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高付加価値を作るには? 日本の文化的未来と付加価値製品,そしてアートのこと

(※マガジン購読者の方へ:マガジンに配信されているものと同内容です.)

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0.はじめに

マガジンの記事で5月はヨーロッパを回った後,江の浦測候所を巡ったりしながら時間と文化と人とアートについて考えていた.石の文化や石の時間の中で,モノの価値を生み出すいろいろな手法を見ながら考えていたことをシェアしたい.

SXSWで日本館のエグゼクティブディレクターをしたり,内閣府の委員などをしたり文化庁のイベントを登壇したりしてるうちに日本の文化発信にも興味を持つようになった.日本再興戦略って本書いたりしたことも起因して,文化を健全に保全するための経済活動や文化に根ざしたビジネス活動には非常に興味がある.「主語の大きな日本を語る自分」には興味はあまりないのだけれど,社会に対しての父性はそこそこ持ち合わせたいと思って行動しているので,手の届く範囲のエコシステムが健全であるように常に考えて行動してしまうクセがある.

自分自身がアーティストと研究者をしているとどうしてもお金を切り離して考える価値観が強まってしまうし,それはそれで大切な価値観だと思うけれど,持続可能性を考えるとお金や価値付けのことを考えるのは大切だと思うのだ.お金とアートや文化と経済の重要性への指摘は,当たり前のことで言われ続けてきたことなのだけれど,年代や国際的な状況によって異なるから,2019年の今は今風の考え方があるべきなのだと思っている.速度が早く変わる価値観もあれば長い価値観もある.それが重層的な価値観のプールを作るから,複雑な価値観を醸成するんだろう.

4月はノートルダム大聖堂の火災があったり,5月はトランプ大統領が外交で来日していたし,米中貿易摩擦の中で日本のデジタル的な立ち位置や文化的な立ち位置を再確認するような事例が多くあったから,そういった意味でもクールジャパンではない戦略的な文化の捉え方を考える時期なのだと思う.おそらくそれはSDGs的ではないし,チャイニーズデジタルエコシステムとは違うし,カリフォルニアのプラットフォーマーでもないはずだ.

他にも考えたいことがいくつかある.今や政治的な・もしくは社会派のアートは意味を成すのだろうか? 社会課題の解決のための限界費用は下がっているし,公衆発信のためのツールが増えている以上,かつてあったような社会的メッセージのための芸術行為は芸術たりえるのだろうか.芸術は可能か? という問いが意味を持たなくなって久しいが,付加価値のみを基準にしたギャラリービジネスもそれはそれで最終到達点ではないだろう.

日本的な文化の価値はさまざまな捉え方があるだろうけれど,デフレ化してマークアップ率があがらず,格差が広がり続ける社会にとって,付加価値作りについて考えることは令和を迎えた今,ある種モニュメンタルな意味も含んで書いておくべきことなんだろうなと思いながら.

今回はそんなこと,付加価値の話について考えていこうと思う.

目次
0.はじめに
1.チャイニーズデジタルとカリフォルニアンデジタルの間に
2.ヨーロッパを旅しながら考える循環型経済のこと
3.SDGsや循環型経済と違うパラダイム,サイクルの時間

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