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21時間、暗闇と恐怖の中で一人、救助を待った。

これが、あの恐ろしい10月7日に、私の身に起きたことだ。

出来事の終盤から、話を始めたい。
私がイスラエル国防軍に救出されたのは、深夜3時50分のことだった。午前7時から停電し、真っ暗闇のセーフルームの中でたった一人、永遠に息を潜めていた。その間ずっと、外では数十人のテロリストたちが愛するキブツ・レイムに潜入し、占拠していた。
テロリストたちは銃を乱射し、手榴弾を投げつけた。民家に火をつけ、押し入り、あらゆる年齢の人々を傷つけ、殺した。かわいい少年を誘拐して行った。どうか彼がすぐに私たちのもとに無事に戻ってきますように…

21時間、たった一人、恐怖に怯えながら、一筋の光も新鮮な空気もない真っ暗闇の中にいた。携帯電話の充電もできなかった。バッテリーが切れることを恐れ、家族や救急隊との連絡は一切取らなかった。携帯電話の電波は、消えては戻るというひどい状態だった。外ではテロリストたちがアラビア語で話し、叫ぶ声が聞こえた。彼らが行進したり、身を隠す音も聞こえていた。

数時間後、ようやくヘブライ語が飛び交い、イスラエル国防軍が到着したのだと分かった。国防軍がいる!ほんの少しだけ、呼吸が楽になった。
そして銃撃戦が始まり、銃声は絶え間なく続いた。すぐに終わる、私はそう確信していた。駆けつけた特殊部隊がテロリストを一人ずつ排除して、すぐにでもこの事態を終わらせてくれると。

しかし、決してそうではなかった。銃を乱射する音は一向に止まなかった!一瞬も休まることなく、たくさんの、本当にたくさんの銃声が聞こえ続けた。
その間、私は家族に、絶え間ない銃撃戦について、そして私が無事であることをWhatsAppで報告した。
午後遅くに連絡があり、イスラエル国防軍が家々を見回り、地域一帯からテロリストを一掃していると聞かされた。兵士が早く私のもとにも来てくれることを祈った。しかし、私の家の周りにはまだ大きな混乱があるらしいことに気づいた。

キブツ・レイムの燃えた車

私は家族に、停電していることをもう一度伝えた。また、状況を正確に知る必要のある人たちに、最新情報をきちんと提供してほしいと迫った。というのも、インターネットの接続はかなり悪くなっていたし、携帯の充電も消耗していたからだ。私は救助を懇願していた。携帯電話がなければ、私は正気を失うかもしれないし、もっと悪いことが起こるかもしれないと感じた。ただただこの悪夢から抜け出したい一心だった!

夕方から夜にかけて、「V」の印が多くの家に付けられた。「国防軍が家にやって来て、事態は収束した」と、キブツの住民たちからの報告が次々と届いた。しかし、私にとって状況は全く違った。銃声はまだ止んでいなかった。他のキブツの住民たちと私は、まるで別の場所にいるようだった。

破壊された家々

早朝、国防軍の部隊が私の家のドアを力強くノックし、「国防軍だ!」と叫んだとき、私は防空壕から出るのをためらった。ロイ・Hというヒーローが私を呼ぶ声(妹の名前で呼んだので訂正した)も聞こえた。私はアパートのドアに近づき、言葉を発しようとしたが、数秒かかった。ためらいつつ、「ドアを開けましょうか?」 と尋ねると、肯定的な答えが返ってきたので、私はドアのほうへ進み、鍵を回そうとした…しかしできなかった。破損しているのか、壊れているのか、錠前はすべて銃撃で損傷していて、開けることができなかったのだ。

兵士たちは私に、ドアを壊すので2歩下がるようにと言った。私は「ちょっと待ってください!」と叫んだ。防空壕に避難したかったのだ。兵士たちは私のトラウマの大きさを察したのか、静かにドアを壊してくれた。3~5分ほどかかった。そして、10人ほどの兵士が列をなして入ってきた。武器を正面に構え、頭に懐中電灯のついたヘルメットをかぶって。彼らは私とアパートを一見し、私の様子を尋ね、荷物をまとめて一緒に来るようにと言った。

どこに行きたいかと聞かれたが、何を話せばいいのかわからなかった。両親からの返信は、午前1時半から絶えていた。両親の家に行って、最悪の事態を目にするかもしれないと思うと怖かった。私は義理の兄と子供たち(姉はその週末キブツにいなかった)のところへ連れて行ってほしいと頼んだ。彼らは、任務を続行する必要があるため、私を別の部隊に引き渡すと説明した。私たちは奇妙な回り道をした。とても直視できない光景なのだろうと察した。そして、このテロがまだ終わっていないということも理解した。私の住むアパートを包囲しているテロリストがまだいたのだ!

体は痛み、魂は傷ついた。私の心はボロボロだ。

リオール・T


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