さよなら青春のインターネットの日々よ

落合陽一のマガジンへようこそ,今日はtwitterとの別れの話.

僕がtwitterを始めたのは2009年の8月6日のことで,今からちょうど10年くらい前のことだ.今残ってる最初のtweetは

2009年8月16日 午前4時40分21秒 『ちょっと寝る。』

いかにも僕らしい一言で始まった.それからかれこれ10年弱で10万ツイートちょい.一日17個くらいのツイートだった.

5月くらいから,発信をnoteやオンラインサロンなどに切り替えようと思って色々やっていたんだけど,どうもtwitterを10年も使ってる癖が抜けず,たまにツイートしたりしながら過ごしてしまっていた.

今僕は国際会議のSIGGRAPHに来ていて,ちょうど11年くらいこういう分野のことが好きだなぁと振り返っていたんだけど,いい加減そろそろ変わっていかないとなぁと思いながら,時間もないし,何かを絶とうと思っていた.酒は人生の中でいらなくなった.タバコとコーヒーはまだ眠気覚ましに愛着がある.次はtwitterかな,と思った.記憶と記録に執着を失えばまだ時間は作れる.

つまり,なんか新しいコンセプトを考えようと思ったときに邪魔になるのは自分の現世へのこだわりだと思う.自分がこの現世に縛られているこだわりみたいなものをまず真っさらにして次のことを考え始めるにはなんかないかなぁと思っていたところだった.

僕はアーカイブとしてのtwitterが大好きだ.10年でいろんなことを考えた.20代から30代までの10年は輝かしい時間だ.もう取り戻せない青春のページをtwitterを見るたびに思い出すことができた.大学を卒業した思い出や,成功体験や,初めての学会や,子供の成長から,結婚に至るまでの全てがインターネットの上にあった.だから,今までのtweetを削除するにはなかなかに勇気がいる.文字情報やピクセルの記憶を失ったら,僕は何を覚えていられるんだろう? と全く自信がない.でもそれさえ消してしまえば,僕がtwitterに囚われている理由もなくなる.そのくらいしないと,自分が好きなものやこだわりを忘れることができないだろうと思った.後はツールとして使うtwitterだけが残る.それは酒好きが乾杯用のビールの儀式を残して他をすべて辞めてしまうようなものだろう.アナログ世代が記録をアナログ写真で持っていたように,僕らの世代はきっとSNS上に持っている.その思い出を焼べてしまおう,というのは思い切りが必要だ.

サンタモニカの海岸で波を見ながら消えていく足跡を見つつ,宇宙からすればどうせ何の痕跡も残らない人生に足掻くのをやめようと思いながら,ただ何となく今を生きようとして,ギリギリ失われない怨念や執念をたどるにはどうしたらいいだろうかと思った.そうすると,記録かなぁと思いながら,やっと諦めがついてきた.さよなら人生のかけがえのない思い出たち.

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落合陽一

メディアアーティストで光や音や物性や計算機メディアの研究をしているような感覚的物書きで博士持ちのスナップシューターです.多様性社会を目指す波動使いの准教授.プロフ写真は©︎TAKAY

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コメント6件

ばっさりヤっちまうことにしたんですな大将。頼りにしていたカンフル剤がなくなるってわけであたしゃ途方に暮れますぜ。いつのまにかぬくぬくと頼っていた。外に放り出されたわけだ。ま、わしらはみんなその場に座り込んでるわけにゃいかんでな。行ってみるまでよ。ありがとう、おちあいよういちTwitter、元気でね。
落合氏を知ったのが昨年夏…思い切ってツイッターなるモノを始め、本読んだり、展覧会に行ったり、Weekly Ochiai参加したり…1年弱でも随分と楽しませていただきました♡
これからのご活躍がますます楽しみです!
記録と記憶を捨てて時間を買う。美しい言葉に痺れました。落合さんといえばツイッターという位に、飾らないどこか子供のようなツイートで、いつも楽しませてもらっていました。過去を懐かしむために今や未来を作る美学的な哀愁に素敵だなと思っていましたので、驚きです。なぜか気持ちが晴れやかになりました。ありがとうございます☺️
自分に置き換えて考えてます、、申し訳ないです。
何かを貫くというのは、拘りでもあるけれど「柔らかい信念」というのが本来の形なのかな…と思いました。今まで拘りと信念の違いは何かと考えていたので…
何かの執着を手放したり、頑なになっている自分から何かを解いたり、それは手放すということですが、それも一つの変化や進化で、失っているのではなくて
また、自分の中で決まりとなっている物事を、やめてみる、許す、ということも含まれるのかな、とか。。
好きな事を手放すのは難しいですが、習慣付けられた何か一つでも減らせられるのなら、または加えられるのなら、
もっと何か有意義に過ごせる可能性があり、新しい習慣、自由性が、膨らむのかな、
と感じました。
まとまりのない文章で申し訳ないです…。

昨年の終わりに落合さんを知りました、
臆病な私はこういう場にコメントする度に勇気がいりますが、またコメントさせて頂きました。
ツイッターお疲れ様です。
私は去年専用アカウントで初めました。
SNS疲れにならないよう楽しみます。
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