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彼は命乞いをしたが、拉致されて行った。私たちはなす術もなく、彼を助けることは出来なかった。

一体何がどのように始まり、どのように終わったのか…

午前4時半にNOVA音楽祭に到着した。笑顔、ハグ、たくさんの友人たち、そして溢れるほどの愛で会場は満たされていた。まもなく幕が上がろうとする悲劇について、私たちは知る由もなかった。

午前6時15分頃、ロケット弾で空が光り始めた。イスラエルに住んでいれば、珍しいことではない。しかし、その5分後に起こった出来事は、完全に不意打ちだった。

とにかくミサイルが次々と飛んできたので、みんな一気に車に戻った。しかし入口付近がすぐに大渋滞になってしまったため、私たちは、混乱が収まるまで待つことにした。

車を降りると、「テロリストが潜入している!」という悲鳴が聞こえた。仲間6人のうち、2人が走って逃げ出し、もう1人は近くの森に逃げて行った。残されたのは、私とダナ・F、そして妹の婚約者の3人。切迫感は最高潮に達し、命からがら逃げている一瞬一瞬は、永遠のように感じられた。

私たちはある木の下に隠れたが、そこは枝で囲われているだけで、テロリストがあちこちから容赦なく撃つ銃弾は、頭上で行き交っている。100発以上の銃弾が飛び交い、その音は凄まじかった。

私たちは、すぐ傍にいたイスラエル人の男性が、目の前でテロリストに捕らえられるのを目撃した。彼はテロリストに命乞いをしていたが、私たちはなす術もなく、彼は拉致されて行った。その後続く悲鳴と叫び声は言葉では言い表せない程の、悪夢のようなサウンドスケープ(音の風景)だった。テロリストは周りを取り囲んでいて、そこから微動だに出来なかった。私たちも確実にテロリストに見つかってしまうだろうと覚悟した。

しかし、一切の助けも来ないまま、6時間が過ぎる。この苦しい6時間の間、聞こえるのはアラビア語の叫び声だけで、イスラエル軍の気配はまったくなかった。取り残されたのだと分かり、絶望に襲われた。
この間、テロリストたちは車を燃やし始めた。煙が私たちの隠れる方角に流れて来なかったことは幸いだった。

いよいよ火が近くまで迫ってきたとき、私たちは苦渋の選択を迫られた。この場に残り焼け死ぬか、スナイパーに狙われる危険を冒して逃げるか。
しかし、煙によって私たちの姿は隠れ、なんとか難を逃れることができた。私たちは、他のイスラエル人が避難している別の木にたどり着き、彼らと合流した。そこからさらに1時間半、救助隊が姿を現すまで、這いつくばりながら進み、隠れ、そして走り続けた。

この体験をいくら語っても、その場にいなければその全容を伝えることはできない。私は癒しを求めてNOVA音楽祭に参加した。しかし、より深い傷を負って帰った。私はもう二度と同じ人間には戻れない。

アローナ・T


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