【自己紹介#3】世界的バズがありふれた日常になる頃〜日本のITが永久にアメリカに勝てない理由まで2014年の落合陽一

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さて,落合陽一です.1987年生まれなのでいつの間にか31歳になりました.2012年前半までの落合陽一は前前回の記事で書き終えたので,2012年後半から2013年末までは前回の記事で書きました.なんか自伝感あるけどこの方が読みやすい人もいるんだろう.

博論はきっと「物理空間にある計算機制御可能な「場」の話」で書くんだろうなぁと思いながらぼんやり研究していて,前年にやってたコロイドディスプレイもしかり,コンピュータで制御可能なライトフィールドや触覚やら力場やらのことを考えているうちに超音波フェーズドアレイがたくさん増えていき,星先生はよくラボに遊びに来るようになった.一方ラボでは音響浮揚のための粉が撒き散らされていく毎日を心優しい暦本研の方々と共有しながら東大生産研の冬は暮れて行きました.生産研の朝は寒く,千里眼のラーメンはマジで満腹中枢を刺激する.そんな毎日.

2013/12/31くらいのこと,ラボでSIGGRAPHの論文を書いてた落合陽一はそれまでの研究ビデオをまとめて編集していました.元々SIGGRAPHの論文には実装結果のビデオをつけるのが普通なので,それの前段階を撮影していた頃です.

ポテンシャルエネルギーの分布で定在波が描いてある(よく見ると半波長分ずれてる)不思議なビデオなんですが,イメージ的にはこんなもんだろう.夜中によく撮れてるし公開しよう! と思ってSIGGRAPH論文投稿前にWebに上げたところ,なんだか猛烈にバズりました.ちなみに選曲の美しく青きドナウは暦本先生のチョイス.このビデオ取るのはなかなか大変で見えない節に電子部品をぶっこんだりしてるうちに超音波見えるようになってきた博士1年.

この頃の研究室に遊びにきたのがホリエモンで,この頃から堀江貴文さんとは随分仲良くいろんな場でお話しさせていただくようになりました.色々バズるようになったので動画もすぐに200万回超えたし,海外メディアでの取り上げられ方も非常に大きかったので色々なところで取材を受けるようになりました.(落合陽一はまだ丸い).

落合陽一が丸くなくなったのはこれ.ひぐひぐ(100kgくらい)との絶対値によるダイエット対決を始めたところ,12kgぐらい体重減りまして,とにかく痩せたわけです(ひぐひぐは15kg近く減らしてきたので結果敗北)

それはさておき,ひぐひぐは今日も七草粥と称して千里眼を食ってるようなやつです.確かに7草以上入ってそうだけどさ.

まぁダイエットばかりしてるわけでもなく,この頃は触覚ディスプレイの研究してEUROHAPTICSで賞もらったり,SIGGRAPHでアートギャラリーとテクぺとE-techといろいろやったりとかなり元気な年でした.博論書くのでグラフィクスと音響の光と音の間になにかを見出した感じで.とりま新しい研究プロジェクトを次から次へとやっていくのが楽しいお年頃でした.

SIGGRAPHのペーパー仕上げして,触覚研究して,在庫処理で昔のペーパー仕上げてたら夏はシアトルのマイクロソフトリサーチで楽しく.ひたすら研究する毎日だった.当時の研究自体はこれ↓ ライトフィールドとライトルーティングとインタラクション,最適化.(あれいつの間にか光になってる)

それ以外の時間は流体力学を感じながらヨットに乗ったりひぐひぐの腹をつついてたりしたらすぎていったんだけどその辺の話はここにまとまっているはず.

ヨットの上で過ごす時間は流体力学の賜物.メディアアート作ったりシリコンバレーの方にフェムト秒レーザー試しにプラズマ打ちに行ったりしてるうちに過ぎた夏でした.そういえばSIGGRAPHアートギャラリー版のアリスの時間はMSRのときにマイクロソフトジャパンの元社長のサムさんに治具を買い揃えてもらったおかげで出来たんだった.ありがとうございました🙇‍♂️

SIGGRAPHはバンクーバーで面白かったなぁ.とそうこうしている打ちに夏が過ぎ,ペーパーを書きながら日々を過ごす.当時やってた研究ネタでCNNとかから取材きたり,まぁなかなか楽しい青春の思い出色々.

MSRのときに同期だったステファニーは今はMITで先生になったけど,あ,そういえば一緒にCHIでワークショップをしたこともあったのは別の話.同室だったサンくんは今何してるんだろうか.

当時の問題意識を書き上げたものがいくつか残ってて,

↑これを書いたから僕は今日本で先生をしている.

↑これを書いた後に作ったのが「これからの世界をつくる仲間たちへ」って本でした.

↓そして当時の問題意識を書き始めたのがのちに本になる「魔法の世紀」

つまり結論から言うと,落合陽一はサバティカル的に数ヶ月ほど時間があると研究と執筆と作品作りと好き放題やり出すので自由な時間を与えておくと勝手に色々やり出すタイプとして仕上がりつつあった頃.研究と実装と考えのアウトプットが大体やり方わかってきた頃.

同室のサンくんに「Computational Acoustic Field」ってタイトルで博論書こうと思うんだけどどうよ? って言ったら「Fields」の方がいいよ,って言われた.26歳の落合陽一が日本に帰るまでもう少し.

クッソ,人生が忙しくなってくると消化できないことが増える.


NewsPicksのやつ:【筑波でメディアアートしてたら展覧会とかするようになって,IPA未踏やってたらスパクリになって,研究してたら国際会議に論文通るようになったんで研究も楽しいなと思って東大に進学して,起業して企業案件開発したりしてて,修士で研究したらバズってBBCとか来るようになって,(第一回でここまで消化)

トップカンファ愛好者になって,学振DC1とって,博士で研究したら(第二回でここまで消化

バズって,CNNとか来るようになって,マイクロソフトリサーチ行ったり,CGとHCI系に国際会議にホロやライトフィールドや触覚絡めて最適化する論文たくさん書いて,TEDxTokyo出たり(第三回でここまで消化)

東大を早期修了したり,いつのまにか専門の賞たくさん貰うようになって,知財を製品実用化する会社起業して卒業して,総務省の異能とかやってたら筑波大の助教でPIになって自分の研究室始めて,自動車とか電機メーカーとかと共同研究してたら,また研究がバズって,アルスエレクトロニカとかグッドデザイン賞とかワールドテクノロジーアワードとかもらうようになって,授業したり魔法の世紀って本書いてメディア論しながら,学生さん育ててたらいつのまにか国際会議の論文とか結構通るようになってきて,ますます共同研究の業種増えて,自分と学生さんが学長表彰や対外的な賞を貰うようになってまた人増えて,ダボス会議とかザンガレンシンポジウム明日のリーダーとかに選ばれて,製品開発してたらお客さんつくようになって,要素技術を使って社会問題に取り組み始めたら,東京都とか内閣府とか文科省とか経産省とかの仕事増えてきて,JST CRESTとかNEDOとかの研究代表し始めて,筑波で学長補佐したり,自分の会社に資金調達して大学で講座始めたり,准教授になったりしてたら,客員教授とか理事とか増えてきて,最近でも論文書きながら徹夜したりプログラム書いたり展示現場で施工作業したり,サンジャポやニュースピックス出たり会議も多いけど,基本は現場の人間として生きている.
メディアアートを始めたときは19歳だったのに,気づいたら結婚して子ども生まれ,30歳になった.
日本再興戦略が売れたり,肩書きが増えたり,他人からはもう初見で理解不能な「働き者」です.開発・経営・アート・研究・教育・広告など様々な現場にいるので幅広く知ってるのが強みかなぁ,逆に現場にいないことについてはコメントしないことにしてる.
一言で言えば「みんなありがとう」🙇】

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コメント1件

自己紹介#1.2ときて楽しみにしていた#3、初回#1.2と比べ#3は、ようやく年末年始の一見から、落合さん本人も落ち着いて書かれたような印象を受けた。
「もう、こんなに前なんだぁ」と、ことある毎に感じ如何に落合さんが現在まで問題意識を持って取り組んでいたかを再認識する。
何と言っても落合さんの魅力は、「現場」であろう。いくら忙しくても現場を知らなければ、何もかも離れていくであろう。
これからも、現場を大切にして欲しいし(勿論、奥様も⚫️⚫️野郎も長女もね)、良い意味で我々に刺激を与え続けて頂きたいと願う。
※マガジン悩み中😞🌀
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