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まるでコンピューターゲームのように、テロリストは逃げ惑う人を撃ち殺していた

正直なところ、私はこの経験を分かち合うつもりはなかった。あのことを思い出すのは余りにも難しすぎると思ったし、私の経験がそれほど重要なのかもわからなかった。もっとひどいことを目撃した人や、あの場所にもっと長い時間いた人たちもいる。冷酷に殺された人たち、いまだに行方不明の人たちがいて消息がわからない。私は誰に話せばいいのだろう?と、恥ずかしくなった。

10月7日から2日が経った。何が起こったのか頭で整理しているところだが、その時のことを思い出して体験を分かち合うように何度も言われたので、ここに記します。私の個人的な奇跡、神の摂理によって起きたことを。

私は婚約者のマタンと共通の友人メイと一緒に、NOVA音楽祭に来た。マタンはたまたまいとこからチケットを2枚無料でもらった。メイは直前になって私たちに加わった。途中、パーティーがガザから1キロほどしか離れていないことに気づいた。最近いざこざがあったとはいえ、南部出身者にとってはロケット砲は日常茶飯事であり、パーティーに行かない理由にはならない。その上、国境に近いので、ロケット砲はもっと内陸まで届き、私たちの頭上を飛んでいくだろうと予想していた。

パーティーに向かうときも、パーティーにいるときも、何か違和感を感じたが、私はそれを考えないようにして、流れに身を任せようとした。しかし、いまいちパーティーの雰囲気に乗れなかったので、私は踊り明かすのをあきらめ、メイと一緒に近くの藁マットの上に横になった。

6時40分頃、マタンが私たちの隣に座り、「サイレンを聞いた?」と言った。彼は私たちより先に、私の携帯電話からロケットのサイレンを聞いていたのだ。数秒後、空はロケットで埋め尽くされた。最初はみんな冷静に対応していた(そういうことには慣れていた)が、事態はあっという間におかしくなった。私たちは荷物を置いたまま、車に向かって走り出した。私は方向感覚に優れていて、私たちは一番最初に外に出たのだが、どういうわけか車を見つけるのに5分から10分もかかった。この数分が私たちの命を救ったかもしれないことは、後でわかるだろう。

私たちは素早く車に乗り込んだ。銃声が聞こえ始めたが、あまり気に止めなかった。すでに国境にいて、パーティー会場を離れていたから。道は分かれ道になっていて、私たちは左折してアシュドッドに向かった。私たちの車はその道を走っていた4台目か5台目だったが、突然、前方の車が止まり、必死に向きを変え始めた。何が起きたのかと声をかけると、この先にテロリストがいると言われた。

私が運転し、マタンが助手席に、メイが後部座席に座っていた。最初は、これは単独のテロリストで、私たちは大丈夫だろうと考えていた。しかし、私たちの前の車に乗っていた男が車から降りて、私たちの方に走り出して来た。彼は撃たれて地面に倒れた。私はマタンとメイに伏せるように言い、運転に集中して車の向きを変えた。銃弾があちこちに飛んでいた。どうして撃たれず済んだのかは聞かないでほしい、正直分からない。

分かれ道まで戻ったところで渋滞にぶつかった。人々は左の道がテロリストによって封鎖されていることに気づき、みんな右に向かっていた。銃弾がそこらじゅうに飛び交っていたので、私たちは車から降りてパーティーの入り口に向かって走る人々の群れに加わった。数人の武装警備員が守ってくれたし、まだ雨のように降ってくるロケット弾から私たちを守るコンクリートのシェルターもあった。

私はシェルターに残りたかったけど、メイに無理やり外に連れ出された。警備員は私たちに「東に逃げろ、命からがら逃げろ」と叫んでいた。銃声がだんだん近づいてきて、私たちはテロリストが1人や2人ではないことに気づいた。白いトラックやバイクに乗った何十人、何十人というテロリストが、あらゆる方向に自動小銃を乱射していた。

私たちは車に戻った。走りながら、逃げる人々のおよそ半数が撃たれて倒れているのを見た。どうにか車まで辿り着き、私は車を道路から野原へと走らせ東に向かった。

数分後、また渋滞にぶつかった。車から降りようとしたとき、何十人ものテロリストが『アラーアクバル』と叫びながら、まるでコンピューターゲームのように目の前にいる人々をことごとく銃で撃ち殺しているのが見えた。テロリストたちが走って向かってきたので、私たちは車に戻った。何とか逃げようとしたけど、身動きが取れずにいた。メイが私に逃げろと叫んでいるのが聞こえた。テロリストたちがすぐそこまで来たのだ。銃弾が車にあたり始めたので、車から逃げた。走っても無駄だ、このまま捕まるだろうと思いつつ、木の下に飛び込んだ。メイが私を見て、立ち上がって走れと叫んだ。私は走り出したが、動揺していた。悲鳴もあげず、ただ走った。私たちはちりぢりになって、できるだけ速く、できるだけ遠くまで走った。あらゆる場面で死ぬ可能性が多いにあったことお分かりいただけますか?

走っていると、隣に車が止まった。私は乗ろうとは思わなかったし、後で録画を見ると、彼らも私を乗せるつもりはなかったようだった。まさに私の”守護天使”となったヨセフ・ベン=アブがどういうわけか私のすぐそばで止まってくれた。彼の友人が止まらないで走り続けるよう促していたにもかかわらずだ。私が車に乗るのをメイが見て、自分も車に乗せるように叫んだ。私がドアを開けると、彼女は飛び乗った。そしてマタンが私の名前を呼ぶのが聞こえて彼を見たけど、車は走り続けた。
誰のせいでもない。全員が家にたどり着いたことに感謝する。本当なら普通にこうなるはずだった。でも、あの瞬間のマタンの表情は忘れられない。ドアが閉まり、彼の後ろを走っていた人たちがテロリストの銃弾に倒れるのを見たとき、私は彼を見失った。私たちはコンパクトなKIAピカントに7人乗り、車に詰め込まれていた。

銃弾が飛び交っていたので、私は頭を下に伏せていた。
マタンを呼んだが、誰も彼を車に乗せてくれないことはわかっていた、きっと彼は殺されるだろうと思った。結局、素晴らしい女性が止まって、彼を乗せてくれていた。

その時、私たちはまだ四方八方から銃撃を受けていた。私たちは、白いバンの横にいる武装テロリストに向かって直進していた。どういうわけか、私たちが彼のところにたどり着いたとき、彼は地面に倒れて死んでいた。何が起こったのかはわからないが、私たちを追ってきたテロリストの銃撃の弾が当たったのかもしれない。何が起こったのか正確にはわからないが、私たちが交差点に着くと、彼は私たちの目の前で死んで横たわっていた。運がいくらか残っていたよう。運転手は右折しようとしたが、私たちは左折するよう叫んだ。右側から銃弾が飛んできたのに、誰にも当たらなかった。まるで神が私たちを左に導いてくれているようだった。

数分間の恐怖のドライブの後、私たちは無事にツェリム軍の基地に到着した。マタンも同時にウリム軍基地に到着しており、彼が銃撃されているのと同時に手榴弾が爆発しているのが電話越しに聞こえた(マタンたちが基地内に入らなかったのが救いだった)。
私たちが基地に到着したとき、彼らは私たちの話に耳を貸さず、私たちを麻薬をやってる悪いやつらだとみなしていた。同じころ、私たちの友人たちは命からがら逃げ隠れしていたのに、数時間経っても、丸一日経っても、誰一人として助けに行かなかった。

兵士のひとりが、ここ数日、数カ月にわたって弾薬が盗まれた理由がわかった、と言っているのを耳にした。私は、この基地は安全ではないと悟った。正門を守っていたのは18歳の女性兵士2人だった。彼女たちでは、自動小銃やロケット弾を持った何十人ものテロリストを止めることはできないだろうと思った。

基地で何時間も過ごした。朝から晩まで。週末ということもあり、基地にはほとんど兵士がいなかった。兵士たちはパジャマ姿で歩き回っていた。兵士たちは、帰りたければ車で行くか、両親に迎えに来てもらえと言った。彼らは保護も他の交通手段も提供しなかった。その時点で何が起こっているのか、誰も知らなかったのだから仕方ない。

夜8時半、正門に誰かの両親がやってきて、「娘がパーティー会場にいた」と叫んでいた。娘は肋骨を撃たれ、朝7時からもう一人の男性と一緒に車の下に隠れ、その場所をGPSで送ってきたという。その時点で夜8時半だったが、誰も2人のところにたどり着けず、両親も誰も彼らと連絡を取れなかった。もし彼女のことで何か知っている方がいたら、教えてほしい。彼女とその両親のことが頭から離れない。

その時点で、基地には私とメイしか残っていなかった。どうすればいいのかわからなかった。家族は私たちを迎えに来たがっていたけど、危険を冒すべきでないことはわかっていた。私たちは見たものを知っていたし、そこに何があるかも知っていたからこそ、外に出るべきではないと思った。

幸運なことに、メイのボーイフレンドであるマオル・ハルシュが迎えに来てくれた。彼は私たちを乗せ、警告を無視して、15分あまり運転してウリム基地にいるマタンを連れ出した。私たちはずっと怯えていたが、ついに家にたどり着いた。他の人たちが野原に長時間放置され、他の人たちが誘拐され、何時間もの間殺害が続く中、、私たちは家で小さな娘を抱きしめていた。ごめんなさい。

なぜこのことを分かち合うことがそんなに重要なのか?神が私を見守っていてくれたことを示すためだ。私の体験した一瞬一瞬が、あり得ないことだった。

この攻撃の5カ月前から、私は「111」という数字を見続けていた。信じている人や知っている人にはお分かりだろうが、この数字は天使の書からの神の介入を意味する。テロの前夜から、私が見たのは12時21分、13時31分、14時41分といった反転した数字だけだった。これらの数字を見て、嫌な予感がしていたけど、やっぱりそうだった。

帰宅して2日後、救出される私のビデオが送られてきたが、そのサイズは11.1MBだった。どう思おうと構わないが、この数字には度肝を抜かれた。メイの写真をお見せしたい。私が今ここにいるのは彼女のおかげだからだ。彼女は神の使いだ。

私はみんなにお願いしたい。今回でもう全てを終わらせなければならない。同時に、苦しみ、傷つくガザの人々に心を痛めている。ハマスによって苦しめられ、傷ついている子どもたち、赤ん坊たち、女性たちにだ。これ以上私を苦しめないで。

何百人もの仲間たちがまだそこにいることは知っているが、基地にいたときは、またテロリストが来て殺されないように、何か尖ったものはないかとあちこち探した。自分の人生を終わらせたかった。何があろうと、奴らのやったことを見た後では、生きたまま連れて行かれるわけにはいかない。奴らは獣で、狂っていて、私たちの誰にも慈悲をもたない。どんな代償を払っても、完全に彼らを破壊しなければならない。そうでなければ、私たちは日々、毎年、永遠に重い代償を払い続けることになる。拉致された人たちを解放する方法が見つかることを願っている。私は毎日、彼らが傷を負わずに健康が守られることを祈っている。今回は違う。彼らは非常に強い力で我々に襲いかかってきた。復讐心をもって攻撃する必要がある。建物を破壊するだけではもう十分ではない。彼らは我々の中にいる。どれだけいるかは神のみぞ知る。

私が経験した奇跡の後、神は私たちの近くにいて、すべてを見守ってくれていると信じている。物事は何とか解決へと進んでいくだろうが、これ以上傷つく人が増えないことを願う。これは終わらせなければならない。

このことを胸に刻み、分かち合う必要があった。ありがとう、ありがとう、天の父よ。秒刻みで私を守ってくれてありがとう。娘と家族をこうして抱きしめられることに感謝しています。この恐怖を経験された方々のことを心に深く思います。愛する人を亡くされた方、まだ消息が取れない方、私はあなたたちの痛みと共にあります。

ヴラダ・P


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