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ナイフを手にした夫を見たとき、事態の深刻さを悟った

心理学者によれば、人生を自分の手に取り戻すためには、体験を分かち合うことが良いという。私たちはあの日からずっと、何者かに支配され、抜け殻のようだ。

午前6時29分、私たちはレッドアラートのサイレンで目を覚ました。セーフルームの窓を閉め、携帯電話を素早く手に取り、ニュースをチェックした。夜中に何かあったのだろうか?ロケット弾を受けるなんて、イスラエルが何かしたのだろうか?しかし、情報は全くなかった。何一つ。
「意味がわからないわ」と、私は夫のナダヴに言った。ロケット砲撃を受ける意味がわからない。今までにない事態だった。数分が経ち、私は部屋のテレビをつけた。セーフルームに座っているのは、私の英雄ナダヴと愛犬ヌチャ、妊娠6カ月の私だけで、外では絶え間ない集中砲火が続いていた。

そして、銃声が聞こえ始めた。今までこんなにも激しい銃声は聞いたことがなかった。小型銃のような銃声で、ロケットでも迫撃砲でもない。乱射する音が四方八方から聞こえてきた。
キブツのチャットグループには、メッセージが殺到し始めた。私はすぐに確認しなかったが、ナダヴは見ていた。彼のおかげで助かった。「服を着ろ、すぐに戻る」と彼は言い、セーフルームを出ていった。ナダヴは台所からナイフを持ってくるために急いで行ったのだ。戻った彼の手にナイフがあるのを見たとき、私はことの深刻さを理解した。

外で叫び声が聞こえた。私の英雄ナダヴは、セーフルームの窓に駆け寄り、叩き割った。彼は、イスラエル軍の兵士たちだと確信していたのだ。しかし、いたのは6人のテロリスト集団で、私たちの家に向かっていた。彼らは走らず、悠然としていた。セーフルームの窓のすぐそばを、笑い叫びながら歩いていた。ナダヴは私を見た。その表情が、眼差しが、すべてを物語っていた。彼のあの眼差しは、人生最後の日まで私を追ってくるだろう。

ナダヴはセーフルームのドアに駆け寄り、決して開かないように押さえつけた。私は電気とテレビを消し、ヌチャを抱いて床に座った。ヌチャが吠え始めることを私が恐れているのを知っていたかのように、彼女は私の隣に横たわり、静かに動かなかった。
私は兄と電話を繋いだが、ほとんど話さず、息を潜めていた。誰かと電話が繋がっていると思うだけで落ち着いた。ナダヴは依然立ったままドアを押さえていた。私たちは2時間以上そこにいて、時間の感覚を失っていた。
その間も、キブツのチャットグループにはメッセージが溢れていた。それらは言葉では言い表せない、想像を絶する悪夢だった。人々は助けを求めていた。救助を懇願していた。「家の中にテロリストが入ってきた!」「テロリストに家を放火された!セーフルームに閉じ込められていて出られない!」「テロリストがセーフルームの窓を開けようとしている!」…悪夢は続いた。

イスラエル軍が到着するまでにはとても時間がかかり、永遠のように感じられた。徐々に、軍のアカウントがキブツのWhatsAppグループに加わり情報を求めてきた。「アラビア語が聞こえている人は誰ですか?」「テロリストはどこにいますか?」
私たちは、放火されたと連絡してきた人たちの家へと軍を向かわせ、最も必要とされているところへ部隊を向かわせた。しかしそうこうしているうちに、家が燃えていると連絡してきた人たちからの連絡は途絶えた。電池が切れたことを祈るしかなかった。

ナダヴは、リビングにあるカメラの電源が入ったままであることを思い出した。それは留守中のヌチャを見守るために買ったカメラだった。まったく別のことに使うなんて、誰が想像しただろう。
彼はカメラの人感センサーを起動して、リビングで誰かが動くと携帯電話にアラートが届くようにした。そう説明する彼の呼吸が突然荒くなったことに、私は気づいた。ナダヴはドアに大きなドレッサーを立てかけ、ドアノブの下に移動させた。彼がドアノブから手を離したのはその瞬間だけだった。

背後では銃声と叫び声が絶え間なく響いていた。イスラエル軍とテロリストが交戦していた。そしてまた銃撃戦が始まり、私たちの家、セーフルームの窓が撃たれた。休む間もない銃撃戦。私たちは17時間、床に伏せていた。暗闇の中、水も食料も空気も底をついていた。

キブツのチャットグループにはまだ大量のメッセージが殺到していた。救出を懇願する人々。何人かによれば、ドアや窓をノックする音とともに「ドアを開けろ」とヘブライ語で叫ぶ声が聞こえたが、それはテロリストだったと言う。彼らはヘブライ語で 「IDF!」と叫ぶ方法を知っていたのだ。

私は隣の家の人とメッセージをやり取りし、彼女は私を落ち着かせようとしてくれた。隣人たちが私たちを救ってくれた。幸運なことに、テロリストたちは私たちの家にも彼らの家にも侵入しなかった。なぜ彼らが私たちの家をスキップしたのだろう。それは私たちにはわからない。ただ運に、たくさんの幸運に恵まれたのだ。

午後9時30分、突然、誰かが私たちの玄関の扉をノックする音がした。私たちはドアを開けず、動かず、息を潜めた。すると隣人から、「イスラエル軍の兵士が来て、私の家にいる。家のドアを開けるように」とメッセージが入った。
ナダヴはナイフを手にセーフルームを飛び出し、兵士たちに怒鳴り声でいくつか質問するのを聞いた。彼らが本当にイスラエル軍の兵士であることを確認するためだ。そしてついに確信が持てたので、彼は玄関の扉を開けた。
ナダヴはセーフルームに走って戻り、私に「出ておいで、ここから避難する」と言った。私はパスポートを入れるためのバッグを取り、財布を中に押し込んだ。彼はヌチャを抱え、私たちは家を出た。他には何も持たずに。

兵士たちは住民たちを守りやすくするため、若い家族が住んでいた4つの家に全員を集めた。出て行って良いと言われるまで、私たちは数時間そこにいた。
どうやってキブツを出るのだろう?なんと、徒歩だった。キブツの入り口にあるガソリンスタンドに着くまで、兵士たちが徒歩でエスコートしてくれた。私たちはこれを「死の行進」と呼んでいる。
そして、ガソリンスタンドで迎えのバスを待った。バスがどこへ連れて行ってくれるのかはわからなかった。ただここから離れるとだけ聞かされた。バスが走り出しようやく、行き先はホダヤだとわかった。そこは私たちの家族が住むアシュケロンに近いので、とても嬉しかった。

途中で目撃した恐ろしい光景については割愛したい。インターネット探せば十分なほど映像が見つかるだろう。

これは、何があったのかを簡単に、極めて簡潔に振り返ったものだ。セーフルームの床で、暗闇と恐怖の中、声も出さずに横たわっていた17時間のことを。そして、ホロコーストとは何かを。
その場にいなかった人には、決して理解できないだろう。

ビクトリア・T

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