見出し画像

「助けてくれ!」送り続けたメッセージに、返事はなかった

「市民が嘘に従うとき、その果実を得るのはパイパー(ハーメルンの笛吹き男)だ」
この言葉から、私の証言を始めたい。

私の体験は最悪の部類には入らない。今、私たち家族は安全な場所にいて、たくさんの情報を受け取り、何が起きたのか十分に理解している。
平時であれば、私の証言はイスラエルのすべての報道番組のトップニュースになるだろう。だが、ここ数日間のうちでは、「最も恐ろしい体験談3,000選」にすら選ばれない。他の人々が経験し、今も抱えている傷、恐怖、苦しみは、その何倍もひどい。そのことは当然理解し、認めなければならない。
しかし、私が体験したことも無価値ではなく、知ってもらう必要がある。だから、話そう。

午前11時、テロリストが私の家に押し入った。私と妻、そして生後6ヶ月の娘は、息を潜めてセーフルームに閉じこもった。私はすぐに、できる限りの人にWhatsappメッセージを送って助けを求めた。そして、斧を手にセーフルームのドアのそばに立った。数分が経ち、テロリストが家の中でアラビア語を話している声が聞こえた。ゆっくりとセーフルームに近づいてくるなか、私はメッセージを送り続ける。テキストで「助けてくれ!」と叫ぶ!しかし誰も来ない。
テロリストたちがセーフルームのドアをこじ開け始めた。もし彼らが成功すれば、それで終わりだ。銃撃戦にナイフなど意味はない。斧は何の役にも立たない。運がよければ、彼らの手か足を切り落とせるかもしれないが、少なくとも3人は銃を持っている。彼らがセーフルームのドアを執拗に開けようとしている間、私は片手に斧、もう片方の震える手に携帯電話を持ち、テキストメッセージを送り続けた。私にとってもマリアにとっても、そしてリーンにとっても、これが最後の瞬間なのだろうと絶望した。

この時点で、テロリストが我が家に押し入って30分も経つのに、誰も助けに来てくれなかった。私は、この状況が誰にも知られず埋もれないように、なんとかして誰かに知らせたかった。チャイニーズ・ファーム(スエズ運河にあるイスラエル空軍の駐屯地)にいた兵士の有名な録音が思い出される。その兵士は通信システムを通じて、「あなたたちは私たちを見捨てた、そのことで神はあなたたちに復讐するだろう」と言った。私は無神論者だ。神について書く気はないので、その兵士が期待するような引用はしないでおく。私はただ、テロリストが30分以上も家の中にいるのに誰も助けに来てくれないことと、チャイニーズ・ファームで起きたことがまったく同じだと言いたい。私たちは見捨てられた(※)のだ。
(※)ヘブライ語で使われている "af-ki-ru "という単語は英語や日本語には正確に訳出できない。それは「見捨てる」という意味と同時に、「非倫理的で犯罪的なネグレクト」のような意味を持つ。

セーフルームに私たちがいることを、テロリストたちが知っていたかどうかはわからない。テロリストたちはプレッシャーにさらされていて、冷静に整理して考えていたわけではなかったはずだ。
生後半年のリーンは、その日一日完全に沈黙を守っていた。黙って遊び、黙って食べ、物音ひとつ立てなかった。自慢の子だ。中に赤ん坊がいると分かったら、テロリストたちはドアを壊すためにもっと躍起になっただろう。
12時頃、誰かが家に入ってきて、アラビア語で何か言い、再び出て行った。テロリストの侵入から1時間が経っていたが、誰も助けに来なかった。国防軍の兵士たちが助けにくるまで、さらに長い時間が過ぎた......

午後11時、私たちはキブツから避難した。そう、朝の6時から夜の11時まで、私たちはセーフルームにいて、爆弾や銃撃、テロリストの侵攻にさらされたのだ。外部とのコミュニケーションは非常に限られており、外で起こっている残虐行為についての噂も半ば聞いていた。
避難しているとき、その日ずっと恐れていたことが現実になったと知った。私の親友が行方不明になり、消息を誰も知らなかったのだ。
イスラエル南部の軍事基地に到着し、キブツの住民と再会した。みんな心が折れないように互いに支え合って、ギリギリのところで持ちこたえていた。犠牲者、誘拐された人々、殺害された家族のことが徐々に分かってきた。ガザと国境を接する地域の友人たちや、書きたくないようなことを見た子どもたちについて。

私は我慢できず、軍事基地の外に出て、3分間泣き崩れた。大声で叫びたかったが、それはできなかった。キブツのみんながかろうじて団結している中、一人がバラバラになれば、みんながバラバラになってしまうかもしれない。頭の中で、可能な限り大きな声で叫んだ。そんな経験をした人はいるだろうか。私にとっては初めてだった。私は涙を拭い、家族のもとに戻った。弟の一人はまだ救助されていないのだ。彼を抱きしめるまで心配は尽きない。

それから私たちは北部のキブツに連れてこられた。以来、平均1、2時間おきに、友人や知人、一緒に働いていた子どもや友人の親が行方不明になったり、殺されたり、誘拐されたという話を聞く。
ガザ国境地帯は、私が育ち、働いてきた場所だ。40年にわたり、この地域の人々と暮らしてきた。しかし、私の世界は完全に壊されてしまった。この悲しみとどう向き合えばいいのかわからない。むしろ、まだあとどのくらいの悲しみが待っているのだろう。新しい情報が明らかになる度に、この絶望にさらなる痛みが注がれる。

今、言わなければならないこと、知ってほしいことがある。
『静かにしろ、銃声が聞こえる』
私の記憶に間違いがなければ、この言葉は、故アミラム・ニールが第一次レバノン戦争の初めに、オピニオン・ピースの冒頭に書いたものだ。彼は、戦闘が続いている間は軍や政府を批判すべきではない、と言った。やがてこの言葉は、イスラエルが参加したすべての戦争で広く使われることとなった。
この考えを支持する人々は、戦いが行われている間は、国の回復力を維持するために団結しなければならないと言う。かつて私は、もちろん多少の留保をつけながらも、この主張を重く見ていた。しかし、私はもはや反対だ。政府とイスラエル国防軍のトップは、私と妻と娘を見捨てた。母を兄弟を、友人、知人、私の世界を見捨てたのだ。

彼らは不意を打たれたと言うだろう。諜報活動の大失態、そうだろう?襲撃は朝の6時に始まった。軍を派遣するのに何時間かかるだろうか。1時間?2時間?3時間?4時間?どんな状況でも4時間という時間は正当化できない。イスラエル北部のゴラン高原からでさえ、4時間以内には部隊を連れてくることができるだろう。襲撃が始まってからテロリストが私の家に侵入するまで、5時間もあった。テロリストは私の娘から半メートルにまで迫っていた。セーフルームのドアを施錠している小さな金属棒だけが、私たちが誘拐されたり虐殺された被害者の名簿に載らないための唯一の頼みの綱だった。ただの金属棒だ。国防軍ではない。警察も空軍もいなかった。ヘリコプターもドローンもなかった。彼らは私たちを見殺しにしたのだ。私や、私の大切な人たちを。国防軍は私たちを見捨てた。私たちを見捨てた。私たちを見捨てた…

それが真実だ。今のイスラエル政府にとって、私たちの命に値打ちはない。彼らに言い訳や正当化はできない。この20年間、イスラエル政府は市民をおとりにしてきた。そして国民の大多数は、政治家が提供する嘘を繰り返す準備をしてきた。「そうだ、ネタニヤフはごますりする人たちに囲まれているが、彼の代わりに誰を選べばよいだろうか。」「そうだ、ネタニヤフはいつも嘘をついている。でも彼の代わりは誰がいい?」「そう、彼はネタニヤフ憎悪をまき散らす。でも左翼はどうだろうか?」「ネタニヤフの妻は精神異常者だ、そして息子はできそこないで、プーチンやトランプと会っている。でもベネットは代わりになれるのか(いや、無理だろう)」

政党に好き放題言わせ、市民が政治家の嘘を繰り返すことを厭わなくなれば、嘘が支配することになる。そうなれば、儲けるのはハーメルンの笛吹き男だろう。私たちは土曜日に利子をつけて支払った。しかし、より小さな支払いはずっと前から行われてきた。
今や、国は分裂し崩壊している。経済も教育制度も破壊された。そして、嘘は続いている。私は、この局面を国家的な試練だと考えている。ネタニヤフ首相の解任要求の必要性に国民が気づかなければ、イスラエルに住み続ける理由はない。私はイスラエルを去るだろう。それは、嘘が船を沈没させたことを意味する。
ベンヤミン・ネタニヤフ、あなたには責任がある。あなたは私たち、ガザ国境地域の住民を見捨てたのだ。辞表をテーブルの上に置いて、出て行ってくれ。そう、ギャラントやハルジ・ハレヴィにも同じことを要求する。過去20年のほとんどの間、政権与党にいたあなたがたが、この被害をもたらしたのだ。

私は無神論者だと言ったが、ユダヤ教は民族的宗教であり、民族的に言えば私はユダヤ人だ。ユダヤ教の伝統では、一人一人が世界全体だとされ、これは私たちの倫理観の根幹にある。ベンヤミン・ネタニヤフ、あなたは世界全体を破壊した。あなたは今、ユダヤ人の会員証を返さなければならない。あなたはユダヤ人ではない。ユダヤ人はこんなことはしない。「でも、エフード・バラクは、でも、ヤイル・ラピドは、でも、ガンツは......」と言ってみろ。言い訳はもう聞きたくない。あなたのせいで、私の友人たちはガザに拉致され、私の親戚たちは殺害され、二度と戻ってこない。信じられないような悲しみが、私たちの世界全体を取り囲んでいる。
『静かにしろ、銃声が聞こえる』?いや、いや、我々を見捨てたあなたにこの言葉に値しない。国民の団結?お前はもはや国民ではない。団結とは、地獄から命からがら生き延びたガザ国境付近の人々に対して抱いている。余計なお世話だ。
私たちには、一人一人の団結こそが必要なのだ。何時間も見殺しにされた私たちを助けに来てくれた兵士たちとの団結が。

あなたの辞表が私のテーブルの上に、ガザ国境住民のテーブルの上に置かれることを期待している。

エラド P


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?