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善151 - 3.9AKAYU PRIDE -

2017年に"Bottling the VINEYARD"をコンセプトにしたワインづくりがスタートし、これまで着実に前進してきた。

当然のことながらワインは葡萄からつくられるものであり、そのワインがどんなものであるかは究極はどんな葡萄からつくられたのかに尽きる。赤湯がワイン産地であり続けるには、やはり葡萄産地であり続けることが大切で、その原点をみんなで考え直そうぜという提案が"Bottling the VINEYARD"プロジェクトの核である。
そのメッセージはワインの流通・消費により主に外に向かって発信をしていく方向性をもつものだが、これでは片手落ちではないかという意識があった。

外面だけを整えるだけではダメ、ワイン産地の中核である畑を担う生産者たちの意識を高め、その結束を強めていく必要がある。その一歩として開催した勉強会兼交流会について今更ながらまとめておく。

勉強会兼交流会「善151 - 3.9 AKAYU PRIDE - 」

善151(2019年3月9日開催)のフライヤー

趣旨にはクドくぎるほど力強い決意の言葉が並ぶ・・・実行委員長の言葉があまりにも重すぎるので 笑、"駄洒落(※)"だの"思いつき"だのというやや崩した要素も織り交ぜ「気軽に参加してほしい」意図でフライヤーは作成したのだが、まぁ熱量というのは伝播するもので、地元の葡萄生産者・苗木屋・醸造家・酒販店・飲食店・温泉旅館・行政関係者・報道関係者…とにかく熱い方々が磁石の如く集まってくださった。

(※)ここで駄洒落について若干の補足を。
川上善兵衛先生の生誕は1868年3月10日。
前のnote「SanQueHadsu3/3」でも触れたが、岩の原葡萄園の皆さんが赤湯にお越しになったのは2018年3月9日(生誕150周年の'前[ZEN]日'のこと)で、この夜プロジェクトのメンバーで集まり反省会をしていたとき、
「'善(ZEN)'兵衛先生の誕生会の前[ZEN]夜祭だね 笑」、
「毎年"3月9日"を何かの記念日にしたらいいんでねぇが 笑」、
「"さんきゅう[39]"はづと掛けてな 笑」、
「立派な品種つぐってもらっておしょうしな、サンキュー[39] 爆笑」などと盛り上がりました(いやホント酔っぱらったおじさんたちが駄洒落を重ねただけなのだが)。
あのとき言ってたのをそのまんま実現させてしまおう(言い出しっぺ囲込み戦略)というのが実態だった。


赤湯で葡萄栽培がはじまったのは江戸時代ごろと言い伝えられているが、その経過を紐解くとき、善兵衛先生との交流がターニングポイントだったのは間違いない。
そこを軸にこれまでの赤湯の葡萄栽培の歴史・伝統を見つめ直し、これから先の未来をどうしていきたいか・夢やら野望やら決意やら好きなだけ語ろうという会だった。

会場:結城豊太郎記念館 臨雲文庫
参加費の領収書:3986円/人
(これも駄洒落の延長だが…御芳志を得たことで収支トントンに)
第1部 勉強会
第2部 交流会

第1部 勉強会から会場は熱気に包まれた。第2部 交流会では臨雲文庫はさらに熱を帯びた。
この日は善兵衛品種(マスカットベーリーA、ブラッククイーン、レッドミルレンニウム、ローズシオタ―等)で醸造されたワイン30銘柄ほどがあった気がするが、どのワインが実際どんな味だったのかは覚えていない。

ただ、とにかく美味しい楽しい夜だった。翌朝、副実行委員長の結城酒店 結城秀人社長とグラス洗いをしながら飲んだ冷たい水すらもおいしかった。
これもまたワインの余韻だったのだろうか。
気兼ねせず、恰好つけず、ワインを酌み交わし、本音をさらけ出して話し、聞き、認め合う。お互いの共生を実感する。
空間が楽しければワインはおいしい、それだけのことなのだろうが、そういう場面というのは決して多くはない。とにかくこの日は格別だった。


数日後、地元山形新聞に記事が掲載された。駄洒落の要素にも若干触れつつ「さんきゅうはづ」というキーワードが紙面をかけめぐった。

山形新聞 (平成31年3月16日)第22面

また、そこから2週間ほど経ち、第1部 勉強会の講師も務めていただいた新潟日報・髙橋直子記者には平成31年4月3日付けの紙面「抄日報」にこの勉強会での出来事を掲載していただいた。

著作権の都合により紙面を掲載することは控えるが、「さんきゅうはづ」というお国なまりに歴史・風土・伝統・プライドが宿っていると記されていた。
新元号が令和と発表された2日後の紙面。「令和の世となっても、お国なまりは豊かなふるさとを持つ証しだと胸を張りたい。」という締めくくりに心を揺さぶられた。
何度も何度も読んだ。こんな名誉なことはないと思わず実家の祖母に電話した。そのくらい嬉しかった。


この勉強会兼交流会は間違いなくターニングポイントとなった。毎年これを継続してやっていくぞという一体感も生まれた。すべてが順調に思われた、赤湯ならどんなことだって実現できるかもしれないとすら思われた。

コロナ禍がはじまるまでは。翌年2020年3月9日に開催を計画した「善152」は直前で中止、やむを得ないものであったが悔しさは鮮明に覚えている。
・・・必ず続きをやるんだと念を込め、まずは最初の原型がどんなものだったのかを振り返って記しておいたのが今回のnoteです。

次回は何のことを書こうかな。

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