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アオクハルカから見る彼女たちの守りたいもの

蓮の空のこと好き好きクラブの皆さんこんにちは。

蓮の空のこと好き好きクラブの一員のおきゅと申します。

今回はスリーズブーケの新曲、アオクハルカについて綴らせていただくnoteとなっています。
このnoteを綴るために情報を整理していたら、吟子にのめり込んでしまったため偏った内容になっているかもしれませんが、ご了承ください…

(※活動記録のネタバレが含まれる内容になりますので、ネタバレが嫌な方はブラウザバックをお願いします…)


まずアオクハルカが出るまでの振り返りとして蓮の空女学院スクールアイドルクラブにも104期生である吟子、小鈴、姫芽が加わり、
もともと一年生だった花帆、さやか、瑠璃乃は二年生に、梢、綴理、慈が三年生になりました。

そして、104期ver.ということで各ユニットで新曲を引っ提げながら、Dream Believers 蓮の空女学院スクールアイドルクラブ104期 Ver.がリリースされました。

その中に収録されたのがスリーズブーケの新曲であるアオクハルカでした。

それでは早速ですが、この曲を語る前にまずは新メンバーの百生吟子さんについて振り返ろうと思います。

タイツ×黒髪ショート×大和撫子???やってることやばいって

祖母が芸学部というスクールアイドルクラブの前身に所属しており、祖母からの伝統を受け継いだスクールアイドルを夢見ているという…

話を戻しますが、アオクハルカという曲はユニット曲では珍しく伝統を色濃く歌っていると感じます。

ではなぜ、このタイミングでユニット曲として伝統を歌うのか?もちろん、伝統を受け継ぐためにスクールアイドルクラブに入部したという吟子の想いもあってこそだと思いますが、また別の理由があるのではないか?

そう考えるとこの曲をより好きになりました。

それでは、まずは歌詞と解釈から…


グラウンドの照り返し 日焼けしたスニーカー
天つ風よ あなたはどこへ その声はまだ聞こえない
移り変わる この町の情景に 
寂しくなる日もあるけど それが走るってことだ

Aメロ
グラウンドの照り返し 日焼けしたスニーカー

歌い出しは花帆から始まります。スクールアイドルとしての体力をつけるために梢と走り込みをしている花帆。

ピカピカだったスニーカーも、今は日焼けしたスニーカーになっていて、花帆がスクールアイドルとしての努力を怠らずに続けているかのようで好きです。

天つ風よ あなたはどこへ その声はまだ聞こえない

吟子のソロパートですが、"天つ風"ってそもそもなんだろう?となりました。

天つ風は意味合いとしては「大空を吹く風」のことを表しているそうです。

ですが、それと同時に下記の一首を見つけました。

天津風(あまつかぜ)雲の通ひ路(かよひじ)吹き閉ぢよ
をとめの姿 しばしとどめむ

僧正遍照(12番) 『古今集』雑上・872

天を吹く風よ、天女たちが帰っていく雲の中の通り道を吹き閉ざしてくれ。乙女たちの美しい舞姿を、もうしばらく地上に留めておきたいのだ。

現代語訳

百人一首から引用して、この歌詞を書いていると仮定し、吟子に当てはめてみるとあなた=昔の祖母だとして、昔の祖母が見せた美しい舞姿を天つ風が吹き閉ざしてなんとか現在のスクールアイドルクラブに残っているものはないか?と、もがいているように感じます。

移り変わる この町の情景に

梢のソロパートです。スリーズブーケのメンバーで最高学年の梢が歌うからこそ、移り変わる情景に対して特別な気持ちを馳せることができるところだと思います。

寂しくなる日もあるけど それが走るってことだ

前半が吟子、後半が花帆のソロパートになってます。梢のソロパートと言葉が繋がっているのももちろんそうですが、吟子が「寂しくなる日もあるけど」と歌うのには、やはり祖母と吟子が好きだったあの曲に繋がってくるのかなと思わされます。

しかし、そこに対してアンサーとして花帆が力強く「それが走るってことだ」と言い切るのがとてもカッコいい…

花帆の伝統との向き合い方は活動記録でもこのように明記されているので、"それが走るってことだ"と花帆が歌ってくれることが吟子を導いているようで素敵だなぁと感じます。

握りしめたそれがなにか わたしもまだわかってないよ
胸が苦しい 息ができない だけど守りたい
この想いも 意味も全て 連れて行けたらいいな
明日の私へと繋ぐから

サビ
握りしめたそれがなにか 私もまだわかってないよ

スリーズブーケみんなで歌う部分です。
握りしめたそれ=伝統というのは察しがつくのですが、梢も伝統がなにかまだはっきりわかっていない(自分なりの解釈や答えを持っていない)のではないか?と思うと心にくるものがあります。

少し話は逸れますが、梢が今まで作ってきた曲を振り返るとそう感じ取ることができるように思えます。
(ex.謳歌爛漫、眩耀夜行など)
これらの楽曲は四字熟語や日本のお伽話をモチーフに作られています。
つまり、昔から日本にある語り継がれたものであり、伝統と同じようなものであると感じます。

思えば、活動記録の中で伝統について1番話していたのは梢であり自分自身に言い聞かせているかのようでした。

そんな彼女が伝統とはなんなのか?を模索しながら、日本の伝統的なお話などを踏襲して曲を作っていたとしたら?と考えると、歌詞中の私もまだわかってないよに繋がっていくのかなと

胸が苦しい 息もできない だけど守りたい

吟子→花帆→梢と歌い繋いでいくパートです。
この楽曲中の伝統というものは走り繋いでいく
リレー
のようなものであると思っていて、走り続けることの苦労を歌っているように思います。
また、一年生から二年生、二年生から三年生へと歌い繋ぐのも素敵だなと感じます。

それだけではなく、各パートを担当している個人に焦点をあてると活動記録上で吟子と祖母の好きな歌についての出来事があり、彼女の胸が苦しいということにも納得できます。

その後の花帆の息もできないについても、入学当初の彼女は伝統について息が詰まりそうになっていることがありとてもピッタリだなと。

梢のだけど守りたいという歌詞割についても、(まだはっきりと伝統についてわかってはいない)だけど守りたいというふうに解釈できるのかなと思います。

この想いも 意味も全て 連れて行けたらいいな

スリーズブーケ全員のパートです。
梢、花帆、吟子の三人がスクールアイドルにかける想いや意味が蓮の空女学院スクールアイドルクラブの伝統の一部として未来に連れていけたらいいなという彼女らの願望のように思えてしまいます。

明日の私へと 繋ぐから

吟子のソロパートです。
一年生なので当然ですが、一番明日が多いのが吟子な訳で…
梢、花帆の意思を色濃く継ぐことができるのは吟子しかいないわけなんですよね…

そんな吟子が「明日の私へと繋ぐから」と宣言してくれていることが今のスクールアイドルクラブを大切にしたいと言ってくれているようで

舞い上がった 砂埃 少し目を細めた
確かめたい白線の向こう なにか変わるかもしれない
校舎の脇 咲いていたあの花も 去年と同じように見えて 同じものではないから

2番Aメロ
舞い上がった 砂埃 少し目を細めた

花帆のソロパートです。
リレーの場面として考えると、砂埃が舞うのは出遅れた時だと想像できます。

2年生になった花帆が去年の梢と比較して、自身と2年生だった頃の梢との差を実感している部分なのかなと。


しかし、"少し目を細めた"っていう部分がかなり良くて…
駆けていった背中(偉大な先輩である梢)から目を離さずに見続けている花帆を想像してつい目頭が熱くなってしまいます。

確かめたい白線の向こう なにか変わるかもしれない

梢のソロパートになります。
白線と聞くとスタートラインをイメージしますが、3年生の梢がスタートラインについて歌うのに少し違和感を覚えました。
ですが、新学期になり新たに吟子がスリーズブーケに加わったことで再出発の意味があるのかなと思います。
また、祖母と吟子が愛した歌をスクールアイドルクラブ全員で探したことで伝統について梢が再確認していることが言えます。
そのため、伝統とはなんなのかを再確認した梢が心機一転し、最高学年としてスクールアイドルに向き合う部分でもあるのかなと感じています。

校舎の脇咲いていたあの花も 去年と同じように見えて同じではないから

吟子→花帆→梢&吟子と歌い繋いでいくパートです。
まず、吟子の"校舎の脇咲いていたあの花も"ですが歌詞通りに捉えていいのかなと思っています。花は時期ごとに開花し、枯れて次の花へと繋いでいくものなので同じ花といえど、別のものである=スクールアイドルクラブという名前は同じだが、メンバーが変化するたびに異なる美しさを魅せるという意味がこもっているのかなと。
ただ、一オタクの「もしこうだったらいいな」という願望ですが、去年のオープンキャンパスにてなんとなく目にしたスクールアイドルクラブのステージにいた花帆の姿に憧れている吟子がいるといいなと思っています。


(花帆とはこういう出会い方をしているため、去年のオープンキャンパスで見ましたと言えずにいる説を少し推したい)

活動記録上で吟子が去年のオープンキャンパスに参加していることやそのオープンキャンパスでスクールアイドルクラブのステージを見ていたことについては明記されていませんが、
もしこうだったとしたら、その後の花帆のパートである"去年と同じようにみえて"が吟子が見た花帆の姿よりもスクールアイドルとして成長していることが強調されるようで好きです。

最後に、"同じものではないから"と歌う梢&吟子のパートですが、
梢は花帆と過ごした1年間に思いを馳せて成長した自分たちについて歌っているのに対し、



吟子はおそらくですが、変わっていった伝統に対して思いを馳せて歌っているように感じます。

受け取っていた そしてここへ 私のこと連れてきた
形はなくて 透き通っていて 揺るがないもの
前へ進め もっと先へ その手伸ばしてほら
そう言ってもらえてる気がするよ

2番サビ


受け取っていた そしてここへ 私のこと連れてきた

スリーズブーケ全員のパートです。
伝統というバトンは代々受け継がれながら今に至ることを強調した歌詞がとても好きで…
吟子の祖母が後輩に託した想いが吟子にまで伝わっているということをイメージできます。
僕は、アオクハルカにハマる→104期活動記録を読むというように進めたため

活動記録でのこのシーンが、このアオクハルカのサビで伝えたいことなのかなと思い、感動しました。

形はなくて 透き通っていて 揺るがないもの

花帆→梢→吟子と歌い繋いでいくパートです。
伝統について歌っているパートですが、花帆は

伝統についてはこういう認識を持っており、形という"きまり"のないものだと述べているのだと思います。

梢の"透き通っていて"というフレーズですが

このように、先輩から後輩に伝える透き通っていて綺麗な想いについて考えを巡らせながら歌っているのかなと感じます。

吟子の"揺るがないもの"についてですが、
Fes×Liveでの吟子の言葉に詰まっていると感じました。



芸学部時代もスクールアイドルクラブ時代も変わらず、ステージの上から観客を魅せる⇆観客が盛り上げるというこの景色はきっと50年前も揺るがないものなのかなと感じています。

踏み出すのはまだ少し怖いよ 最初の一歩を日々繰り返し
ゴールは決まって スタート地点で 意地悪にも見える世界
それでも愛したいから

ラスサビ前
踏み出すのはまだ少し怖いよ

吟子のソロパートです。
祖母が愛した歌を追いかけてスクールアイドルクラブに入部した彼女ですから、その歌が今は別の形になってしまったことについて受け入れることについてはやはり怖いものがあるのかなと思います。


(これだけの想いを込めて入部してきたので仕方ない気はしますが、そんな吟子が今ある形を受け止めてスリーズブーケに加入するまでが本当に良くて)

最初の一歩を日々 繰り返し

花帆→梢のパートです。
花帆はスクールアイドルになる前は息が詰まりそうになりながらも日々を送ってきました。そんな中で自分と同じような日々を送っているであろう吟子に自分の過去を重ねることで、スクールアイドルとしてのきっかけを見つめ返している部分だと思います。
梢の"繰り返し"については前述の歌詞と繋がりつつも伝統として先輩から後輩へ繰り返し繋いできた蓮の空女学院スクールアイドルクラブのことを想っているように感じます。

ゴールは決まって スタート地点で

吟子→花帆と歌い繋ぐパートです。

吟子はスリーズブーケ加入後から明確な目標(ゴール)を持っているため"ゴールは決まって"と歌うことができるのかなと。

それに対して"スタート地点で"と歌う花帆ですが、先輩1年生である花帆が、吟子を加えたスリーズブーケとしての再出発として歌っているのかなと感じます。

意地悪にも見えてしまう世界 それでも愛したいから

梢→吟子→花帆→梢→全員となりますが、歌詞割というよりも歌う順番に焦点を当てるべきかなと考えました。
直前の歌詞である"ゴールは決まって スタート地点で"から考えると、吟子→花帆→梢を繰り返して"それでも愛したいから"の全員で歌うフレーズに繋がります。

また、"意地悪にも見えてしまう世界"についてはスクールアイドルという活動が3年限り(厳密には3年もない)のものであるため、いつか必ず終わりのくることについて憂いている気持ちもあるのかなと思います。
さらに、この歌詞はおそらくですがそれぞれ3人が理不尽に感じたことも含まれているように思います。(ex.入学当初の花帆の出来事)
一つのフレーズを細かく分けているのが個人個人でそれぞれ意地悪にも見えてしまうことが異なっているのかなと裏付けてるように感じます。

その後に"それでも愛したいから"と歌うのが苦難を乗り越え、受容しスクールアイドル活動と向き合うことを宣言してくれているようで心が救われます。

握りしめたそれがなにか 私もまだわかってないよ 胸が苦しい 息もできない だけど守りたい
この想いも意味も全て 連れて行けたらいいな
夢の中に生きる時間も 明日の私へと繋ぐから

ラスサビ

歌詞の意味合いについては前述した通りですが、歌詞割が1番サビと異なっています。
ここでは特に好きな部分を書くことができればと思います。

1番の息ができないが花帆なのに対し、ラスサビでは吟子になっていて

吟子の気持ちに自身の感情を重ねて寄り添った花帆"先輩"に想いを馳せてしまいます。


1番サビとわずかに変わった部分としては"夢の中に生きる時間も"が追加されたことだと思います。
このフレーズは梢と花帆が歌っており、最高学年の梢と一緒に過ごす時間が限られていることもあり、お互いが今の時間を夢のようだと噛み締めているように感じます。
そんな2人の後に吟子が"明日の私へと繋ぐから"と歌ってくれていることが、1番サビで語ったことを強調してくれているようで…


まとめと考察

・まとめ
伝統は先輩から後輩へとバトンを繋いでいくリレーのようなものであり、そのバトンは形や姿がないものであるため、次々と変化を重ねていくものでした。そんなバトンは吟子の祖母の代から繋いできたものが沙知から梢、梢から花帆、花帆から吟子にまで繋がりました。
スクールアイドルクラブが残っていなければ、ここまで繋ぐことはできなかったと当然ながら思うと、沙知が残したもの・守りたかったものがどれだけ大きいものだったのかと彼女の残した功績にまた涙を流してしまいました。



・考察
吟子の入部により、昔と今では伝統として異なる部分があったと知った梢が、伝統とは?を再確認して書き出した楽曲がアオクハルカなのではないか?
→伝統曲ではなく104期での書き下ろしの可能性があるのではないかと考えます。



最後に

伝統とはなんなのかを再確認するきっかけとなったであろうこの曲が5月の兵庫公演で披露されて、"蓮の空の伝統"を胸に最後のラブライブ!に臨む乙宗梢の姿が見たいので、5月の兵庫公演(筆者はDAY2のみの参戦ですが…)での披露をお待ちしております。


ここまで読んでいただきありがとうございました!

個人的にもここはきっとこうだろう!と思う部分とこの辺自信ないな…と思う部分がある内容になったので、これからのスリーズブーケの活動から自信のない部分を補完して、さらに解釈を深めたいと思います。

長い長いオタクの妄言となりましたが、個人的にこれはどういう意味なのかな?と考える時間は好きなので今回書かせていただきました。

ご意見・ご感想ありましたら
おきゅ(Twitter:@Occur0703 )
までお願いします。


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