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他人に「強さ」は図れない



「強い人」は、
決して鈍感な人のことではない。




「弱い人」は、
決して敏感で繊細な人のことではない。



「強い人」とは、
怖くても、目を背けず恐怖と向き合える人。
苦しくても、それでも前に一歩踏み出せる人。
悲しくても、それでも前を向ける人。

のことだ(持論)






だけど、その人が
どれだけ怖いと感じているのか
どれだけ苦しいと感じているのか
どれだけ寂しいと思っているのか


決して他人が見ることはできない。




だから、その人が
どれほど勇気を振り絞って立ち上がったのか
どれほど心をすり減らして向き合ったのか
どれほど一生懸命生きているのか




他人が推し量ることはできない。
見えないんだもの。当たり前。



つまり、
見えないものを他人が測れるわけがない


見えるのは、ほんのちょびっと。





たくさんの恐怖と向き合ってきたことも。
苦しくても、一歩前に足を踏み出したことも。
逃げたくても、一生懸命生きていることも。


私の「がんばり」を知っているのは、私だけ。
私の「強さ」を知っているのは、私だけ。



ほんとの「強さ」を知っているのは、
たったひとり。自分だけ



だから、いい。
他人に理解されなくたって。
他人に評価されなくたって。




「弱い奴だ」というやつには
「弱い奴だ」と言わせとけば良い。



「頑張ってない奴だ」というやつには
「頑張ってない奴だ」と言わせておけば良い。

本当の強さは、自分だけが知っている。



大きなカブの見えない部分を、
理解し、認めて、愛してあげるのは
他人ではなく「自分」だから。



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感受性が強くていろんなことに傷ついてしまうひとが「弱い人」なんだろうか?


たくさんのことに気がついて鬱になってしまった人が「弱い人」なんだろうか?




むしろ
鈍感なこの世界で、たくさんのことに傷つきながらも、それでも前を向いて生きている人は「強い人」なんじゃないだろか?





そんなことを日々思う、
おここのひとりごとでした。




おやすミートボール。🌕

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