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悲鳴、汗、血、ゴミ、肉片の中に横たわり、助けを待った

「大虐殺パーティー」

金曜日(10月6日)、私は車で『NOVA音楽祭』のチームマネージャーとして出勤した。楽しみだった。ドウシ、クッキー、インバーとともに、エイルキンが私を迎えに来てくれた。パーティーへの道中、私たちは気合を入れ、ついにこの時が来たと感激した。パーティーに到着し、カンタ(くつろぎスペース)をオープンした。しかし、ちょっと不思議な雰囲気だった。ドウシ、クッキー、そして私はカンタの中に座り、自分たちの気持ちを語り合うことができなかった。

朝6時頃、DJのヤリン・アーティフェックス(彼はとても才能がある上に、大切な友人でもあった)が日の出のセットをプレイするためにやってきた。少し身体を動かそうと、私たちはダンスフロアに向かった。楽しみ始めた途端、音楽が止まった。「パーティー会場にテロリストが潜入したので、命がけで逃げろ」というアナウンスが流れたのだ。空を見上げると、映画のワンシーンのようにミサイルとミサイル迎撃(アイアンドーム)で埋め尽くされていた。警察官は車で逃げるよう促していたが、4000人が車で逃げようとするなら、誰も逃げられないだろうと私たちは考えた。

理屈を優先して、私たちは徒歩で行くことに決めた。ドウシがシェマ・イスラエルの祈りを読み上げ、私たちはこの事態がすぐに収束するようにと祈った。しかし実際は、まだ始まったばかりだった。車から降りて走り出そうとしたその時、テロリストたちが徒歩で延々と入ってくるのが見えた。彼らはあらゆる種類の武器を持っていて、私たちは今が走る時、必死で祈る時だと思った。誰かが生き残れば奇跡だとさえ思った。それからは、すべてが運命に委ねられた。

銃撃の中を15分ほど走った後、誰かが私を廃棄物のコンテナに押し込んだ。私とおそらく他の10人くらいで、3時間ほどそこに隠れた。周りでは銃声が聞こえ、テロリストが「アッラーフ・アクバル(アッラーは最も偉大なり)」と叫んでいた。私たちは混乱が収まることだけを祈った。私たちは自問した…国防軍はどこ?警察はどこ?誰かが救助に来てくれるのだろうか?私たちの頭上でミサイルが発射されているのに、警察も他の兵士も、誰も答えてくれなかった。

多くの人々が負傷し、あちこちで悲鳴が上がり、銃弾が鳴り響き、車が爆発し、武器を持った多くのガザのテロリストたちが跳ね回り、祝杯をあげ、銃を乱射した。私たちはNOVA(パーティー)を祝いに来ただけだったのに。

汗まみれ、小便まみれで、太陽に晒された廃棄物コンテナの中に3時間ほど隠れていると、すぐ近くでテロリストの声がした。私はそこに横たわっていた女性一人に、彼が私たちを殺しに来ないように静かにするように頼んだ。しかし、彼女は体勢を変えて移動しなければならないと言った。私たちの下のゴミの上に積まれていたプラスチックが音を立てた。ほんの一瞬のうちにテロリストはコンテナの中に入り、私たち全員に向かって銃を撃ち、「アッラーフ・アクバル!」と大声で叫んだ。

美しく気のいい2人の男性は、頭を撃たれ、私たちの目の前で倒れた。残された女性たちは体中いたるところを銃撃され、私は両方の太ももの上と肩を撃たれた。私の肩を撃ち抜いた弾丸がノアムの靴底に命中し、彼女の左足は無事だった。私は母に電話をかけた。「愛しているよ。でも、今回ばかりは生き残ることができそうにない。」人々の悲鳴、汗、血、ゴミ、そして肉片に囲まれ、身動き一つとれず、なす術もなかった。

しかし、まさにその時、時間との戦いが始まっていて、天使たちが私を保護し、死から生へと引き戻してくれた。パーティーの警備をしていたロムが、ヤギル(プロデューサー兼警備責任者)と一緒に私の元へ駆けつけてくれたのだ。彼らは廃棄物コンテナの開口部までやってきて、「這いつくばって出てこい!まだ銃撃戦が行われている中での救助なんだ」と、私を急かした。この時点で30分以上もゴミ袋の下で死んだふりをし、大量の血を失っていた私は、脱出するためには、自分の中に残っている最後の力をすべて使わなければならないと思った。その上、ヤギルとロムのところまで行くには、死体の間を這っていかなければならなかった。

やっとの思いで彼らの元に辿り着くと、両腕を負傷していたロムが私を担ぎ上げてくれた。彼は私に微笑みかけながらこう言った。「もう心配しなくていい。君を助ける。」ロムは両手を撃たれてもなお、銃弾とミサイルを潜り抜け、人々を救出していたのだ。
私が救出された直後、そのロムが行方不明になってしまった。彼が今も生きていること、あの笑顔で恐怖を乗り切っていることを祈り続けている。

軍の医療ステーションでは、兵士たちは十分な医薬品を持っていなかった。彼らは私の左足の傷にだけ動脈止血帯をつけ、私の額に口紅で「12時」と書いた。私に唯一できることは、どんな困難があろうとも、手足が残されるようにと祈ることだけだった。

激しい銃撃の中、警察車両が私を避難させた。私が後部座席に横たわり、血を流している間、あちこちで銃撃があった。警官は私に覆い被さり、銃撃から守ってくれた。
最初の救急車に辿り着いたとき、救急隊員は震えていた。彼は輸血も鎮痛剤も持っていなかった。その救急車では私を助けられないと判断すると、警察車両は再び激しい銃撃を受けながら、「ユナイテッド・ハツァラ」(ボランティア組織)の別の救急車を目指した。そこで私を迎えたのはノアム、ノア、ヤアラの3人だった。彼らは、私が死の淵に立たされていたにもかかわらず、見事な落ち着きと冷静さを保っていた。

頭がぼーっとして、しゃべるのもつらかった。その救急車も鎮痛剤を切らしていたので、ヤアラはすぐに別の救急車の隣に止まり、窓からケタミンを注射してくれた。これは劇的に効いた。ヤアラが私の左肩にケタミンを注射してから30秒後、私の脳はハワイで休暇を過ごしているような感覚に陥った。何も感じず、状況をそれ以上理解することもなく、この悪夢を生き延びられるかどうかなど考えもしなかった。

現場の上空を飛んでいるような気分だった。理解できない疑問がたくさんあった…「なぜ私はそこにいたのか?なぜテロリストは私を撃ったのか?なぜこのような状況に陥ったのか?友人たちは無事なのか?彼らはどこにいるのか?」そして、他の多くの人同様に、「これまで生きてきた人生に、私は満足しているのだろうか?」と。なぜこんなことを考えたかといえば、私の人生は終わろうとしていたからだ。私は何かを変えただろうか?愛しているのに話をしていない人はいるのだろうか?…
死がドアをノックしているのに、こんなにたくさんのことを一度に考えることが可能だとは信じられなかった。

病院に到着したとき、私は意識がなく、大量の血液を失い、静脈も通っていなかった(首に中心静脈ラインが入っていた)。彼らはすぐに輸血を始めた。ここからは私の話ではない。傷ついた私の体だけが手術台の上にあり、私の命を救うと決めた天使たち(医師たち)に囲まれていた。

1カ月にも感じられる長い1日が終わり、手術翌日、人工呼吸をつけた私は病室で目を覚ました。私は右足、次に左足を動かした。そして、両親が自分たちに起こった奇跡のために、喜びに圧倒されて立っているのに気づいた。私は左足を失っていないことがわかり、神に感謝した。そして、安全な場所にいること、生きていることに感謝した。

この時、愛するエイルキンが殺されたことを知った。ドウシとエデンは無事に逃げ、私の愛するインバルはハマスにバギーで拉致され、意識不明のままガザに向かったと知らせがあった。私はいまだにこれらの現実を受け入れることができないでいる。

丸一日、命がけで戦った後、私は脱水症状で弱っていた。次の手術を待つ間、食べることも飲むことも許されず、輸血されながらぼんやりとした気分だった。突然、もう一人の天使、アディがやってきた。彼女は私が脱水症状を感じないように口に水を与え、また自分で呼吸する方法を教えてくれた。完全に目が覚めるとすぐに、私は、銃創の治癒を助けるユニークな技術を開発した形成外科医のトパーズ博士による、さらに別の手術にかけられた。その技術とは、巨大なプラスチック製の器具、金属棒、縫合糸、そして人工スポンジの下に抗生物質を直接流し込むというものだ。これらは私が撃たれたすべての場所に挿入された。手術の翌朝、私はまた朦朧とした意識の中で目を覚まし、激痛に襲われ、自分の足で再び立ち上がるための戦いは始まったばかりだと悟った。

一度に1時間以上眠れるようにしなければならない。もういない友人の夢を見るのをやめなければならない。私を3発も撃ったガザのテロリストの夢や、目の前で爆発した車の夢や、ゴミのコンテナの中で飛んでくる友人の体の肉片の夢や、死にそうな気持ちの夢を…このような思いは尽きないし、すぐには消えないだろう。私の思いも、このような経験をした他のすべての人たちの思いも、多くの愛する人を失った家で立ちつくしている人たちの思いも。


今日、私は生きていることに感謝し、友人の何人かが(残念ながら多くはないが)生き延びたことに感謝している。多くの人々やラビたちが、私のような幸運を少しでももらおうと、私に会いに来てくれた。こうして私は、ハイファに住む無邪気な25歳の少女から、医学的にも奇跡的な戦争犠牲者となった。私の幸運の一部を得ようと、人々が私のもとを訪れるほど、私が生き延びたのは奇跡的なことなのだ。

外傷室で私を受け入れ、入院中ずっと一緒にいてくれたベン・ウスマニに感謝したい。食べ物やプレゼントなど、入院生活をより良いものにするために、何でも持ってきてくれた。あなたは私の天使だ!

また、私の病室を訪れて食べ物や暖かい飲み物、石鹸やその他の贈り物を手渡してくれた何千人ものボランティアにも感謝したい。『Eretz Nehederet』(テレビの番組名)の出演者たち、そして私の暗い日々を明るく照らしてくれたドゥドゥ・タサ(音楽家)に。勇気と愛情をもって私の面倒を見てくれたアスータ・アシュドッドの整形外科病棟のみんな。奇跡が起こり、幸運にも新しい人生を送ることができたことを忘れさせないでくれた、病院の主任ラビに。一週間私にとって第二の母のような存在であった整形外科病棟関係責任者のキネレトさん、本当に愛しています。

眠れない夜が続き、心配が尽きないこのクレイジーな旅を一緒に歩んでくれた両親に。私のことを尋ね、見舞いに来て私を喜ばせてくれた世界中の友人たち。多くの犠牲者を出したにもかかわらず、この悲劇に対して分別を持ち責任ある態度で乗り切ってくれたNOVAの運営チーム。毎日見舞いに来てくれたり、電話で様子を聞いてくれたり、もちろん贈り物も送ってくれた。そして、試練の最初から私を見守ってくれた守護天使たちに感謝する。あなたたちなしでは今の私はここにいない。

最後に、皆さんへのちょっとしたアドバイスで締めくくろうと思う。今、イスラエル全体が、誰も経験すべきではないようなポスト・トラウマの中にある。将来的に大きな問題にならないよう、一刻も早くこの問題に対処しなければならない。健全な魂が健全な肉体に宿るように。
そこで、誰しもが自分の身近なテロ被害者に連絡し、彼らの恐ろしい傷について話し合うべきだ。私は、ボランティアで協力してくれる、トラウマや心理学の専門家数十人のリストが手元にある。元気づけてくれる前向きな人々があなたの周りにいること実感してほしい。そして、(たとえ4分の1しか入っていなくても)コップの半分が満たされていることに目を向け、生き残った愛する人たちに感謝することを忘れないで。

運命により私は2023年10月7日に生まれ変わった。私の内側と私の周囲にどれだけの力強さがあるのか教えてくれてありがとう。来年のNOVA音楽祭記念日にお会いしましょう。

ナーマ・G


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