をやめなかったのはどうして?

パッション
なんだかんだ、やっぱり好きだったんでしょうね。
空手をずっとしていて、応援してくれる人たちに恩返しがしたいって気持ちもあったし、ただ単純に悔しいって気持ちもありました。
そんな中、大学で九州3位になった時、少しは恩返しができたかなって思いました。

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大学で五厘にした頃もありました(笑)

◆ホスピタルクラウンは「みんなが笑顔になれる素敵な空間を作れる役割」

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パッションといえばホスピタルクラウンやってるっていうのがとても印象的なんですが、何がきっかけでホスピタルクラウンの活動を始めたんですか?

パッション
子どもの時から人を笑顔にするのが好きで。中学生の時はお笑い芸人になりたかったけど、お笑い芸人は世の中にたくさんいるから別にそこを目指さなくてもいいなって思って。
そんな時に好きなアーティストのMVにホスピタルクラウンが出ていて、「なんだこれは?!」って気になって調べたんですよ。

**ホスピタルクラウンとは**
ホスピタル・クラウンとは、クラウン(道化師)が病院で活動することです。 クラウンは日本では「ピエロ」と言う名前で親しまれていますが、本当はピエロというのは「クラウン(道化師)」の中の様々ある役柄の一つの名前に過ぎないのです。
ピエロと聞いて頭に浮かぶ赤い鼻のカラフルな衣装をつけた道化師は「クラウン」と言います。クラウンは普段サーカスやステージ、遊園地などでパフォーマンスをしています。そんなクラウンが、病院へ行って入院中の子ども達に対してパフォーマンスする活動がホスピタル・クラウンです。
(引用:日本ホスピタルクラウン協会http://hospital-clown.jp/about/)


知れば知るほど「やってみたい」って思っていきました。日本中のホスピタルクラウンをマネジメントしているNPO法人があるんですが、そこの研修を受けて初めて”ホスピタルクラウン”として病院を訪問できるようになるんです。
僕も大学4年の時に名古屋まで研修を受けに行って、晴れてホスピタルクラウンとしてデビューしました。

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そうなんだね!鹿児島の病院にも訪問したの?

パッション
鹿児島も行きましたよ!例えば大学病院とか市立病院、医師会病院などなど…ホスピタルクラウンが訪問する先は小児病棟が多いですね。
鹿児島でとある病院の小児病棟を訪問した時に、重い障害であまり相互のコミュニケーションが取れない子と出会ったんです。
言葉や動きの中でのコミュニケーションは難しいんですけど、音には反応してくれて!その様子を見たご両親がすごく喜んでくださって。
親が笑うと子どもも笑顔になって、だんだん病室全体が明るくなるんです。
なんか、可能性を感じたっていうか。
あくまでホスピタルクラウンは脇役でしかないんですけど、「みんなが笑顔になれる素敵な空間を作れる役割」なんだなって思いました。それがとても印象深かったですね。

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ホスピタルクラウンはあくまで脇役、主役は”患者さん”

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それはとても嬉しい思い出だね!でも、いろいろな病状の患者さんたちがいる病棟に行くって、メンタル的に重くなりそうだなって印象も受けるんだけど…

パッション
ホスピタルクラウンの活動は、患者さんたちの病名や重度などは聞かずに訪問するんですよ。
どんな相手にも対等に、対面した時に目の前の人の状況を判断して、一瞬でその人に今自分が何をできるだろうか?を考えて動くのがホスピタルクラウンなんです。
僕たちは病気を治したり大層なことができるわけじゃなくて、少しでも笑顔にしたり、小さな楽しみをつくれたらいいなあと思っています。

<後編へつづきます>


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