見出し画像

「ビーアウトオブデンジャー」第二話

私は基本的には一日中自分の部屋にいます。テレビを見たり、充電したり、横になったり、仰向けから俯けになったり、お菓子を食べたり、インターネットを見たり、テレビを見たり、漫画を読んだりします。働くことはしません。働きたいとは思います。ですが、習慣というのは非常に強固なもので、ちょっとやそっとの労働意欲でこの自堕落な生活を打ち砕くことは出来ません。働いたことはあります。銀行の事務をを半年程やりました。銀行への就職が決まった時、母は大いに喜びました。まるで自分のことのように。自分のことのように嬉しいわ、と口にしていたような気もします。自分のこととして嬉しかったのでしょう。何かから解放されたように見えました。それとは反対に私は束縛されたような気分になりました。これから訪れるであろう喜びや悲しみを想定の範囲内にすることを安定と呼ぶのかもしれません。

 十四時頃、私は必ず糞をします。昼に食べたものを、尻から出すのです。確かな便意を感じたら、ギリギリまで糞をしたくないような素振りをします。すぐにはトイレには行きません。私がプロのサッカー選手で、今がもしキックオフ寸前であったら、意中の異性との初デートの最中だったらと、簡単に糞を出来ないようなシチュエーションを頭の中で思い浮かべるのです。ですが、実際の私は家にいます。母は仕事に出ました。この家には誰もいません。堂々と糞をすることが出来るのです。私は少し速足で階段を降りて、トイレへと駆け込みます。そして糞をして、良かったな。と思うのです。私は糞をするという行為が割と嫌いではありません。どれ程高級なものを食べようと、どれ程価値のあるものを口にしようと、全てが糞になってしまいます。どうせ糞になってしまうのだから、何を食べたって無駄だと思う人はいません。むしろ逆なのです。これからのことを考えて何かを諦める方が馬鹿げていると私は思います。どうせ糞になってしまうのだからと、自ら進んで不味いご飯を食べるのはおかしな話です。これから起きるであろう地獄のことを考えて、自らつまらぬ毎日を送る人間は阿呆です。糞をするという行為は健全で前向きな姿勢のように思えるのです。
用を足した後、私はそのまま便座に座り続けます。生きていると思えるのはこの時です。自分の下半身を見て、そう思います。そして孤独だとも思います。人間は一人きりだと、思い知るのです。母も用を足します。便座に座る彼女が何を思っているのか、たまに考える時があります。すると切ないような気持になるので、勢いよく糞を流すのです。自室に戻ります。

 夕方になると母が帰ってきます。突然、一人暮らしではなくなるのです。私はベッドの中へと潜ります。そうしたくなるのです。布団を被り息を潜めていると、下の階から音が聞こえます。母の足音、電気を付ける音、換気扇が付く音、風呂にお湯がたまる音。中でも一番私が不快に思う音は、買い物袋が擦れる音、冷蔵庫を開ける音、何かを調理している音です。その音を聞くと母が生きていることが良く分かります。私の心臓の鼓動が微かに早まるのです。家の真裏を電車が通ります。これは普通の電車です。

 「バチッ」という音で目が覚めました。人が死んだ音です。これはよくあることです。時計の針が夜中の二時二十分を指しています。デッドラインは二時から開通します。早速人が飛び込んだのです。これについてどう考えればよいのか私は分からなくなっています。慣れてしまったから、どう考えるのかを考える余裕があるのでしょう。
デッドラインが開通した初日の朝、つまり一人目の自殺志願者が自殺した直後、私は電車に乗って大学に向かっていました。電車の中の雰囲気は普段通りでした。私も同じく、普段通りでした。日常は皆で作って、皆で確認します。駅を抜けてから、私は携帯電話からバラード調の切ない音楽をかけました。自分の手で、悲しい気持ちになる音楽をかけました。この時は、少しでも自分のことだと思えるように私なりに頑張ったのだと思います。
 眠れない日々が続きました。「バチッ」に慣れませんでした。日に日に音の鳴る回数は増していき、怖いと思えることに自分が正常であることを確かに感じながらも、確認すればする程正常でいられなくなるような気がしていました。
私はノートに正の字を書いていました。このノートを見れば何回音が鳴ったのかが分かります。彼、彼女達を悼むような気持ちでノートに線を足していきました。日付で分けてはいないので、いついつに誰が死んだかは分かりません。ただ、どれだけの人数が死んだのかが一目で分かるだけです。こんなことをしているのは私だけでしょう。だからこそ、使命感を持ってこの作業に取り組んでいたのです。
この音を聞かなくてはならないと思わなくなったのは、母と二人でご飯を食べている時のことでした。「そういえば、電車の遅延が無くなったわね。」という母が何気ないつもりで言った言葉を聞き全身の力が抜けたのです。その日から私はぐっすりと眠れるようになり、ノートに線を足していくのも辞めました。
 今では、今日も、死んだ、と思うだけです。

落合諒です。お笑いと文章を書きます。何卒よろしくお願いします。