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8月の記録

8月は何だか特別な季節のように感じる。
小、中、高と夏休みがあり、大学はさらに長い夏休みがあり、その後高校教師なんて職業に就いてしまったので、お盆休みすらない8月を過ごすのは初めてだった。

そう、お盆休みがなかった。
別に教員をやってる時も正直夏休みは講習やら面談やらでそこまで暇だった訳では無かったけれど、校舎が閉まる期間があって、それがこの職場ではないのだった。
せっかく彼と同棲したのに、彼の6日あるお盆休みの間、一緒にいられたのは2日だけだった。
前職が多忙すぎたから、給料を減らしてもワークライフバランスの取れたところに……というのはある面では実現しているけれど、全てではない。
気が沈んでしまっているときはなおさらそう思えてしまって、転職をサポートしてくれた担当の方から定期的にくるという電話に、なんと文句を言おうか考えてしまって、それがすごく惨めだった。

お盆休みがないことを悲しく思いながら買い物をして帰ったある日、買ってきたはずの長ネギがどこにもなかった。
袋に詰めた記憶はある。けれどどこを探してもない。
私は帰ってきた道を丹念に見てもう一度歩いたけれど、長ネギはどこにも落ちていなかった。
極め付きに冷蔵庫にしまった中華調味料は豆板醤と甜麺醤を買ったつもりだったのに、2本とも豆板醤だった。気が付かず2つとも開けて、順番に鍋に入れて、やけに似てると思ってパッケージをみてようやく気がついた。

もうだめだと思った私は彼に連絡して、今日の夕飯は外食にしようと提案した。
彼はすぐ快諾して、帰ってくると何があったのか聞いてくれた。
私はこんなことで、と、申し訳なくなりながら起こったことを説明した。
近所のうどん屋さんに行く途中、彼にも道を見てもらったけれど、長ネギはなかった。
どうかお店の中で落としていて、店員さんに気が付かれているといいな、と願うことにするしかなかった。

この出来事が「なんか自分ちょっとダメかもしれない」と切実に思わせた。
不満ばかりで簡単なタスクもこなせなくなって、こんなの嫌だと思って、勉強を始めることにした。
少しずつではあるが、気持ちが前向きになって行くのを感じる。

ありふれた言葉だが選択は大事だ。
選択肢があって、それに有限性を感じるとしても、それを消去法で選ぶのではなくwant toで選びたい。

今月で退職してしまう人2人と出会った。
1人はすごく身近で働いていた人だった。
前職も毎年多くの人が退職したけれど、それよりもずっと唐突だと感じた。

私は何を選ぶのか。
昨日1日ずっと彼と猫のように過ごした。
たまに起きて抱きしめて毛布にくるまって眠った。
週末をこうして過ごして、それだけできっといままでは満足していた。
だけど。
職場に行くために乗らなくてはいけないバスに、若い女性によってすでに長蛇の列ができているのを見て思う。
労働力ではなく、人として必要とされて働きたい。
高望みだろうか。そんなことは私にはなし得ないだろうか。

目標は半年。それまでにいま勉強していることを形にする。そして2年ぐらいを目安に、仕事にできるようにしたい。

長い通勤時間も糧にして、どうか咲けますように。


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