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「たまたま」の裏側

先日、私のお気に入りのご飯屋の店主とゆっくりお話する時間がありました。
初めは美味しい昼食を頬張りつつ「本当に毎日いろんなことがありますね、ほほほ。」と世間話。次第に人生山あり谷あり的な話になり、私はふと店主の口から何度か繰り返される「たまたま幸運エピソード」が心に留まるように。「そんなことってある?」話に私の好奇心スイッチが入り、品の良い店主に恐縮しながらも、たまたまの裏側をちょっと聴かせていただいた。今日はその時のお話を書き留めておきます。

※たまたま:偶々(たまたま)とは、「偶然であるさま」「意図せずそうなったさま」を意味する副詞表現である。(引用元:Weblio辞書)

「たまたま」が起こるとき
−店主の「たまたま」が起こる時。それは自分の夢や希望を叶えたいと思っている時に起こるらしい。これがしたい、あれがしたい・・・という希望に満ちた心と、さてさてどうしたものか・・・と当惑している心とが五分五分。そういう時ほど、思いも寄らない人に出逢ったり、チャンスが巡ってきたりするという。

「たまたま」が起こる前にしていること
−「とにかくね、動くこと。そしてやめないこと、続けていること・・・かな?」と店主が真っ直ぐとした目で言ってくれました。
自分の頭の中だけでずっと考えていても、未来は何も変わらない。何をしたいかにもよるが、少なくとも誰かに料理を食べてもらうならば一人で閉じこもっていても上手くはいかない。未来につながりそうな人のもとへ出かけて行ったり、「私はこれこれに興味があります」とか「話を聴かせてください」とか、とにかくまずは動くこと。得られたものがあれば、そこからまた自分にできる精一杯のことをやる。やり続ける。その繰り返しとのことだった。

「たまたま」の裏側には人の存在がある
−想いと行動、そして継続すること。それが店主の「たまたまの幸運」の確率を上げているんですね。そう私が伝え返すと、店主がうんうんと頷きながら、「でも、一番はね、そんな私の姿を誰かがどこかで必ず見てくれているということなのかも。」と言い、店主の店が流行る前のとある話をしてくれた。

ある大雨の日。店主が一人、雨に打たれながら食糧などを店内へ運び入れていた時のこと。通行人の一人が、ずぶ濡れの店主の姿を見て嘲笑したそうです。直後は惨めさで一杯になりつつも「私は好きなことをやっているんだから、どう思われてもいいや」と、その日もコツコツ仕込みをし通常営業したそうです。
それからしばらくして、常連客の一人が突然仕事の話を持ってきてくれる。ご飯が美味しいのは勿論のこと、どんな時も頑張って店を開いている店主の姿を見ていて、ぜひにと。そのお客さんは、あの大雨の日にもお店に顔を出してくれた方らしい。仕事の内容も、店主が兼ねてより叶えたいと想っていたことの一つで、今日までそのご縁が続いているのは言うまでもない。
「やっぱり人ね」という店主の言葉に、私の心の奥にじんわりと温かいものが広がりました。

「たまたま」は本当に偶然か?

−「たまたま」の話には大なり小なり運というものが関わっているのだと思います。一方で、店主のように直向きに自分にできることをやり続けることにより「必然のたまたま」が起こるのだろうなと。そしてそこには、人の存在があり、縁のある人とのつながりによって「そんなことってある?」が引き寄せられるのかもしれない。狙ってやることではないという前提で、私もこんな生き方好きだなと感じたので、お手本の一つとしたいと思います。

お読みいただきありがとうございました!

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