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読書感想文「バートルビーと仲間たち」

バートルビーと仲間たち | エンリーケ・ビラ=マタス, 木村榮一 |本 | 通販 | Amazon

二人のバートルビーに出会ったことがある。

一人目は山の人生の第一節、「山に埋もれたる人生のある事」に現れる親爺と哀れな女。片や貧苦に追いやられ、手斧で二人の子供の首を打ち殺した者。片や夫子共々心中を試みたもの、一人だけ生き残った者。生き永らえてた彼らの行く末は、誰も知らない。ただ、何の因果か、彼らの人生の断片のみが、一世紀ものの時を生き延び、細々と読み手に継がれた。当人が語ったか否か、それすらも判らないほどの細やかな記録は、しかし、「何人も耳を貸そうとはしまい」といわれるほどの無価値なものでは、きっとない筈である。

二人目はより直近、しかし、もう20年前。半生を山谷で過ごし、その経験を出版したある日雇い労働者の日記、もとい、生活記録。その日暮らしの街での日常と、そこで邂逅した人々との会話。そして、自分自身の在り様。これらを細やかに綴った著者は、最後にこう書き残している。「心中のひそかな思いを表明させてもらうとすれば、可能な限り淡く薄い関心とともにこの生活記録が読まれ、可能な限り早く忘れ去られることを願っている」と。だが、その望みとは裏腹に、彼の生きた証は、彼がまさにその手で紡いだ語りの中で生き続けている。

「I would prefer not to」と宣告した人々。語る言葉を持ちながらも、語ることを選ばなかった、或いは、語ったのちに沈黙を選んだ者ども。これらの人々が言葉少なく語る話は、しかし、何故にこうも魅力的なのか。彼らが『空想で描いてみる世界よりも、隠れた現実の方がはるかに奥深い』ことを気づかせてくれるから、だろうか。そうではなく、その「奥深い現実」が案外、我々の身近にあることを教えてくれるから、だろう。日常で挨拶を一言二言しか交わさないアパートの隣人や、仏頂面で接客をするコンビニの店員。言葉少ない彼らは、しかし、実は第二、第三のヘンリー・ダーガーかもしれない。その可能性を、己の裡を僅かばかし遺した者たち― 即ちは、バートルビー ―が提示しているのである。それ故に、これらの「誰にも隠されていないが、誰の目にも触れない」物語は、『とても奥深く、そして、とても面白いのである』。

しかし、そもそもの話、バートルビーとはどういった人々なのだろうか。語る言葉を持ちながら、敢えてことをしない、という状態は如何なるものだろうか。「バートルビーと仲間たち」に、その手がかりの一つは記されている。世に無数いるバートルビー、その中でも、言語を操ることを専門家たる文豪達。必死に言葉を尽くし、語らないことを弁明している彼らの様相は痛快で、ある意味愉快でもある(※1)。だが、その言い分を考察するに、一つのことが言えそうである。これはあくまで「症候群」であって、先天的にバートルビーとして生まれた者はいないということである。人はバートルビーに「なる」のである。

あるいは、上の問いは、出発点としてまだ浅すぎるのかもしれない。始めるべき起点は、「なぜ人はバートルビーとはなるのか」ではなく、何故そうならないのか。即ち、「何故人は語るのか」というところから始めるべきなのかもしれない。所謂「ハイ・ホー」の応答の関係で代表されるように、語りとは、語り手の他に、聞き手となる存在が必要となる。ということは、語り手のそばに聞き手がいない、もしくは語り手が聞き手なる存在と関わることを拒絶した場合、バートルビーは生まれるのだろうか。

再び原書に立戻ると、一つの手がかりが見つかる。最後に二、三行ばかしの文で示されているが、バートルビーは「配達不能郵便局の下級職員」だったようである。彼はつまり、何らかの事情で配達不能となった郵便物を燃やすという、ただそれだけの侘しい職責に従事していたのだ。「しない方がいいのです」としか答えず、聞き手との意思疎通を徹底的に拒んだバートルビーが従事した労働が、諸条件から応答の要否を判断し、不要のものを破砕する、というものであったのは示唆的である。偶然、では決してないだろう。

ここから、ある仮説を立てたい。バートルビーとなる者は即ち、何らかの要因でこの「ハイ・ホー」の応答の形式そのものに失望した者たちであると。
己がなした応答に満足し、忘れ去られることを望んだ山谷の労働者然り。これ以上の応答は無益と判断し、「書くべきことはすべて書いた」と告げた後、沈黙を選びとった数多の「仲間たち」然り。応答の片側を一方に廃棄し続ける労働に従事したのち、「応答」の形式そのものに絶望してしまったバートルビー然り(※2)。そう思えてならないのである。

そして、これはまた、ある一つの可能性を示しているといえるのではないか。即ち、この断片を書いている私も、読んでいるあなたも、何らかの拍子でバートルビーになりうるのかもしれない、と。

※1筆者が最も打たれたのは、54節、フアン・ラモンの例である。最愛の妻を亡くした彼が、その残りの人生を「(妻が)生きていたからこそ自分はものを書き続けたのだと世界の人に訴えるため」に捧げた。感服するほかない。

※2勿論、これらは全て筆者の一方的な推測である。真相は不明である。

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