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再会と祝福

11月、私はあの時頑張る理由にさせてもらっていた彼にもう一度会いに行く。

毎日ただ精一杯で挫けてしまいながら、それでも彼の声を聞いている時間は確かに幸福だった。
これは、私がきっと一生伝えることのない、あるバンドマンへの想いと、私の生活を振り返った拙い文章である。
多分、長い。めちゃくちゃな文章で長い。申し訳ない。

偶然ラジオから聞こえた声

彼とはThe Cheseraseraというスリーピースロックバンドでボーカルとギターを担当している宍戸翼さんという人だ。以下バンド名は愛称ケセラと呼ばせてもらいたい。

別に私も大して詳しいわけではないのだけれど、補足しておくと、3人組のバンドグループである。
私の家庭は明確に禁止されていたということもないのに、ゲームや音楽といったいわゆる「イマドキ」のものに触れることが極めて少なかった。
小学校の給食を食べる時間に、放送委員が「みんなの好きな曲を流したいからアンケートお願い!」と手書きのアンケートを渡してくれても何も書けなかった。本当に知らなかった。
そんな私の趣味は読書で、妹がピアノを習っていたおかげもあって少しクラシックで知っている曲はあっても、あとはドラマの主題歌くらいしか聞かないまま高校生になった。
高校では、課題や予習が多く、また何となく家族とぎくしゃくしてしまって、夕食後は勉強する、と自室にこもりがちになった。
英語のリスニングの課題を終え、CDプレイヤーを操作して音声を止めたときに、その機械はラジオも聴くことができるのだと気が付いた。

ボタンをカチ、と押した瞬間、男の人の声が聞こえて、その声に聞き入ってしまった。
甘い、さわやか、伸びやか。
裏声もきれいで、間奏の間は切なくなる。
曲の最後の言葉が頭から離れなくなった。
それくらい素敵だった。
なんだか書いてみるとドラマチックに見えるけれど、でもそれだけだったら、その声が誰のものか知らずに忘れてしまっていたと思う。
もっと運命的だったのは、その曲があるラジオ番組でエンドロールみたいに使われていて、後日その番組にケセラがゲストとして出演した時間にラジオをつけていたことだと思う。
そのときに他局でメインパーソナリティとしてラジオ番組をしていることも知り、それから放送がある水曜日が待ち遠しくなった。

高校生活はそんなにきらきらしたものではなかった。いろんなことで比べられ、毎月模試やテストがあって、友人関係も悩んだ。
加えて、地元から遠く離れたところに進学しようとしている私は、家に居場所がなくなっていくように感じていた。
それでも水曜日のあの時間があれば無敵だと思えた。彼らの番組は私が高校3年生の誕生日に終わってしまった。でもそれすらも縁を感じて優越感に浸った。番組で聞けなくなってしまったので初めてネット通販をして、初めてCDを買った。
すべて引っ越しの荷物に詰めて、地元を出た。

私の行動理由になって

引っ越して、本当に誰も知り合いがいない街に住んで、二年目の夏休み。
大学の休みが長いせいもあるのだろうか、春休みに帰省した後戻ってくるのが本当にしんどくて、また実家に行くのがなんとなく怖くなっていた。
実家でやることもある。
夏休みが完全に開ける前に大学の部活でやることもある。
でももう無理だあ……。

青空を前になんだか絶望的な気持ちになっていた。
暑いのも苦手なのである。
試験の結果も不安だし。
そんなときにケセラの新しいアルバムがリリースされることを知った。
私は試験の合間を縫ってタワーレコードへ行き、それを買った。
そしてそのままずっと聴かずに、帰省するその日、机の上に置いて部屋を後にした。

変なことをしている。
そうは思った。
けれど私は、ケセラの新曲のために、帰省してミッションをこなして、またこちらに戻ってこれる!それを理由にしたなら大丈夫!!
……結果、憂鬱な気持ちになることなく、無事実家を出発し戻ってきた。
うまく行ったと思った私は大学在学中にもう一度この手を使う。

大学の学祭で部活のメンバーと屋台をすることになり、みんなが忙しいというので企画や運営のリーダーになってしまった。
これが本当に大変だった!
当時私の時間割は、興味があふれて入れすぎている学科の科目と教職の科目でそもそも毎日いっぱいに埋まっていて、空きコマも部活があったし、休日も部活があった。
そこに部員との打ち合わせや説明会に割かなければいけない時間が増えて、部屋に寝るために帰っているような状態になった。

同じような状態の友人と励まし合ったのも、とても支えになっていたのだが、客観的に見て「幽霊みたいだよ」と言われて対策の必要性を感じた。
死ねない理由が必要だ。

そして買ったのがケセラのライブのチケットだった。
ライブなんて、到底自分には行けないと思っていた。
それでも、買ったからには必ず行かねばならない、行くためには生きていなければいけない、とひたすら自分を鼓舞した。

そして私は学祭を乗り切ってライブに行った。
すごく早くに準備が終わって、急行電車ではなく、普通電車でゆっくり近づいて、ライブ会場に向かった。
全然勝手が分からなくて、でも、初めて見たライブでは、汗を流して演奏している姿がきらきら輝いて見えて、なんだかすごく幸福だった。
帰り道は街がイルミネーションで輝いていて、現実世界ではないみたいだった。

幸せの閾値

私の「好き」はよくこじらせていると言われてしまう。
ケセラのことが大好きで、CDを収集して、情報を求めて、歌詞をとにかく何度も何度も読んだ。
それでいて、会いたいとか、自分に宛てた何かを欲しいとは思わない。
恋愛や夢に関してもそんなところがあった。
好きな人の叔母くらいの距離感にいたいとか、京都が大好きだけど住むと嫌いなところも出てきてしまうかもしれないからどこか隣くらいの県に住みたい、とか。
幸せとは、という問いに答えることは難しい。
では逆に何がなかったら不幸なのか、と考えたときに思い浮かんだことがケセラのことだった。
実はケセラはつい最近バンド活動を休止していた。
私はさっきも言ったように、好きを拗らせているから、別に会ったり新曲を聞いたりしなくてもたぶん満足できる。好きな文豪は私が生まれるより前に亡くなっている。それでも私は同じ本を5冊くらい買って幸せになれる。ケセラのことも同じように好きなのだから、別に大丈夫。

と、思っていた。
まぁ、結論から言えば大丈夫ではあった。
仕事に行き、帰ってご飯を食べて、眠って、生活は滞りなく進んだ。
報道番組で見る何かの熱狂的なファンのような行動はたぶん何も当てはまっていなかった。

ただ、なんというか単調で、最低限より上のラインで生活を送っているはずなのに、それだけでしかなかった。
そのときにぼんやりと、私の幸せの閾値が分かったような気になった。
好きなものに触れること、新しい刺激を受けること、生活にゆとりと安定があること。
矛盾するところもこれから変わっていくことも大いにあるけれど、いまはこれだと確信できる。

11月。
ライブに行って何が変わるということは、おそらくないだろう。
そして、彼に、高校生のときから救われていて、大好きだということもきっと伝えられないだろう。
それでも、またケセラが活動してくれること、彼らの作った新しい曲を聞くことができること、何より幸せに思う。

いろんなことがある世の中だ。
これさえあればもう安心なんてものは何一つないし、いまが最高と思っていてもそれは日々更新されてしまうものだろう。
それでも、私を過去救ってくれた存在がいまも存在してくれていることは、とても幸福なことなのではないか。幸せとはどんなときでも満たされていることにあるのではなく、どんなことがあっても立ち直れる存在があることなのではないか。だって人生には何があるか分からないから。
ずっと力をもらっています。応援しています。大好きです。


#ウェルビーイングのために


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