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仲間たちは、腕に抱かれながら死んでいった

朝6時半、私は他のイスラエルの国民がそうであったように眠っていた。突然、大きな音で目覚める。一瞬夢かと思った。そのままシェルターに25分ほどいたが、音は止まない。耳が聞こえなくなるかと思ったくらい大きな爆音、すでにめまいも始まり、身体は震え、声も出なかった。母が電話をかけてきて、私は泣きながら「ロケット弾が飛んでいる」と伝えた。前回の軍事業務でもこんなことはなかった。振動で地面も揺れている。これからどうなってしまうのだろうと考えを巡らせた。そうこうしているうちに、軍事作戦室から電話があり、あらゆる方面からテロリストが国に侵攻していることがわかった。急いで軍事作戦室に向かった。

正直どうすればいいのかわからなかった。少なくとも保護されているその場にそのままじっと留まるのか、それとも、生き残る可能性が少ない軍事作戦室に逃げ込むのか、その途中でロケット弾が命中してしまう可能性もある。私たちは軍事作戦室まで走って移動することに決めた。これが私たちの置かれている状況だとは信じがたかった。まるで映画の中にいるみたいだ。私たちは常に侵略に備えてきたけれど、まさか本当に起こるとは誰も思っていなかった。母との電話を切り、ロケット弾が命中されないことを祈りながら走り出した。ロケット弾はまるで真横に落ちたか、もしくは頭上に落ちたかのようにとても近くに爆発音が聞こえた。軍事作戦室に着くと、女性兵たちはみんな泣き叫んでいた。すべての監視システムをテロリストに抑えられてしまったそうだ。


友人の姿が見当たらず、彼女が一人でシェルターに残っていることを思い出した。電話しても出ず、連絡を取る手段がなかった。軍事作戦室にいる人達に一体何が起きているのか教えてほしいと懇願すると、テロリストが基地に侵入したと教えてくれた。目の前が真っ暗になり、これで終わりだと確信した。呼吸も乱れ、喉は乾き、胃がよじれるような感覚、頭の中はもっと混乱した。銃声が聞こえ、人々が倒れ、悲鳴が聞こえた。私たちはひたすら神に祈り、それだけが支えだった。たった前の日の晩を共に過ごした友人たちが、銃弾や手榴弾の破片を身体に浴び、血まみれになって部屋に入って来る。

次から次へと、負傷者が絶え間なく入って来て、まるでホラー映画のようだった。軍事作戦室は負傷者でいっぱいになり始めた。まだ頭が付いていかない。完全なカオスだった。悲鳴が上がり、軍事作戦室には赤ん坊を連れた女性までいた。第51大隊は、目の前で仲間が死んでいくのを目の当たりにしながら、残された最後の力を振り絞って、私たちのために戦ってくれた。我々は不意打ち攻撃にあったのだ。

私たちはできる限り手助けをした。友人たちは目の前で、腕に抱かれながら死んでいった。少しずつ、他の友人たちが部屋に戻ってこないことに気づいた。突然、先ほど話した、シェルターに一人で残っていた友人が入って来て、私たちがシェルターを出てからちょうど2分後にテロリストがシェルターに侵入してきたと言った。『部屋に押し入り、窃盗し、基地から救助に来た兵たちを手榴弾で吹き飛ばし、銃を乱射していた。テロリストの一人は私の部屋に入り閉じ籠っていた。』などと状況を教えてくれた。私たちはテーブルの下に身を隠したり、ある人は戸棚に隠れたり、他の人は負傷者を助けたりした。完全に停電しているし、発電機も役に立たなかった。ドアは開け放たれたまま、テロリストたちはまだ外にいた。私たちは最後の1リットルの水を少しずつ分けて飲んだ。

テロリストは軍事作戦室の屋根の上にいて、外にはもう軍隊はいないと聞かされた。私たちは7人の戦闘員と共に残され、もう生きては帰れないと確信した。それでも少しずつ生き残った戦闘員たちが次から次へと入ってきて、自分たちの部隊は全滅した、もう兵士はいない、誰も助けてくれないと叫んでいた。

私たちはひたすらそこから脱出できるように願った。まもなくすると、外部の部隊が到着し始め、少しだけ安堵の息をつくことができた。そしてついに、部隊が私たちを救出しに来ると告げてくれた。バスに向かった7分間は決して忘れることはないだろう。部隊が遺体を私達に見せないように守る姿、背後で止まない銃声、そして完全なる暗闇。私達は静かに、身を寄せて、走り続けた。

匿名 (監視オペレータ)

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