中国深圳大芬村を歩きながら考えるコピーアートとアートの境界(後編)

前回は中国深圳大芬村を歩きながら文章とモノクロで切り取って行ったけれど今回は言葉よりも絵をメインに考えていきたい.贋作村で過ごすアートとコピーアート,そして人の生活. 前回は中国深圳大芬村を歩きながら文章とモノクロで切り取って行ったけれど今回は言葉よりも絵をメインに考えていきたい.贋作村で過ごすアートとコピーアート,そして人の生活.

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落合陽一が見てる景色や考えてることがわかるエッセイ系写真集

落合陽一が日々見る景色と気になったトピックを写真付きの散文調で書きます.落合陽一が見てる景色や考えてることがわかるエッセイ系写真集

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落合陽一

メディアアーティストで光や音や物性や計算機メディアの研究をしているような感覚的物書きで博士持ちのスナップシューターです.多様性社会を目指す波動使いの准教授.プロフ写真は©︎TAKAY

落合陽一の見ている風景と考えていること

落合陽一が日々見る景色と気になったトピックを写真付きの散文調で書きます.落合陽一が見てる景色や考えてることがわかるエッセイ系写真集

コメント6件

日本でいう万の神たちが悪戯していそうな、なにやら楽し気で、逞しい、おとぎの村。そんな平然に快活に生活を醸成している日常を感じます。
ソフトフォーカスでしょうか?とても優しいのに、生命力に溢れています。生き生きとしたものを感じます。どの写真も聞かなくても物語を語ってくれそう。「アーティストが目指す形」がわかったようでわからない。とても気になります。
葉っぱ付の桃が切なくもあり、彩りはあったかい。コンビニなんてなくて、冬になるとみかんが主役のこたつ生活だった、昭和の時がスライドする。落合さんの写真、生活からのアート。アートが生活。油絵の具の漂ってる街。ほのぼの。全く違う評価基準の芸術が生まれてる、生まれそうってことなんですねー!
生活と芸術、芸術と経済というのは別ものと分けて考えられがちです。生活に芸術があることや、その芸術が生活や人々の生き様に違和感がないこと、そして、芸術が経済活動になる程度に広く浸透していることは、永遠の憧れかと思っていました。ここに写されている身の丈に嘘のない世界に心揺さぶられます。グローバルな世界とは異なる尺度を持って生きる世界が眩しいです。本物と偽物の尺度にも、様々な観点ありますね。
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